この本は、欲望の資本主義というTVを見ていて、ユヴァル・ノア・ハラリという人を知って、朝日新聞かなんかの書評を見て、数ヶ月前に上巻を読み、その後下巻を予約して、1週間ほど前に順番が来て昨日下巻を読了した。
読んでみての感想は、興味深い内容であるということ、クララとお日さまが小生つというジャンルで5段階で5点とすると、これも別ジャンル(社会学とか、科学書かな?)だけど5点だ。
サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福 | ユヴァル・ノア・ハラリ, 柴田裕之 |本 | 通販 | Amazonメディア掲載レビューほか
「歴史」を超えたスコープで私達を捉えなおす
出版社にはたいへん失礼なのだが、ゲイツ、ザッカーバーグ推薦の帯を見て「何だかなぁ」と敬遠した人には是非手にとってもらいたい一冊だ。「五胡十六国を覚えなさい」と言われたあたりから世界史とは関わりのない人生を歩もうと心に決めた人にも、強く勧めたい。
この本の最大の魅力は、スコープが「歴史」に留まっていないこと、そしてそのおかげで「歴史」の理解がより深まるところにある。七万年前からわれわれが生物学と歴史の両方の線路を走る存在になったこと。そして、生物としての順応力を超えたスピードで飛躍してしまったために、不安を抱えたとても危険な種になっていること。超ホモ・サピエンス(シンギュラリティ)は科学技術だけでは語れず、否応なしに哲学、社会学を巻き込んでいく。小賢しく言ってしまえば、リベラルアーツを学ぶことの重要さへの示唆が、この本には詰まっている。
(週刊文春 2016.11.14掲載)
三つの重要な革命
私たち現生人類につながるホモ・サピエンスは、20万年前、東アフリカに出現した。その頃にはすでに他の人類種もいたのだが、なぜか私たちの祖先だけが生き延びて食物連鎖の頂点に立ち、文明を築いた。40歳のイスラエル人歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』は、この謎を三つの重要な革命──認知革命・農業革命・科学革命──を軸に解き明かす。
たとえば、サピエンス躍進の起点となった認知革命はおよそ7万年前に起きた。原因は遺伝子の突然変異らしいが、サピエンスは柔軟な言語をもって集団で行動できるようになり、先行する他の人類種や獰猛な動物たちを追い払った。この認知革命によって獲得した〈虚構、すなわち架空の事物について語る〉能力は神話を生み、大勢で協力することを可能にした。後に国家、法律、貨幣、宗教といった〈想像上の秩序〉が成立するのもここに起因している。
文理を問わないハラリの博学には驚くばかりだが、レトリックの利いた平易な文章も魅力のひとつだ。そんな彼の知見と表現力に導かれ、私たちは三つの革命や壮大な文明史を再認識するだけでなく、人工知能や遺伝子操作の進歩によって現れるかもしれない〈超ホモ・サピエンスの時代〉についても考えることになる。私たちが生みだした、私たちにそっくりのサピエンスがこの世界を支配する時代の到来……ハラリは最後にこう書いている。
〈私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない〉
今、読まれるべき本である。
評者:長薗安浩
2冊の長編だが、上のアマゾンの紹介でもそれなりに分かるだろうけど、最後の訳者あとがきに素晴らしくうまくまとめられている。2,3ページだが、そこを読むと何が書かれているかを把握することができる。検索したらあとがきのリンクがあったので以下の紹介する。ここを読んでいただければ、この本の概要あるいは今までにない視点や発想のユニークさがわかると思う。そう本書ではエネルギーは不足していないとか、幸せとは物質的な満足でなく、脳内物質がある値以上になることで、中世の人が当時観んじた満足感と現代人が何かで得た満足簡易は差がない、アンチエージングの医療が進んで金持ちだけがそれを得られる危険さ、国家や政治などは想像上の世界、人間が争いや暴力で死ぬ数は増えていない、個人主義は国家にうまく利用されていて危険など。目から鱗が落ちる内容でした。
