硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

無題

2014-04-19 23:28:39 | 日記
となりの席の人のご飯まで手を伸ばして食べようとするほど食欲のあったおばあちゃんが全く食べなくなった。自力で食べなくなったので介助を行って食べてもらえていたが、今では色々と試すけれども少し食べたら口をつぐんでしまい、食べようとしなくなった。

食事摂取を促すのは大切であるけれど、本人の意思で食べなくなった時、もしくは認知症が進み食べる事を忘れてしまった時、それでも栄養を取ってもらえるように工夫するのが介護と言う専門職の仕事であるけれど、本当にそれが幸せにつながるのだろうか。

確かに栄養をとる事は生命のかなめであるけれど、自力で食べられなくなった時、意志疎通のとれない人の心理状態を正確に判断する事が誰に出来ようか。

それなのに、介護福祉士やヘルパー2級やケアマネージャーという資格で行使して本当によいのだろうか。なんでそれが正しいと言い切れるのか。正しいという根拠はどこにあるのだろうか。

人が死に向かって歩んでいる事を忘れて、長生きはいいことだと押しつける事が本当に幸せと言えるだろうか。

用意した食事を食べてもらう事が仕事だから、幾度なく声を掛け、おかずを変え、口元にスプーンをもっていくけれどきゅっと口をつぐんで食べようとしない。

おばあちゃんの手を握るときゅっと握り返してくる。そして、眼が合うと静かに頷いた。
「もう食べられないの?」と聞くと大きく頷いた。

「配慮のない救済はそれを受け取る側の尊厳を失う。」有名な神父さんが言っていた言葉だ。しかし、こういう事を口にすると誰かの自尊心を傷つけてしまうのだ。

技術や知識を向上させるよりも、組織に対して従順である事を求められるのだ。介護保険が導入された時は輝いていた職種だったのに、今や誰もやりたがらない職種になってしまった。どうしてこんなことになってしまったんだろうか。