ケンのブログ

日々の雑感や日記

春のお彼岸 花

2022年03月21日 | 日記歌入り
■春のお彼岸
暑さ寒さも彼岸までとよく言います。

立春と言ってもまだ寒いけれど、本当に春のお彼岸になると随分あたたかくなったなと感じます。

お店に行ったら、お彼岸のおはぎがでていました。

衣服のコーナーに行くとなんとなくもう初夏の衣服が目立つところに展示してあるという感じに見えました。

五月人形も展示されてますし、人形を作る会社が作成した鯉のぼりのぬいぐるみも展示されています。

五月人形は、兜のたぶん金メッキがちょっとキラキラすぎかなと思ったりして見ていましたが、たぶん、そこにもっとくすんだ色合いを求めようと思うと、素人ではわからなくらい値段も上がってしまうような気もします。

ほどほどのところで、買うときは判断しなくてはと思いました。

五月人形もいいですが鯉のぼりのぬいぐるみも 好きです。鯉のぼりの上に金太郎さんが乗っているものもあり、いろいろ趣向をこらしているんだなと思いました。

■安易にまとめすぎかもしれない

新聞を見ると、人生案内の欄にこんな文章が出ている。

「40代のパート女性。夫は幼いころから愛情不足で育ち、自己肯定感が低く承認欲求が強いです。結婚して15年、もう疲れました」と。

文章は、この第一段落で、愛情不足 自己肯定感の低さ などの抽象語を使って、全体を概略的にまとめ、第二段落以下で、夫の具体的な問題をあげつらうという構成になっている。

なので、第一段落だけを引用して、何かを語るのは書き手に失礼かもしれない。

しかし、第一段落を読んだときに、愛情不足で育ったゆえに自己肯定感が低い、なので承認欲求が強いという具合に、最近、よく用いられる、抽象用語をもちいて、また、最近よく用いられる、論理展開もそのまま用いて、安易にものごとをまとめすぎと思った。

論理学の世界で三段論法というのがある。

三段論法の具体例はこんなものだ。

人間は死ぬ ソクラテスは人間である なのでソクラテスは死ぬ。

とまあこんな具合だ。

これが数学の世界だと三段論法はより論理構成が堅固なものになる。

たとえばこんな具合だ

2で割り切れる整数は偶数である。 6は2で割り切れる。 なので6は偶数である。と

まあ、これらの三段論法に誤りはないことは普通の感覚で考えればわかってもらえると思う。

そして、人生案内の文章の書き出しをみていると

夫は愛情不足 ゆえに自己肯定感が低い ゆえに承認欲求が高い

と三つの要素がまるで自明の三段論法のように疑いをさしはさむ余地がないものとして用いられているように思えてきてしまう。

こういう考え方が、他人に対する決めつけを生んで、そこからまた新たな問題が起きてくるということが往々にしてあるから、抽象的な言葉を用いて物事を安易に決めつけることに対して、私たちはもう少し用心深くならなければならないと思う。

自己肯定感をちょっと調べてみると、必ずしも伝統的な心理学用語でもなく、また、専門家の間でも定義にばらつきがあり、類似概念との相違も明確ではないという主旨のことも書かれていたし、、、。

最近 機能性表示食品の広告でも 科学的根拠あり とか もう本当に抽象的な言葉を、意味をよく吟味もしないであんいに使う例があまりに多いように思えてくる。

あまり、このような傾向がつづくと、これまでのように科学という言葉が信頼を勝ち得るものではなく、逆にあまり科学的と言っていると怪しまれてしまう可能性も出てくるのではないかと危惧している。

もちろん あらゆるものの価値観は時代とともに変わってくるので、科学という言葉がいつの時代でも同じ価値をもつものではないことは、自明のことだとは思うけれど。

■滝廉太郎 花
滝廉太郎の「花」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければうれしいです。

春の季節になると聴きたくなる歌です。個人的には日本の歌の中で最も美しいものの一つと思っています。

大阪の歌声教室で、ピアノの先生の伴奏にあわせてみんなで歌ったときには途中で泣きそうになりました。

いい歌だなと思います。

↓滝廉太郎の「花」をカラオケDAMの音源で歌いました。