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』 - HONZ読書の醍醐味の一つは、自分の先入観や固定観念、常識を覆され、視野が拡がり、新しい目で物事を眺められるようになること、いわゆる「目から鱗が落ちる」体験をすることだろう。読んでいる本が、難しい言葉で書かれた抽象論だらけではなく、一般人でも隔たりを感じずに、すっと入っていける内容がわかりやすい言葉で綴られているものだと、なおありがたい。まさにそのような醍醐味を満喫させてくれるのが本書『サピエンス全史』だ。
だからこそ、本書は30か国以上で刊行されて世界的なベストセラーとなり、「ウォールストリート・ジャーナル」「ガーディアン」「フィナンシャル・タイムズ」「ワシントン・ポスト」などの主要紙が称賛し、『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンドも推薦しているのだろう。ノーベル賞を受賞した行動経済学者のダニエル・カーネマンは感銘を受けて二度も読み、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグも「今年の一冊」に選んだそうだ。
読んでいて、心に残ったキーワードのある部分を以下に示す。
上巻
60〜62ページ
カロリーの高い甘いものは不足していた。
カロリーの高い食べ物を貪り食うという本能は、私達の遺伝子に刻み込まれていた。一夫一婦制でもなかった
108ページ
小麦は取るに足りないものから至るところに存在するものに。狩猟採集から農業革命へ農耕民へ
117ページ
歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる。2台の車、本当に良いワインなど
126ページ
トゥアレグ族、幼いラクダの鼻と上唇に穴を開けたり、一部を切り取ったりして、乳を吸うと痛むようにして、サピエンスのの無料を確保するためにあまり多く飲ませないようにしていた。
141ページ
アメリカの独立宣言を生物学的に言い換えると
万人は平等に造られており、奪うことのできない特定の権利を造物主によって与えられており、その権利には、生命、自由、幸福の追求が含まれる。となるが、生物学という科学によれば、人々は「造られ」たわけでなく、進化した。そして間違っても「平等に」なるようには進化しなかった
205ページ
思考や概念や価値観の不協和音が起こると、私達は考え、再評価し。批判することを余儀なくされる。調和ばかりでは、はっとさせられることがない。「認知的不協和」という言葉もある。これは人間の心の欠陥と考えられることが多いが、実は必須の長所である。
219ページ
「誰もがその能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という理想は「誰もがサボれるだけサボり、もらえるだけもらう」という現実を招く。
下巻
12ページ
人間がヒツジを狩るからといって、ヒツジが人間に劣ることにはならなかった。トラが人間を狩るからといって、人間がトラに劣ることにならないのと、まったく同じだ。
25ページ
一神教信者はそのような二元論の信念(ちなみに、旧約聖書にはそうした二元論の信念はどこにもみつからない)をどうして信奉できるのだろう?論理的にはそれは不可能だ。人は、単一の全能の絶対神を信じるか、ともに全能ではない二つの相反する力を信じるかどちらかのはずだ。それでも、人類には矛盾しているものを信じる素晴らしい才能がある。
48ページ
歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私達の前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。
58ページ
近代科学は従来の知識の伝統のいっさいと3つの重大な形で異なる。
