温故知新~温新知故?

音楽ネタが多いだろうけど、ネタのキーワードは、古きを訪ねて新しきを知ると同時に新しきを訪ねて古きを知るも!!

列 中村文則 読了 〜人生を列に例えるのは興味深いかも〜

2024-08-15 15:02:53 | 
この本は、1〜2週間ほど前の確か王様のブランチで紹介されたものを予約したと思う。
男はいつの間にか、奇妙な列に並んでいた。
先が見えず、最後尾も見えない。そして誰もが、自分がなぜ並んでいるのかわからない。
男は、ある動物の研究者のはずだった。
現代に生きる人間の姿を、深く、深く見通す――。
競い合い、比べ合う社会の中で、私達はどう生きればいいのか。
この奇妙な列から、出ることはできるのだろうか。
ページをめくる手が徐々に止まらなくなる、最高傑作の呼び声も高い、著者渾身の一作。
私は列に並ぶのは嫌いだ、唯一並ぶのは大晦日の淡路町で老舗の蕎麦屋で、20〜30人の列に並ぶのと、初詣で初参りの愛宕神社の列に2,3時間並ぶことぐらいしかしたことがない。ラーメン屋などは10人くらいが限度かな。

この本の内容は、列に並ぶ人たちの悲喜交々なのだが、下のAmazonの書評を書いた人の通り、白昼夢、幻覚や、回想、列を人生と見做したりで、結構私には難解だった。傑作と評する人も多いようだが、私には、そこまでとは思えなかった。
単なる列に並ぶ人の話と思って読むと、全く違う。感想としては、いろいろ深い内容だと思うが、私には、すごく面白いとは言えないものであった。
恒例のの気になった一説は
ー欲望を、個が耐えられる範囲を超えた状態にまで、感じさせられていく。人を苦しくさせるものは、これもあるのだろうと思った。:私も、人間は欲望を追求することで、ここまで科学技術などを発展させてきたが、限界が近いかもしれないと思う。

Amazonの書評を紹介しよう。長いので途中まで。
三好常雄
仕掛けに凝った傑作作品と読んだ。丁寧に読むと全体が主人公の白昼夢だと判る。
第一部は列に並んでいる草間が、猿を見たような幻覚から意識が混乱するなかで「思い出したくない昔」を思い出す場面で終わり、第二部はその幻想シーン。
第三部で再び列にいる自分を発見するが、夢はまだ第二部の続きであり、最終頁で再び眩暈を覚えて意識が途絶えかかる。従ってこの本全体が、想像力が豊か過ぎる主人公;草間の見た「悪夢」とも言える想像劇なのである。
このような構成になる必然は、作者はこの世界のあり様を、リアリズムに依らず、かと言ってデストピアにも依らないで形で切り拓く「表彰様式」にしたかったからだ。

構成は奇抜でも、中村文則氏の癖である「過剰過ぎる説明」のお陰で意味は明解である。「列」は人間社会を構成している「序列」を示していることは直ぐ判る。
人々はそれぞれの活動分野で意識的、無意識的に、自分の立位置を見極めながら生活しているのを、著者は「列」という具体的な並びに変えて例示してみせる。
列を詰めるときの進捗感、隣の列が前進するのを見るときの焦燥感、列を離れるときの開放感や不安感など、一つ一つの具体例は身につまされる。

第二部ではそういった人間の「序列」意識を猿との比較で例示して見せる。