京都府左京区にある「哲学の道」を歩く。柔らかく温かな日差し。琵琶湖疏水の清らかな流れに椿の花を見つける。見上げれば膨らみ始めたつぼみの中に散見する桜花。季節はゆっくりと移り変わろうとしている。
ガイドブックにも掲載されるほどの観光名所だけあって、平日にもかかわらず沢山の人がカメラを持って思い思いに散策している。
「哲学の道」という名は、哲学者の西田幾多郎先生やお弟子さんの田辺元先生が好んで歩かれたことと、ドイツにある「哲学者の道」から由来しているという。
後ろ手にしてぼんやりと小径を歩いていると、石碑が目に入る。西田先生が詠まれた歌が刻まれている。
「人は人 吾はわれ也 とにかくに吾の道を吾は行く也」
どんな思いでこの歌を詠まれたのだろう。ふと考えてみる。
眼前の壁のさらにその先へ行こうとする決意から生じる苦しみを詠んだのであろうか。
僕には想像がつかない。しかし、楽しんでいても、悩んでいても時間は過ぎてゆくもの。
そうでなければ、桜の花も咲くまいし、だからこそ、儚い優美な姿は、沢山の人の心を和ませてくれるのであると思う。
ガイドブックにも掲載されるほどの観光名所だけあって、平日にもかかわらず沢山の人がカメラを持って思い思いに散策している。
「哲学の道」という名は、哲学者の西田幾多郎先生やお弟子さんの田辺元先生が好んで歩かれたことと、ドイツにある「哲学者の道」から由来しているという。
後ろ手にしてぼんやりと小径を歩いていると、石碑が目に入る。西田先生が詠まれた歌が刻まれている。
「人は人 吾はわれ也 とにかくに吾の道を吾は行く也」
どんな思いでこの歌を詠まれたのだろう。ふと考えてみる。
眼前の壁のさらにその先へ行こうとする決意から生じる苦しみを詠んだのであろうか。
僕には想像がつかない。しかし、楽しんでいても、悩んでいても時間は過ぎてゆくもの。
そうでなければ、桜の花も咲くまいし、だからこそ、儚い優美な姿は、沢山の人の心を和ませてくれるのであると思う。