特別養護老人ホームで、おやつのドーナツを食べた直後に意識を失い死亡した事故で、准看護師さんが有罪判決を受けたという事件の記事を読んで、思ったことを一石。
裁判は、亡くなった利用者さんの死因や、おやつの形態の変更の確認を怠った過失が争点となっていて、弁護団長さんは「入所者が亡くなる度に介護職員の過失を問われてしまうのか。このままでは日本の介護施設は成り立たない」というコメントを出している。
この記事を書いた記者さんは、「この裁判は、介護中の過失事故で刑事責任が問われたことは人手不足が続く介護現場の委縮につながりかねないとの懸念が強くなるのでは」と指摘している。
記事によると、その利用者さんは事故の数日前からおやつをゼリーに変更されていたが、その日は、ドーナツを出してしまったとあった。
普通のおやつからゼリーに変更がなされていたのだから「嚥下状態が悪い」から、変更になったのだと思う。では、なぜ、変更されたおやつが変更されなかったのかである。
それは判決通り「確認」という義務を怠ったという事でもあるけれど、「ゼリーに変えましょ」と現場のスタッフで決めたはずであるのに、なぜ、それが周知されなかったのかが問題である。
また、嚥下状態が悪い利用者だから、食べる様子を見守ってあげる必要が発生していて、「食事介助」がその時の最も重要な仕事になるから『人が足りないから見守れなかった』という理由は難しい。
この状況を、「罪ではない」とするならば、介護の仕事は、誰にでもできる事が出来なくてもいいという事になり、しいては、介護福祉士などの国家資格も意味をなさなくなるのではないだろうか。それこそが、介護現場が専門職の仕事として成り立たなくなるのではと思う。
個人的には、現在の介護施設は職員の善意で成り立っているのだから、社会資源として維持してゆきたいと社会が望むのなら、准看護師や介護福祉士などの資格を廃止した上で、無罪としてもいいと思うけれど、(極論だけれど勝訴するということは、社会的に見て、仕方のない事だったんだなと納得させることが必要なんだと思う)施設がこの先も「社会資源であり続ける」のであれば、リスクマネジメントの問題もあるのだから体制はどうであったかは問われなけばならないのではと思う。
裁判は、亡くなった利用者さんの死因や、おやつの形態の変更の確認を怠った過失が争点となっていて、弁護団長さんは「入所者が亡くなる度に介護職員の過失を問われてしまうのか。このままでは日本の介護施設は成り立たない」というコメントを出している。
この記事を書いた記者さんは、「この裁判は、介護中の過失事故で刑事責任が問われたことは人手不足が続く介護現場の委縮につながりかねないとの懸念が強くなるのでは」と指摘している。
記事によると、その利用者さんは事故の数日前からおやつをゼリーに変更されていたが、その日は、ドーナツを出してしまったとあった。
普通のおやつからゼリーに変更がなされていたのだから「嚥下状態が悪い」から、変更になったのだと思う。では、なぜ、変更されたおやつが変更されなかったのかである。
それは判決通り「確認」という義務を怠ったという事でもあるけれど、「ゼリーに変えましょ」と現場のスタッフで決めたはずであるのに、なぜ、それが周知されなかったのかが問題である。
また、嚥下状態が悪い利用者だから、食べる様子を見守ってあげる必要が発生していて、「食事介助」がその時の最も重要な仕事になるから『人が足りないから見守れなかった』という理由は難しい。
この状況を、「罪ではない」とするならば、介護の仕事は、誰にでもできる事が出来なくてもいいという事になり、しいては、介護福祉士などの国家資格も意味をなさなくなるのではないだろうか。それこそが、介護現場が専門職の仕事として成り立たなくなるのではと思う。
個人的には、現在の介護施設は職員の善意で成り立っているのだから、社会資源として維持してゆきたいと社会が望むのなら、准看護師や介護福祉士などの資格を廃止した上で、無罪としてもいいと思うけれど、(極論だけれど勝訴するということは、社会的に見て、仕方のない事だったんだなと納得させることが必要なんだと思う)施設がこの先も「社会資源であり続ける」のであれば、リスクマネジメントの問題もあるのだから体制はどうであったかは問われなけばならないのではと思う。