ポルトガル北部ミーニョ地方のキンタ・デ・パッソスの白ワインです。このワイナリーは16世紀から続くワイナリーでオーナーのパウロは16代目とカタログに書いてありました。ポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝えたころに創業したことになります。本樽発酵後、6カ月間オーク樽熟成。心地よい酸とバニラを思わす樽の味わいとカタログにはありました。ブドウの品種はアリント100%。この地方のブドウはアルバリーニョが多いのですが、このアリントは初めてです。実際に飲んでみて、これまで飲んだ白ワインと微妙な味の違いは感じるのですが、これを言葉で表現するのは難しいですね。ソムリエの人が一口飲んでそのワインの産地や品種などを当てるのをみていると、神業としか思えません。ただ美味しいワインであることは間違いないです。
さて今回は、読売新聞の《日本史アップデート 2021/6/29》にあった「南蛮貿易」の実態という記事を紹介します。それによりますと、南蛮貿易は1511年にポルトガルがマラッカ海峡を占領した時から始まったようです。さらに1526年に博多商人の神谷寿禎が石見銀山を発見、1543年に鉄砲伝来、1549年にザビエル(スペイン人)が鹿児島に上陸、1584年にスペインとの貿易を開始、1587年にバテレン追放令、1624年にスペイン船の来航禁止、1639年にポルトガル人の来航禁止と続きます。ただその「南蛮貿易」の実態は、当時東南アジアで猛威を振るっていた海賊集団「後期倭寇」らの貿易網にポルトガルが新規参入したことのようです。お目当ては石見銀山から産出された銀。その産出量は当時の世界全体の3分の1以上を占めていました。アジア産品を日本に運び、銀と交換して中国に輸出する中継貿易です。さらに最近の研究では、豊臣秀吉が「バテレン追放令」を出した背景の一つには、ポルトガルの奴隷市場に日本が組み込まれていたという事実があり、それを秀吉が警戒したのではないかとも考えられています。