硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

こんなこともあるんだね。

2013-03-05 19:05:49 | 日記
最近ずっと気になっていた歌があった。サビの部分が頭の中で再生される度、全体的にはどんな曲だったかなぁと考えていた。

随分昔の曲なので、なかなか聞ける機会もないなと半ばあきらめていたのですが、それが今朝、車の中でラジオをつけるとその曲が流れていた!!

こんなこともあるもんだなと驚きつつも、途中からなので全体が気になる。

なんとかならないものかとよく考えたら、現在は2014年である。ユーチューブがあるではないか。

帰宅後早速検索すると、あっさりとヒットする。しかも様々なバージョンもそろっている。大変素晴らしい世の中だなと感心しつつ、再生する。

若き日のジュリー。沢田研二さんの「サムライ」である。

あの頃はまだ子供だったのでその詩の内容もよく分からない。だから、へんてこな替え歌で歌っていた記憶が思い出される。

作詞は阿久悠さんである。今考えると恐れ多い事をしていたなと思う。そして当然ながら本当にいい歌で、ようやくその世界感が理解できる歳になった気がする。

視聴後の感動。至福の一時を味わう。画面にはジュリーの他の歌と共に、その時代のアーティストが紹介されている。

つくづく便利だなと感心しつつ、聴きたい曲をクリックすると、新たな画面には「この曲聴きたかったな」という曲が案内されている。つぼを押さえたなかなか憎らしいシステムである。

次から次へと聴きたい曲を聴いていく。歌詞は出ないけれど不思議と口ずさめる。次第に気持ちが高揚してゆく事に気づく。大声で歌いたくなる欲求を抑えつつ、ふと我に返る。目的はすでに達成したのだからと、画面を閉じる。

そしてふと考える。やはり音楽は突然の出会いと辿りつくまでの過程が長い時が一番感動する。聴きたいときに聴きたい曲が聴けてしまう事は便利であるけれど、欲求があっさりと消化されるとまた次のものへと欲求が移ってゆき、最初の感動があっという間に薄れてしまうような気がするのです。こうなると音楽というものも「大切な記憶」というより、消費されるものとなってゆくのかもしれません。

しかし、スピードが求められている以上、この事象は避けられぬものなんでしょうね。