a 進んで無知を認める意志。
b 観察と数学の中心性。
c 新しい力の獲得。
84ページ
真剣な学者の中には、人間の一部が2050年までに「非死(アモータル)」(「不死(イモータル)」ではない。なぜなら、依然として事故で死にうるからだ。「非死」とは、致命的な外傷がない限り、無限に寿命を延ばせることを意味する)になると言う人も少数ながらいる。
88ページ
「気が滅入ると乳量が減る。乳牛の精神世界を理解すれば、牛たちの気分を改善する精神治療薬を開発することができ、それによって乳量を最大1割増加させられるかもしれない。牛の精神治療薬の市場は年間約2億5000万ドル規模になると見込まれる」
103ページ
宇宙飛行士が月で未知の生物に出会ったときの言葉について学んだときのエピソード。アメリカ先住民から習った言葉。彼によれば、宇宙飛行士たちが間違えないように(原住民の言葉を)苦心して暗記した一節の意味は次のようなものだった、「この者たちの言うことは一言も信じてはいけません。あなた方の土地を盗むためにやってきたのです。
117ページ
近代の科学と帝国は、水平線の向こうにはなにか重要なもの、つまり探索して支配すべきものが待ち受けているかもしれないという、居ても立っても居られない気持ちに駆り立てられていた。
136ページ
だがこればすべて、金持ちが自分の得た利益を非生産的な活動に消費するのではなく、工場を新設し、新たに従業員を雇うために使えば、の話だ。そのためスミスは念仏でも唱えるように「利益が拡大したら、地主や織屋はさらに働き手を雇う」という原則を繰り返し述べた。
148ページ
WIC(西インド会社)は河口にある島にニューアムステルダムという名の入植地を建設した。この入植地は先住民の脅威にさらされ、またイギリスに再三攻撃され、1664年、ついにイギリスに奪われた。イギリスは名前をニューヨークと変えた。
169ページ
私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見するので、私たちが使えるエネルギーの総量は増える一方なのだ。それなのに、エネルギーを使い果たしてしまうことを恐れる人がこれほど多いのはなぜか?利用可能な化石燃料を枯渇させてしまったら悲惨なことになると彼らが警告するのはなぜか?この世界でエネルギーが不足していないことは明らかだ。私たちに不足しているのは、私たちの必要性を満たすためにそのエネルギーを利用し、変換するのに必要な知識なのだ。
176ページ
(アメリカの心理学者 ハリー・ハーロウのサルの発達の研究)(サルの)赤ん坊たちは栄養を与えてくれない布の母親よりも、ミルクを与えてくれる金属の母親にしがみつくものとハーロウは予想した。
ところが意外にも、サルの赤ん坊たちは、布の母親をはっきり選び、ほとんどの時間を彼女とともに過ごした。2体の代理母を隣どうしに置くと、金属の母親からミルクを吸う間も、布の母親にしがみついていた。
189ページ
その社会変革とは、家族と地域コミュニティの崩壊および、それに取って代わる国家と市場の台頭だ。
193ページ
そこで国家と市場は、けっして拒絶できない申し出を人々に持ちかけた。「個人になるのだ」と提唱したのだ。「親の許可を求めることなく、誰でも好きな人相手と結婚すればいい。地元の長老たちが眉をひそめようとも、何でも自分に向いた仕事をすればいい。たとえ毎週家族との夕食の席に着けないとしても、どこでも好きな場所に住めばいい。あなた方はもはや、家族やコミュニティに依存してはいけないのだ。我々国家と市場があなた方の面倒を見よう。食事を。住まいを、教育を、医療を、福祉を、食を提供しよう。年金を、保険を、保護を提供仕様ではないか」
194ページ
孤立した個人からなる国家や市場は、強い絆で結ばれた家族とコミュニティからなる国家や社会よりもはるかにたやすく、その成員の生活に介入できる。管理人に支払う額についてさえ合意できない高層マンションの住人たちが、国家に抵抗することなど、どうして期待できるだろうか?
