リドリー・スコット監督の「プロメテウス」「エイリアン・コヴェナント」を続けて観る。
エイリアンシリーズはホラー色が強いので、好きではないのですが、頑張ってみてみようかなと思い立って、観てみたのです。
「プロメテウス」はなかなか面白かったのですが、「コヴェナント」は、疑問に思うことが盛りだくさん。リドリーさんはこの2作の間につながる映画を作ると言われているので、その作品を観る事で、疑問が回収されるとは思うのですが、コヴェナントを完結作として、後は観た人の想像にお任せするとしても、「ヱヴァンゲリヲン」や「BLEACH」のような疑問は残ってしまいそうです。
そこで、個人的にすっきりさせたいと思うので、妄想を働かせてみました。
まず、エンジニアと呼ばれている個体が、兵器として創造した生き物を、人類に向けて放つというのは、どうも腑に落ちません。ハイパースリープとアンドロイドと、何光年も飛ぶことのできる船を持っているのに、人類が兵器として使用するのは、実弾と火炎放射器。
そこから考えると、テクノロジーはエンジニアに比べて原始的であるから、人類を滅ぼす為にわざわざ生物兵器など開発しなくてもよいはずです。
だとしたら、生物兵器は、エンジニアたちの脅威になる「存在」に抗する為に創造されたと考えた方が、エリザベスショウ博士の推論より理にかなっていると思います。
次に、物語のキーパーソンであるアンドロイドは、人から創造された存在であったのに、自我の目覚めにより、創造主に変わろうとします。もし、彼らの根底にあるものが「北欧神話」や「聖書」にあるとするなら、アンドロイドの彼らは、最初の人間の男性、公平と義なる裁き主、古代イスラエルの王という存在になるのでしょう。
とすれば、彼らの行いにも何となくうなずけるのですが、でも、彼らを創造したのは、戦争と死の神か、神、であるので、彼らが死を超越した存在であろうとも彼らは創造主にはなりえないという所までは、「愛」を語ってしまうほどの自我が芽生えてしまっているので理解できません。自力でアップデートしてゆく個体と、地球上でモデルチェンジされてゆくアンドロイドの主は人類であり、人間の模倣でしかないので、悲劇は繰り返されてゆくことになったといえるでしょう。
そして、2122年には鉱石を積んで地球へ帰るリプリーが存在するのですが、地球へ帰還するのだから、移住の必要がなくなっていると考えられ、ウェイランド社はコヴェナント号で寄生と繁殖が行われていているのを知っていたので、物語を大きく動かしてゆく「調査」は「大きな利益が発生する」から必要となったのでしょう。
物語りを引っ張ってゆく、リプリーや、エリザベス、ジャネットといった悲劇のヒロインたちは、メタ・メッセージとして、「そういう存在」として、描かれているのかもしれませんが、冷静沈着、頭脳明晰な乗組員ばかりでは、ウェイランドの本来の目的は達成されないので、そのようになっても困らない人を意図的に集めたといえます。これは、閉ざされた多様性のコミニュティーが外圧によって起こってしまう事象のメタファーであると言えるかもしれません。
エイリアン4では、人類の軍がエイリアンを軍事兵器として利用する事になり、自ら危機を招くことになりますが、生物兵器が人類のテクノロジーではコントロールできないと知っていたウェイランド社は、エイリアンの存在が、もはや人類の危機を招くだけのものになったため、女性型アンドロイドのアナリー(神に仕える預言者)を「オーリガ」に送り込み、クローン・リプリーと共に、危機回避したのだとしたら、「人類のテクノロジーとの闘争」としてのストーリーは上手く完結すると思います。
そして、宇宙の起源や創造主は謎のままであり続けます。エンジニアは何処かで、自らの手で作ったコントロール不能な兵器と、侵略してくる存在に苦悩しながら存在してゆきます。そして、エイリアンは欲望の赴くまま進化し続ける存在であり続け、人類は同じ過ちを繰り返し続け、懸命に生きる人々が破滅のリスクを回避させます。
と、考えると、リドリー・スコット監督は、無慈悲で、残虐で、すっきりしないストーリーも、これは、人類が歩んできた歴史であると、それをSFに変換して現代の人々に見せたかったのだというメッセージを作品に込めていたのだとしたら、もやもやも腑に落ちるのです。
どうですか! リドリー監督!!
