人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

菫(すみれ)

2020-04-24 12:39:47 | 日記

日本古来のスミレの花は最近はすっかり見かけませんが、鎌倉市笛田の夫婦池公園でタチツボスミレの花を見つけました。スミレの花言葉は誠実。そして万葉集巻八(一四二四)には山部赤人が詠んだ歌「春の野に菫つみにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜ねにける」があり、結構古くから親しまれた花です。

さらに時代はくだり、鎌倉時代には京都栂ノ尾にある高山寺を開いた明恵上人(1173-1232)が、森に咲く一輪の菫の花のなかに宇宙の秘密を見出そうとした話が伝わっています。明恵上人は華厳宗の中興とも言われ、華厳の思想と密教を融合をはかりその復興に努めました。その時代は、ちょうど承久の乱(1221年)があった頃、明恵上人がその敗残兵を匿った話は有名です。また当時六波羅探題で戦後処理にあたっていた北条泰時は、これを機縁に生涯にわたって明恵上人に帰依しました。その明恵上人が菫の花のなかに求めた華厳思想は、微塵のなかに一切を見るという「一即多」の考え方ですが、凡人の私がいくら考えても説明できない世界観です。

そしてもう一つ。川端康成が1961年に連載を開始した『古都』にもすみれの花が登場します。

もみじの古木の幹に、すみれの花がひらいたのを、千重子は見つけた。「ああ、今年も咲いた。」と、千重子は春のやさしさにであった。・・・・。大きく曲る少し下のあたり、幹に小さいくぼみが二つあるらしく、そのくぼみそれぞれに、すみれの花が生えているのだ。そして春ごとに花をつけるのだ。千重子がものごころつくころから、この樹上二株のすみれはあった。

学生のころ、川端康成の小説を読み、ドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などと比べ、日本人はなんともちっぽけな世界のなかで小説を書くものだと、ちょっとガッカリしたものです。しかし、今あらためて『古都』の中のすみれの意味を考えますと、川端康成は高山寺の明恵上人、そして華厳の世界観を題材にして、『古都』を書いたのではないかと思うようになりました。高山寺に『樹上明恵上人像』という絵が遺されていますが、その絵は樹上の木の股の所で坐禅をする明恵上人を描いたものです。『古都』のストーリーと華厳の世界観は結び付きませんが、この小説を書くきっかけにはなったと、ひそかに妄想しています。

 

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