ケンのブログ

日々の雑感や日記

戦争の影響 春一番

2022年03月04日 | 日記歌入り
読売新聞に掲載された愛知県のローカルニュースで、中部フィルハーモニー交響楽団が演奏会でチャイコフスキーの大序曲「1812年」を演奏する予定をシベリウスの「フィンランディア」に切り替えたと出ている。

大序曲「1812年」はロシア軍によるナポレオン軍の撃退を表現しているから、戦争を連想させるというのが同曲演奏取りやめの理由と書いてある。

一方「フィンランディア」は帝政ロシアからのフィンランドの独立を表現しているという。

ニュースを読んで 現状やむを得ないと思った。

「フィンランディア」 も「1812年」に劣らず、勇壮な曲で、「1812年」を 「フィンランディア」に変えるのは、うまく考えたものだなあと思った。

そう思ったら急にフィンランディアが聴きたくなり、CDの棚を探したら、カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニーのものがあったので 思わず聴いてしまった。

指揮者のゲルギエフさんも プーチンと仲が良いけれど、ロシアの侵攻に対して沈黙しているとかでミュンヘンフィルの音楽監督を解任されたと出ている。

本当に、戦争の影響が、文化的な側面でもいろいろ出てきているなと思う。

僕の世代はあまり戦争によって演奏会のプログラムが変更になるって経験したことがないから、悲しいというより怖いことになったなと思う。

事態が穏やかに収束することを願っている。


■春一番
キャンディーズの「春一番」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければうれしいです。

キャンディーズが歌う「春一番」を聴いてみましたが3人の声の質がそろっていてとても うまく感じます。

昭和の時代のアイドルは歌を歌うことは必須でしたから、トップを走っていた人はみんなとても歌がうまいように思います。

キャンディーズは僕が中三の時に解散を発表し、キャンディーズのファンだった子は大変ショックを受けていました。

解散発表のコンサートでキャンディーズのメンバーが泣いたことも話題になりました。

「泣くんやったら やめるなよ」と 冷めたことを言ったいた子もいましたが、まだ 中三だったので、やめると決まったからこそいろいろ泣けるという感情が理解できなかった可能性が高いと思います。

本当はキャンディーズが好きなのに照れ隠しで「泣くなら やめるなよ」と言った可能性もあると思います。

暖かくなってくると、僕は、しばしばキャンディーズの「春一番」を思い出します。

↓キャンディーズの「春一番」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いました。




淡きこと水のごとし

2022年03月04日 | 日記
名古屋の地下鉄の窓に貼ってあった「新しい生活様式あるある川柳」から。

■“”ウェブ会議 映るとこだけ片付ける“”

まあね、映るとこだけ片付けると考えると楽なようだけれど、映るところは片づけなければならないと考えると大変ですね。

ウェブ会議のため家に生活臭の出ないコーナーを設けている人もいると聞きます。

本当に、それこそ新しい生活様式の家の作り方だなと思います。

■“”娘とは もともと ソーシャルディスタンス“”

作者は書いてないか、もしくは僕が座った場所からは見えなかったけれど、たぶんこれを作ったのはお父さんと思います。

というかお母さんだったら面白くないですね。

しかし、あまり娘の領域に踏み込んではいけないと思っているお父さんの方が娘とうまくいくかもと思ったりします。

もちろん お母さんでも同じことだけれど。

それで思い出したのが中国 荘子の次のような言葉。

“”君子の交わりは淡きこと水のごとし“”

これは、このことわざを検索ボックスに入れて最初に出てきたサイトの解説をコピペします。

“”くんしのまじわりはあわきことみずのごとし・・・・
よくできた人物の交際を見ていると、あまり他人の実情に深入りをしないことが多いようです。良好な人間関係を長く維持して行くためには、水のようにアッサリしたお付き合いもいいでしょう。

 「荘子」の「山木篇」に「君子の交わりは淡さこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」とあり、我々の職場の付き合いや、日常での交友関係に参考となる格言を遺しています。

「物事をよくわきまえた人の交際は水のようだ」と述べた後に続いて「つまらぬ小人物の交際は、まるで甘酒のように甘く、ベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招きやすいものだ」と述べています。“”
https://iec.co.jp/media/corner/kojijyukugo/24より引用。

僕もおおむね、そういうことではないかと考えています。

ブッダの言葉に次のようなものがあります。

“”愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生じる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか“”と。
岩波文庫「ブッダ感興のことば」より引用。

愛していても、そこから執着が生まれて、愛する対象にこだわりを持ちすぎると、自分にも相手にも憂いが生じる という意味だと僕は考えています。

こういう機会に 自分の心にもとどめておきたい考え方だと思います。

それで、記憶の連鎖で次々と関連したことを思い出してしまう僕の癖でもう少し話を続けます。

茶道の裏千家に淡交会という会があります。

関西にいるときに、それを知りました。

読んで字のごとくで淡い交わりの会 ということだと思い、きっと荘子から引用して会の名前を決めたはずだと思って 「淡交会」で検索してみると次のような記述のあるサイトが出てきました。

“”「淡交会」とは、十四代家元淡々斎宗匠の斎号に因み命名されたもので、荘子の「君子之交淡若水」 (君子の交わりは、淡きこと水の若し)に典拠するものです。

淡々としてあたかも水が流れるようになにごとにも執着せず、 どんなときにも感情に流されない平常心の交わりを意味し、茶禅一味の精神を根本とします。“”と。
http://www.urasenke.or.jp/textc/tan/より引用。

僕も、できるだけ執着を離れた平常心に努めるように心がけたいと思います。