タイトルだけ見ても何のことやらさっぱり分からないと思います。時代は鎌倉に遡り、文治元年(1189)七月。源頼朝は大軍勢を引き連れ、奥州の藤原泰衡を討伐するために鎌倉を進発しました。そして2カ月後の9月3日に藤原泰衡は郎従河田次郎に討たれてしまい、6日には頼朝のもとに泰衡の首は届けられました。その首を持ちこんだ河田次郎も譜代の恩を忘れ主人を殺害するとは誠に許さざる行為ということで殺されました。この藤原泰衡の討伐に関してはなかなか追討の宣旨が下りず、宣旨なしで出発するというはじめは大義名分のない戦でした。
さてこの奥州征伐と中尊寺ハスがどう関係するかですが、この泰衡の首桶に蓮の花が入れられ、そのハスの花の種が発見され、近年になって中尊寺の池に植えられ、開花したものです。実際私も2009年7月3日にこの中尊寺ハスを見学しています(2020年8月28日付ブログ参照)。昨年、その鎌倉に寄贈された中尊寺ハスが開花したというニュースを記憶されている方もいらっしゃると思います。私自身、永福寺跡の中尊寺ハスは見ていませんが、今年も無事に開花したという記事をみて早速本日出向いたわけです。ただ残念ながら、鎌倉に大雨警報が発令されていましたので史跡永福寺跡には入園できませんでした。それでもなんとか見る手立てはないものかと北側に回りましたら写真の中尊寺ハスをゲットできました。可憐な紅蓮(ぐれん)のハスでした。私が中尊寺でみたハスも紅蓮のハス。DNAは同じです。白蓮でないところが中尊寺ハスの意地を感じました。
泰衡が残した種がいまに咲く義経(ぎけい)が想いいかばかりかな
やがて永福寺跡の池は紅蓮のハスで覆いつくされるかもしれませんね。それも源義経、藤原泰衡の供養。832年の悠久の流れを感じたひと時でした。