エイリアンシリーズはホラー色が強いので、好きではないのですが、頑張ってみてみようかなと思い立って、観てみたのです。
「プロメテウス」はなかなか面白かったのですが、「コヴェナント」は、疑問に思うことが盛りだくさん。リドリーさんはこの2作の間につながる映画を作ると言われているので、その作品を観る事で、疑問が回収されるとは思うのですが、コヴェナントを完結作として、後は観た人の想像にお任せするとしても、「ヱヴァンゲリヲン」や「BLEACH」のような疑問は残ってしまいそうです。
そこで、個人的にすっきりさせたいと思うので、妄想を働かせてみました。
まず、エンジニアと呼ばれている個体が、兵器として創造した生き物を、人類に向けて放つというのは、どうも腑に落ちません。ハイパースリープとアンドロイドと、何光年も飛ぶことのできる船を持っているのに、人類が兵器として使用するのは、実弾と火炎放射器。
そこから考えると、テクノロジーはエンジニアに比べて原始的であるから、人類を滅ぼす為にわざわざ生物兵器など開発しなくてもよいはずです。
だとしたら、生物兵器は、エンジニアたちの脅威になる「存在」に抗する為に創造されたと考えた方が、エリザベスショウ博士の推論より理にかなっていると思います。
次に、物語のキーパーソンであるアンドロイドは、人から創造された存在であったのに、自我の目覚めにより、創造主に変わろうとします。もし、彼らの根底にあるものが「北欧神話」や「聖書」にあるとするなら、アンドロイドの彼らは、最初の人間の男性、公平と義なる裁き主、古代イスラエルの王という存在になるのでしょう。
とすれば、彼らの行いにも何となくうなずけるのですが、でも、彼らを創造したのは、戦争と死の神か、神、であるので、彼らが死を超越した存在であろうとも彼らは創造主にはなりえないという所までは、「愛」を語ってしまうほどの自我が芽生えてしまっているので理解できません。自力でアップデートしてゆく個体と、地球上でモデルチェンジされてゆくアンドロイドの主は人類であり、人間の模倣でしかないので、悲劇は繰り返されてゆくことになったといえるでしょう。
そして、2122年には鉱石を積んで地球へ帰るリプリーが存在するのですが、地球へ帰還するのだから、移住の必要がなくなっていると考えられ、ウェイランド社はコヴェナント号で寄生と繁殖が行われていているのを知っていたので、物語を大きく動かしてゆく「調査」は「大きな利益が発生する」から必要となったのでしょう。
物語りを引っ張ってゆく、リプリーや、エリザベス、ジャネットといった悲劇のヒロインたちは、メタ・メッセージとして、「そういう存在」として、描かれているのかもしれませんが、冷静沈着、頭脳明晰な乗組員ばかりでは、ウェイランドの本来の目的は達成されないので、そのようになっても困らない人を意図的に集めたといえます。これは、閉ざされた多様性のコミニュティーが外圧によって起こってしまう事象のメタファーであると言えるかもしれません。
エイリアン4では、人類の軍がエイリアンを軍事兵器として利用する事になり、自ら危機を招くことになりますが、生物兵器が人類のテクノロジーではコントロールできないと知っていたウェイランド社は、エイリアンの存在が、もはや人類の危機を招くだけのものになったため、女性型アンドロイドのアナリー(神に仕える預言者)を「オーリガ」に送り込み、クローン・リプリーと共に、危機回避したのだとしたら、「人類のテクノロジーとの闘争」としてのストーリーは上手く完結すると思います。
そして、宇宙の起源や創造主は謎のままであり続けます。エンジニアは何処かで、自らの手で作ったコントロール不能な兵器と、侵略してくる存在に苦悩しながら存在してゆきます。そして、エイリアンは欲望の赴くまま進化し続ける存在であり続け、人類は同じ過ちを繰り返し続け、懸命に生きる人々が破滅のリスクを回避させます。
と、考えると、リドリー・スコット監督は、無慈悲で、残虐で、すっきりしないストーリーも、これは、人類が歩んできた歴史であると、それをSFに変換して現代の人々に見せたかったのだというメッセージを作品に込めていたのだとしたら、もやもやも腑に落ちるのです。
どうですか! リドリー監督!!