人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー 13世紀末頃の化粧坂はどこに? ーー

2016-06-27 17:08:24 | 日記

先日、後深草院二条の『問はず語り』のなかに書かれている化粧坂から見た鎌倉の街の様子を紹介しました。「きざはしなどのように、重々に、ふくろの中に物を入れたるやうにすまひたる云々。」 作者の第一印象でしょうから、素直に街の印象を表現したと思います。ただ実際に化粧坂に行って作者と同じ目線でみても、袋の中に物を入れたように重なりあう家並みの様子は確認できませんでした。現在の化粧坂は源氏山の東斜面を下ることから、南側に広がる鎌倉の街並みは見えないことになります。では作者が下った化粧坂は別の場所にあったのでしょうか? 謎です・・・。

いま中世史の研究者のなかに、海蔵寺創建以前の化粧坂はいまの海蔵寺のあるところから真直ぐに北に伸び、瓜ケ谷を経て山ノ内に抜ける道だったという説を唱える研究者がいるとのことでした。掲載した写真は海蔵寺の真上、源氏山の葛原岡神社から浄智寺への道を50メートル位下った鞍部から南の方向を見たものです。左右の崖は明らかに人工的に削られた切岸になっています。この鞍部は埋められたもので、昔はもっと低かったとのこと。それであれば然程の高低差もなく、行き来できたかもしれません。そして遠くに横須賀線が走っているのが見えますので、浄光明寺くらいまでは見通せます。

化粧坂の名の起こりは坂のあたりに遊女が住んでいたということ。もしそれが本当なら現在の化粧坂では道の左右が狭すぎます。化粧坂を通る度に疑問に感じていました。海蔵寺を抜ける道であれば納得でき、なんとなく正しいかなと思い始めています。ある時期に何らかの理由で今の場所に付け替えられたと考えられます。歴史というのは想像する楽しみがあっていいですね。

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