人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --八幡大菩薩についてーー

2020-12-14 08:51:16 | 日記

夢窓国師疎石が、足利尊氏の弟直義の問に答えた法話を記録した書物が『夢中問答』。手元にあるのは岩波文庫(佐藤泰舜校訂)ですが、全編九十三の問答が載せられています。最近これを読みはじめました。学生時代に古文をろくに勉強しなかった身では言葉の意味すら分からず、なかなか内容を理解できません。それでも関心のあるキーワードが出てくれば辞書を広げることになります。

その上巻七「神仏の加護」に八幡大菩薩について書かれた箇所がありました。八幡大菩薩は豊前国宇佐の宮の神を行教和尚が山城国男山に遷したとき、三衣のたもとに三尊の霊像が現じ、男山に奉納したこと。弘法大師との対面したときは僧形が現れ、その御影を大師が写し、八幡大菩薩もまた大師の御影を写し、それを神護寺に納めたあります。この話を少し補足しますと、行教は858年に藤原義房の外孫惟仁親王(のちの清和天皇)の即位祈祷のために宇佐八幡宮に派遣されます。その後祈祷の加護もあり清和天皇となり、860年に宇佐八幡宮から八幡大菩薩を勧請しました。菩薩とありますが、神は皆仏菩薩の垂迹という考え方に基づいています。

また男山に放生会という儀式があり、毎年8月1日から15日の間に行われます。それは各地から生魚を買い求め男山の下の小河に放します。それは善根の供養のため。最終日の15日には、山上から神輿を下山させ、供奉人は皆浄衣を着て白杖をつき、わらじを履いて葬送するというもの。これは「朝には紅顔ありて世路に誇れども、暮れには白骨となりて郊原に朽ちぬ」の理を示している。さらに大菩薩は正直の首に宿るという誓いがあると。正直の人とは、無常の理を知りて、名を求めず、利をむさぼらず、仁義の道を学びてものを志す理を曲げない人であると。放生会の儀式は衆生を誘引して、こうした正直の道に入らせるための方便であると・・・。

放生会の儀式一つとってもなんとも奥が深いですね。足利直義は鎌倉で後醍醐天皇の子護良親王を殺害し明治時代以降は逆賊のように紹介されています。とても夢窓疎石の教えを乞うた人物とは思えません。ギャップがあり過ぎです。本当の直義の姿は如何???

写真は鶴岡八幡宮の柳原神池です。今も放生会の儀式が受け継がれています。

 

 

 

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