硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

過ぎさった年月にため息をつく。

2013-03-22 17:05:17 | 日記
職場のテレビが春の選抜高校野球を映していた。僕はあまり興味がないのですが、何気に見ていると不意に不思議な感覚に陥った。

そして、高校球児はいつから年下の人になったのだろうか?(笑)と、考えてしまった。

人は年を重ねてゆくのだから、いつかは高校球児より年上になる。当り前である。痛い話です。(笑)

でも、不思議な感覚が自身の中に生じるのには、理由があるはずである。そこを少し考えてみた。

甲子園球場で行われる高校野球はテレビと言う媒体を通して知る。テレビと言う機器は随分進化したが、テレビを観るという行為にはさほど変化がない。したがって、人がテレビを見る時、実年齢を意識して視聴する事はないと思う。そこが思考の落とし穴である。

ぼんやりとテレビを観ている「私」はテレビと言う媒体を意識し始めた年齢からほとんど歳をとっていないのだと思う。

無論、考え方は学習や経験によって広がり、それによってものの見方も大きく異なる。しかし、ぼんやりと観ている時はおそらくいつまでもテレビを意識して見始めた年齢であると思う。だから、そのまま観ていれば今の私を忘れたまま見続ける事が出来るが、テレビを見ている「私」を突然客観視したものだから不思議な感覚に陥ったのだろうと思う。

高校球児は爽やかである。応援する女子高生も眩しい。国歌斉唱を行った少女も素晴らしかった。それを思うと僕は本当に汚れてしまったと思う。(涙)

試合が始まり、ピッチャーがボールを投げる。改めて観てみると、ものすごくしなやかに身体を使って投げているのが見て取れた。僕も思わず真似をしてみると、ビックリするほど身体が動かない事に気づく。ボールを投げるという動作を何十年としていないから無理もないが、それでも泣けるほどピッチングホームがぎごちない。バッティングもしてみるがスイングも恐ろしいくらい身体が回らない。

そして、過ぎ去った年月の長さにため息をついたのである。