人生悠遊

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鎌倉を知る ーー参禅での公案とは?ーー

2021-07-11 08:29:47 | 日記

さて今回は冊子『花園』のコラム「続 白隠の言葉を読む」から感じたままを紹介します。まず禅の言葉で有名な「見性成仏」を私なりに理解しました。そのまま読めば、見性して成仏するということです。まず成仏は、仏になることですね。よくやくざ映画で使われれる「早く成仏せい!!」は死ぬことですが、この成仏は正覚すなわち悟りの境地に達することです。次に見性ですが、この言葉の意味がなかなか理解しずらいですね。このコラムには、「見性とは自性(己の本性)の有り様をしかと見ること」と書いてあります。白隠禅師の『坐禅和讃』に衆生本来仏という言葉が出てきますが、この自性とは人に備わる仏の心とも解釈できます。そうすると見性とは、人に備わる仏の心を如何にして見つけ、悟りの境地に達するかということになります。

禅の世界においてその境地に至る方法は坐禅をすることで瞑想し心を静めことを勧めています。曹洞宗では面壁と言ってひたすら坐るだけ。臨済宗は曹洞宗とは異なり、白隠禅師は「読経や念仏・持戒などあらゆる実践はみな等しく見性に至る道だが、なかでも効果的なのが禅の公案(課題)だとし、公案に参じることで人は容易に疑団(疑い)を起こすことができ、それが見性へ向かう力となる」と言っています。

白隠禅師が参禅初心者に与える公案に「隻手音声」があります。これは、両手を使って叩けば音がでるが、片手で叩いて音をだすにはどうするか?という課題です。白隠禅師はまた、「ひとつの公案に対してただ参究していけば、心は消え、がらりと開けて何もなく、あたかも何ら拠るべき所がない切り立った崖にいるような状態になる。もはや絶対絶命というところで胸がカッカとし、ハタと公案とひとつになって、心身ともに消え失せる。そこから一歩踏み出せば、自ら体験したものしか分からない大いなる喜びを得る。これを見性というのである」と語っています。先ほどの「隻手音声」も答えが無くても坐禅をして必死に考える。夏目漱石は「父母未生以前の本来の面目は何か?」という公案を釈宗演から与えられ、スゴスゴと山を下りたと『門』に出てきます。何か公案の意味が分かったような気がしますが・・・自信はありません。

ただこれまでの仕事のなかでも与え得られた課題を期限までに解決しないといけない状態に追い込まれ徹夜して必死に考えたとき、フッと答えが下りて来る瞬間があります。これも悟りの一つかもしれませんね・・成仏したようです。

 

 

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