人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー 本覚寺 ーー

2016-09-14 16:57:12 | 日記

鎌倉駅から若宮大路を渡り、大町に抜ける道沿いに本覚寺はあります。このあたりは小町といい、鶴岡八幡宮の東側の「筋違橋」から宝戒寺、本覚寺前を通り、材木座までの道筋が鎌倉時代の小町大路です。この本覚寺は、一乗院日出が開いた日蓮宗のお寺です。有名なのは二代目住職「日朝」で、身延山久遠寺の貫主にまでなった高僧です。それでこの寺は親しみをこめ「日朝さま」と呼ばれ、久遠寺から日蓮上人の骨を分骨し、遠く身延山まで行かなくてもご利益が得られるように「東身延」とも言われています。

さて写真は大町方面から本覚寺を写したもの。左に見えるのは、鎌倉十橋「夷堂橋」欄干で、正面は仁王門。ここでちょっと、勉強したばかりの建築物の話をさせてください。この門は二階建てで屋根が一つ、この形式を「楼門」といいます。鎌倉では鶴岡八幡宮の上宮の門も同じ形式です。屋根が二つあるのは「二重門」、建長寺や光明寺の山門です。本覚寺の門は江戸時代のものですが、もとからあったのではなく三浦半島のどこかのお寺の門を移築したもの。そして一階の柱上で二階をささえている組物が「斗栱(ときょう)」。肘木と大斗・巻斗などの組み合わせでできています。大きな建物になるとこの斗栱が幾重にも重なり、上の建物の重さを分散させることで、下の柱にかかる負担を少なくするわけです。

さらに古くからこれら木造建築物は使いまわしがされます。京都御所の紫宸殿は建て替えられ仁和寺の金堂になっていますし、円覚寺の舎利殿は太平寺から、建長寺の仏殿は芝増上寺から移築されたものです。一切釘を使ってないので、屋根から順番にはずして、再度もとの姿に戻されます。瓦一枚に至るまでどこの部材か記しがあるので可能なのですが、重機の無かった時代では気の遠くなるような作業だったと思います。当然に材木は貴重品だったのでそうせざるを得なかったのでしょう。

今の日本は50年にも満たないホテルやオフィスビルが建て替えられています。壊し方の工法が話題になるような時代ですが、なんとも無駄が多い世の中だとつくづく思われてなりません。

コメント
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