今日は、1997年卒業の教え子と会いました。久しぶりの再会です。
先日、お母さんにばったりスーパーでお会いし、何と懐かしい気持ちになったことか。
40分くらい立ち話してしまいました。お母さんが彼に連絡をとってくれて、今日の再会となったのでした。彼からメールをもらい、とてもうれしかったです。
彼は難聴で、どのように指導したらよいのか、日々勉強でした。お母さんからもいろいろと話を聞きました。前担任からもいろいろと指導してもらいました。また、本も読みました。彼が通っていた聾学校にも行って、お話を聞きました。
でも、どこまで寄り添えたのか、そしてどこまで効果的な指導ができたのか、今の私にもわかりません。
今日はとっても嬉しかった。こんなおばちゃん先生と会ってくれるのかなあなんて思ったし≪最近、とてもおばちゃん先生であることを自覚しているので≫、当時のようにちゃんと私が話を聞きとれるかなあとか、私の話を聞きとってくれるかなあなんて思いながら行きました。
いやあ、嬉しかったのは、彼がすっかり自立していて、自分がどのように生きていくのか、自分で模索しながら、自分の道を探しながらも前へと進んでいること。
勇気をもらいました。元気をもらいました。
近頃、教え子に励まされることが多くて。
難聴の彼にとって、一番の課題は、人とのコミュニケーション。それは、仕事の上でも必要だし、社会生活を送る上でも必要だし、自分の悩みを聞いてもらったり、喜びや悲しみを分かち合ったりするにも必要だ。他の人たちがあまり、心にとめなくてもいいことかもしれないけれど、彼自身が自分にとって大きな課題であると認識しながら、前へと進んでいること。
すごいと思った。
ハンディをハンディと思わせず、仕事をきちっとすることで、その仕事ぶりを評価してもらえること、これは、彼にとって仕事を続けるやりがいや、生きがいにもつながっていくのだなと思った。
今日心に残った言葉、「ぼくは、我慢強さが取り柄だから・・・・」
そうだね、幼少期からのさまざまなトラブルや、人間関係の難しさの中で、自然と身についてきたのが我慢強さなのかもしれない。
自ら親元を離れ、自立する道を選んだ彼。そこに困難が待っていることも、十分予想されただろうけれど、あえて、その道を選んだ彼。
小学生のころからの夢であったという建築に関する仕事を選んだ彼にこれからもエールを送りたい。
あえて嬉しかったよ。あってくれてありがとう。
先日、お母さんにばったりスーパーでお会いし、何と懐かしい気持ちになったことか。
40分くらい立ち話してしまいました。お母さんが彼に連絡をとってくれて、今日の再会となったのでした。彼からメールをもらい、とてもうれしかったです。
彼は難聴で、どのように指導したらよいのか、日々勉強でした。お母さんからもいろいろと話を聞きました。前担任からもいろいろと指導してもらいました。また、本も読みました。彼が通っていた聾学校にも行って、お話を聞きました。
でも、どこまで寄り添えたのか、そしてどこまで効果的な指導ができたのか、今の私にもわかりません。
今日はとっても嬉しかった。こんなおばちゃん先生と会ってくれるのかなあなんて思ったし≪最近、とてもおばちゃん先生であることを自覚しているので≫、当時のようにちゃんと私が話を聞きとれるかなあとか、私の話を聞きとってくれるかなあなんて思いながら行きました。
いやあ、嬉しかったのは、彼がすっかり自立していて、自分がどのように生きていくのか、自分で模索しながら、自分の道を探しながらも前へと進んでいること。
勇気をもらいました。元気をもらいました。
近頃、教え子に励まされることが多くて。
難聴の彼にとって、一番の課題は、人とのコミュニケーション。それは、仕事の上でも必要だし、社会生活を送る上でも必要だし、自分の悩みを聞いてもらったり、喜びや悲しみを分かち合ったりするにも必要だ。他の人たちがあまり、心にとめなくてもいいことかもしれないけれど、彼自身が自分にとって大きな課題であると認識しながら、前へと進んでいること。
すごいと思った。
ハンディをハンディと思わせず、仕事をきちっとすることで、その仕事ぶりを評価してもらえること、これは、彼にとって仕事を続けるやりがいや、生きがいにもつながっていくのだなと思った。
今日心に残った言葉、「ぼくは、我慢強さが取り柄だから・・・・」
そうだね、幼少期からのさまざまなトラブルや、人間関係の難しさの中で、自然と身についてきたのが我慢強さなのかもしれない。
自ら親元を離れ、自立する道を選んだ彼。そこに困難が待っていることも、十分予想されただろうけれど、あえて、その道を選んだ彼。
小学生のころからの夢であったという建築に関する仕事を選んだ彼にこれからもエールを送りたい。
あえて嬉しかったよ。あってくれてありがとう。