栄西は『興禅護国論』のなかで禅宗について次のように述べています。「戒律は正しい仏法を世に久しく住せしめる法である。今この禅宗は戒律をもって教えの本源とする。だから禅宗が正しい仏教を世に久しく住せしめるという大義を立てるというにすぎない。天台宗の『止観』にいう、「凡夫は貧愛にふけりおぼれて賢人聖者に呵責される、悪を破ることは清浄な智慧により、清浄な智慧は清浄な禅定により、清浄な禅定は清浄な戒律による」と。
さてこの「禅定」とは『広辞苑』によれば 「心を静めて一つの対象に集中する宗教的な瞑想。また、その心の状態」 ドナルドキーンの英訳によれば、" a state of calm and concentration " となります。
この「禅定」を得るためにお釈迦様は「坐禅」の修行で「大悟」されました。ご存じの通り「坐禅」は両足を膝の上にのせる「結跏趺坐」で坐ります。この状態ですと、両膝、お尻が床に対して三角形となり最も安定します。猫背にならず、背筋を伸ばして顎をひき。目線を1mくらい先に落とすことで上体も安定します。 そして大切なのは呼吸。腹式呼吸により吸った息を鼻と少し開いた口からゆっくりと吐き切るまで出します。このとき臍の下5センチ位にある「丹田」に力をいれると好いようです。それを一から十までゆっくり数えて繰り返します。余計なことを考えず、呼吸だけ意識して。
ではなぜ「坐禅」により体の安定した状態を作りだせるのか。人間の体はほとんど水の分子からできています。水の分子は水素分子2個と酸素分子1個が電子の作用で結合し、温度により気体、液体、固体に変化します。最も安定した状態は固体(氷)ですが、この状態では生きてはいけません。液体で安定した状態を作り出すには、かつて『脳と心の量子論(治部眞里・保江邦夫)』を読んだことがありますが、ミッキーマウスの顔に例えた水の無数の分子がある作用により同じ向きに秩序だって並ぶことがあるとのこと。自分なりに考えてみましたが、坐禅により息を整えた瞑想状態に至れば、自力で水の分子の秩序ある安定した配列を作ることも可能であり、その結果、思わぬ能力を発揮出来ると思いました。坐禅もヨガもインドが発祥の地です。大昔のインドの賢人はこの科学的根拠を知っていたかも知れませんね。