197ページ
このような想像上のコミュニティの台頭を示す最も重要な例が2つある。国民と、消費者という部族だ。国民は各国家に特有の想像上のコミュニティであり、消費者部族は市場の想像上のコミュニティのことをいう。繰り返すが、これはどちらも想像上のコミュニティだ。というのも、市場のあらゆる顧客、あるいは国民の全成員が、かつて村人たちが互いに相手を知っていたように、実際に相手を知ることは不可能だからだ。
203ページ
2002年の数字には、さらに驚かされる。5700万人の死者のうち、戦争により死亡者は17万2000人、そして暴力犯罪による死亡者は56万9000人(つまり人間による暴力の犠牲になった人の総数は74万1000人)にすぎなかったのだ。これに対して、自殺者は87万3000人にのぼった。
223ページ
そんなことは、多くの心理学者が質問表を使って発見するまでもないと言う人がいるかもしれない。たしかに、預言者や詩人や哲学者は何千年も前に、持てるものに満足するほうが、欲しいものをより多く手に入れるよりもはるかに重要なことを見抜いていた。
225ページ
新たな奇跡の治療法を受ける余裕にない人々、つまり人類の大部分は、怒りに我を忘れるだろう。歴史上つねに、貧しい人や迫害された人は、少なくともしだけは平等だ、金持ちも権力者もみな死ぬのだと考えて、自らを慰めてきた。貧しい者は、自分は死を免れないのに、金持ちは永遠に若くて、美しいままでいられるという考えには、とうてい納得できないだろう。
226ページ
人間を幸せにするのは、ある一つの要因、しかもたった一つの要因だけであり、それは体内に生じる快感だ。たった今、宝くじが当たって、あるいは新しい愛を見出して。嬉しくて跳び上がった人は、じつのところ、お金や恋人に反応しているわけではない。その人は血流に乗って全身を駆け巡っている様々なホルモンや、脳内のあちこちで激しくやり取りされている電気信号(神経、ニューロン、シナプス、セロトニン、ドーパミン、オキシトシンなど)に反応しているのだ。
230ページ
脳にはペントハウスが泥壁の小屋よりもはるかに快適であることは関係ない。肝心なのは、セロトニンの濃度が現在Xであるという事実だけだ。そのため銀行家の幸福感は、はるか昔の祖先である中世の貧しい農民の幸福感を微塵も上回らないだろう。
233ページ
幸福には、重要な認知的・倫理的側面がある。各人の価値観次第で天地の差がつき、自分を「赤ん坊という独裁者に仕える惨めな奴隷」とみなすこともあれば、「新たな生命を愛情深く育んでいる」と見なすことにもなる。
238ページ
それが仏教で瞑想の修練を積む目的だ。瞑想するときは、自分の心身を念入りに観察し、自分の感情がすべて絶え間なく湧き起こっては消えていくのを目の当たりにし、そういった感情を追い求めるのがいかに無意味かを悟るものとされている。
最後の20章 超ホモ・サピエンスの時代へでは現在の科学の進歩が進み、今後の進歩次第ではとんでもないことが問題になってきそうと、いろいろな例が示されている。その中からいくつか以下に紹介。
下は牛の軟骨細胞から作った「耳」を背中にはやしたマウス。
ネアンデルタール人の復活。
ネアンデルタール人の復活!? | ナショナルジオグラフィック日本版サイトしかし、ネアンデルタール人の無傷の細胞など存在しない。どうすればクローンを作成できるのだろう?
ハーバード大学の遺伝学者ジョージ・チャーチ(George Church)氏は2012年に出版した『Regenesis』(復活)の中で、既にゲノムが解析されている絶滅種のクローンを作成する別の方法を提案。近縁種の健康な細胞を使用するという。例えば、ネアンデルタール人の場合、現代人の幹細胞を使用すればいい。遺伝子工学の新技術をいくつか用いれば、現代人の幹細胞のDNAをネアンデルタール人のコードに書き変えることができる。
こういうのは怖くないですか?科学技術の進歩は、本当に人間を幸福にするのでしょうかね?
他にも、いっぱいありますが一つだけ以下に紹介します。
全人類の必読書『サピエンス全史』をどう読むかーー入門&解説書発売!著者来日時の裏側を語るエッセイを特別公開|Web河出全世界500万部突破!
世界に衝撃を与えた『サピエンス全史』は何を伝え、われわれにいかなる未来をさし示しているのか。
我々人類が、他の人類種を根絶やしにし、力の強い他の生物を押しのけて、この地球の頂点に君臨できたのはなぜか。
その謎をホモ・サピエンスだけが持つ「虚構を信じる」という特殊な能力から読み解き、全人類史を俯瞰し、その性質ゆえにこれから人類がたどるであろう未来をリアルに予言してみせた『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳)。