ケンのブログ

日々の雑感や日記

ラフマニノフとショスタコーヴィチ

2018年07月13日 | 音楽
集中豪雨が終わってから暑い日が続いている。
僕はテレビをほとんど見ないので梅雨明けはいったいどうなっているのだろうと
思っていた。
それでちょっとネットに梅雨明けのキーワードをいれて調べてみると
もう7月9日に関西も梅雨明けして暑い日が続くだろうという
予想が出ている。
そういえば7月9日あたりから急に暑くなってきているような気がする。
ところが天気図をみると昨日の新聞朝刊では
まだ梅雨前線は日本列島に微妙にかかっている。
なので新聞を見る限りではどうなのかなと思ってたのだけれど
今日の新聞の天気図を見ると梅雨前線は北上し
梅雨があけたと感じさせる天気図になっている。
日陰の喫煙所でたばこを吸っているだけで額にあせが
にじんでくる。
今でもかなり暑いけれどまだもっと暑くなるのだろうなと思う。
なんとか今年の暑さも乗りきれますようにと祈らずにはいられない。
五月の下旬頃だったと思うけれど歌声サロンの伴奏の先生が
リサイタルをなさってラフマニノフの交響的舞曲を連弾なさった。
モチーフの音階の落とし方が印象的な演奏で
ラフマニノフの交響的舞曲のことがこのところ頭にとりついて
離れなくなってしまった。
YouTubeでマリス ヤンソンスがサンクトペテルブルクフィルを
指揮したオーケストラバージョンでこの交響的舞曲を聴くと
僕にとってこの作品はかなり優れた作品であることがわかる。
それでちょっと調べてみるとこの交響的舞曲にふられた
作品45という番号はラフマニノフの最後の作品番号という。
作曲年代も1940年にアメリカで作曲されたとなっている。
第二次世界対戦中の作品。ラフマニノフ最晩年の作品。
道理でショスタコーヴィチにも匹敵するような
深さが作品に漂っていると思った。
ついでにというい訳ではないのだけれど
この作品を聞いたうえで作品43のパガニーニラプソディを
聞いてみるとやはりこれも壮絶な作品であることに気づく。
なんかラフマニノフのことが一気に好きになった。
もともと好きな作曲家ではあるけれど
僕に対するラフマニノフの重要度が増したような気がする。
そういうラフマニノフの晩年の深い作品を聴いていると
心の連鎖反応で急にショスタコーヴィチの交響曲第11番も
恋しくなってきた。
このショスタコーヴィチの交響曲第11番。
ベートーヴェンの交響曲についでショスタコーヴィチの交響曲を
聴く時間の長かった僕にとっても11番を聴く時間は
きっとショスタコーヴィチの交響曲を聴く時間の中でも
もっとも長い時間のひとつだったと思う。
ところが二年半くらい前にコンサート以外で音楽を聴くことが
できなくなってしまった。
だんだん回復してきて一年くらい前からショスタコーヴィチの
カルテットは聴くことができるようになったのだけれど
シンフォニーはなかなか聴くことができなかった。
ところがラフマニノフを聴いているうちに
ショスタコーヴィチのシンフォニー11番もまた
聴けるようになったように思える。
なんかこういうプロセスを経て音楽をまた聴けるようになってくることが
ありがたいと思う。
その中でラフマニノフのはたす役割がなにかあるような気がする。
音楽にはそういう不思議な力があるように思える。
ラフマニノフの音楽はきっと僕の心によいような気がする。