硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

隕石。

2013-02-18 20:34:02 | 日記
隕石が空から降ってくる映像の鮮明さに驚きつつも、色々考えてしまった。

広大な宇宙の中で、直径17メートル質量10トンの石がこんな小さな惑星に降ってきた。それも軌道というものに乗ってである。これを偶然と思うか必然と思うかで思考の進む方向が変わる。

どちらかと言うと僕は必然のほう。

宇宙空間をさまよっていた、隕石がたまたま地球に向かう軌道に乗るというのは確率的に低いであろうけれども、どうして軌道に乗ってしまったのかを考えると、様々な要因が重なってという理由になると思うのですが、もし宇宙その物に意思があったとしたらどうでしょう。宇宙に意思がある。という考え方はおとぎ話だとは思うけれど、無限に広がりを見せる宇宙空間はどうしてできたのか、その理由がはっきりしない以上、物理学的定義は出来ないけれど、宇宙にも意思があるという考え方も否定しきれない部分はあると思う。

宇宙そのものに意思があるとしたら、太陽の創造や銀河系の創造も宇宙の意思によって創られたと考えた方がスッキリとしていい感じがする。だから、隕石の存在も然りである。

もし、宇宙に意思があるのだとしたら、人類の意思なんて本当にちっぽけ。なぜなら、どんなに科学が発達しようとも人類は創造物の一つでしかないからです。その中で生きているとしたら人類は見えない力の法則にしかがって生きているにすぎないといえないではないでしょうか。

私達はいつも自身の目に映る物に対して色々考え、傲慢になったり嫉んだりするけれど、視点を変え宇宙の偉大さを考えれば、もっと謙虚にならなければならないのではと思ったりするのです。

資源の搾取や環境破壊等、豊かな暮らしを営もうとすると避けられない事ではあるけれど、行き過ぎると人類そのものが生きられなくなってしまう。それでも人は豊かな暮らしを望んでいる。そんな時代だからこそあの隕石はメッセージなのではと思ってしまうのです。

「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹きならそうとしている。」と。