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建長寺の半増坊上の勝上献(約114m)から10分ほど歩いたところに十王岩があります。先日の原由子さんの番組でも紹介されていましたが、鎌倉のパワースポットの一つだそうです。十王岩には3体の像が彫られていますが、風化が進んでおり、どの像が何なのかは殆ど分かりません。確かなのは閻魔大王。そのほかは資料には如意輪観音、欠盆地蔵と書かれていますがどうでしょうか?まずこの場所に十王像を彫った意味を考えてみるほうがいいかもしれません。近くに岩の上に登り相模湾にほうに目を向けますと、眼下に鎌倉市内が一望でき、遠くには伊豆大島も眺められます。そして海、由比ガ浜からまっすぐに伸びる一筋の道。それが若宮大路で、途中から段葛の桜並木も見えます。ということは、その行きつく先、十王岩の真下には鶴岡八幡宮があるということ。
今はハイキングコースですが、源頼朝が鎌倉入りした当時はこの尾根筋は街道の一つであったと思われますので、頼朝もこの場所に立ち、その景色を眺めたかもしれません。左手には滑川が海に流れ込み、南が海、背後に山。この位置関係は風水上最高のロケーションだったはずです。自分が育った京都なら、左に鴨川、南に巨椋池、北山の眼下には京都御所。そこからまっすぐ伸びる朱雀大路。規模は違いますが、ミニ京都の街づくりを考えても不思議ではないでしょう。まづ鶴岡若宮を造り、そこから一直線の若宮大路を造ろう。そして水はけの悪い低地を避け、段葛で嵩上げした道を造る。これはすべて正当な源氏の嫡流を名乗る行為として必要だったと考えられます。
妄想は広がりますが、この場所は鎌倉の都市設計の起点だと思われます。そうだとすれば150年余り続いた鎌倉幕府の重要なポイント。まさにパワースポットにふさわしい場所ではないでしょうか。由比ガ浜沖の相模湾が金色に輝いていますが、842年前の頼朝の気分になりました。
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