Twitterのアカウントを作ったきっかけは、LINEでジブリのスタンプを購入したことが始まりでした。
スタンプを購入すると、STUDIO GHIBLIから、イベントがあるごとにLINEからお知らせが来るので、欠かさずチェックしていると、地上波でジブリ作品が放映される度に、公式Twitterのみで観られるものがあるというお知らせも同時に紹介されていた。
気にはなってはいたが、TwitterというSNSは、いい印象がなく、正直、怖かった。
だから、暫くは何もせずにスルーしていたのですが、意志の弱さというべきか、怖いもの見たさと言うべきか、見てみたいという欲望にかられたというべきか、ジブリ作品の地上波の連絡の際に、四苦八苦しながらTwitterのアカウントを作成。
そしてようやく見られるようになり、ファンの声や、イラストに歓喜。
それで、個人的な目的は達成されたはずだったのですが、ほっておくと、Twitterからのお知らせが入るようになった。
そのお知らせは、某タレントさんのtweetで、セクシーなショットであった。
「なぜに?」
と、思いながらも、そのままにしておくと、また、そのタレントさんのtweetのお知らせが入った。
「なぜに?」
タレントさんなら沢山いるのに、なぜこの人なのだろうと不思議に思っていると、日を追うごとに他の方のセクシーショットのお知らせも来るようになった。
何故にと考えていると、一つの解にたどり着いた。それは、「僕がオジサンだから、こんなの好きでしょ? 」と、Twitterが判断したのかということでした。
大変悔しい。(笑)
そして、どうして、最初に来たお知らせのタレントさんが、その人だったのかにも気が付いた。(同じ県民だったからだと思う)
さらにTwitterからのお誘いは続き、フォローする人を見つけてみませんか? という誘惑を僕に投げかけてきた。
その誘惑に対し、どうするべきか悩みましたが、Twitterは言論の場でもあるから、自分の本棚の中に納まっている本の著者の、思想家、保守的な学者、右寄りのジャーナリストと、最近、ネットで知った、期待している国会議員さんフォローする事にした。
もちろん、そこには狙いがありました。
バランスよくフォローする事で、情報が偏らないだろうと思ったからでしたが、読む者にとって大変ストレスのかかる事態になってしまいました。
それは、tweetが、偏っていないために、何が正解なのかが全く分からなくなったからです。
TwitterとかYouTubeは自分の好みのものを意図的に見聞きできる嗜好品ですので、繋がれば、欲望が充足され、それで、利益が出る仕組み。それを逆手にとってフォローすれば、ストレスがたまるのは理に適ってるなと思いました。
そして、ストレスのもう一つの原因は、Twitterの特徴である、開かれた言論の場でした。
開かれた言論の場というのは理想的なのですが、(まったく自由と言うわけでもないが)頭のいい人、そうでない人、真実を真摯に語る人、大ぼらを吹く人、人を助けたい人、人を貶めたい人が、一斉に同じ土俵で語るので、全部を読んでいると、次第に気分が悪くなってきます。
推し活に特化すれば、幸せなのかもしれませんが、推す人もいないので、(いないというよりも、推す気力、そこまでの動機がない。いやちがう。画面越しのコミニュケーションにときめかないからかも)そこに力量を注ぐことができません。
でも、それは単に僕が時代にうまく乗れていないだけかもしれません。
少し話は外れますが、昨日の新聞にイーロンさんが他国より日本でのTwitterの活用率が高いというコメントを出した記事が載っていました。
それを見て、思ったのは、日本の国土は狭く島国なので、識字率が高い事と、SNSにつながれる環境が他国よりも整っているからなのかなと思いました。
その事象は、自由な言論の場という意味では、成熟された国ともいえますが、(国に関する事は制約されているけれど)それによって引き起こされる弊害も多い。(誹謗中傷など)
そう考えると、SNSはうまく利用すると、幸せを得られるけれども、上手く利用できないと不幸になってしまうと言えるのかもしれませんね。
スタンプを購入すると、STUDIO GHIBLIから、イベントがあるごとにLINEからお知らせが来るので、欠かさずチェックしていると、地上波でジブリ作品が放映される度に、公式Twitterのみで観られるものがあるというお知らせも同時に紹介されていた。
気にはなってはいたが、TwitterというSNSは、いい印象がなく、正直、怖かった。
だから、暫くは何もせずにスルーしていたのですが、意志の弱さというべきか、怖いもの見たさと言うべきか、見てみたいという欲望にかられたというべきか、ジブリ作品の地上波の連絡の際に、四苦八苦しながらTwitterのアカウントを作成。
そしてようやく見られるようになり、ファンの声や、イラストに歓喜。
それで、個人的な目的は達成されたはずだったのですが、ほっておくと、Twitterからのお知らせが入るようになった。
そのお知らせは、某タレントさんのtweetで、セクシーなショットであった。
「なぜに?」
と、思いながらも、そのままにしておくと、また、そのタレントさんのtweetのお知らせが入った。
「なぜに?」
タレントさんなら沢山いるのに、なぜこの人なのだろうと不思議に思っていると、日を追うごとに他の方のセクシーショットのお知らせも来るようになった。
何故にと考えていると、一つの解にたどり着いた。それは、「僕がオジサンだから、こんなの好きでしょ? 」と、Twitterが判断したのかということでした。
大変悔しい。(笑)
そして、どうして、最初に来たお知らせのタレントさんが、その人だったのかにも気が付いた。(同じ県民だったからだと思う)
さらにTwitterからのお誘いは続き、フォローする人を見つけてみませんか? という誘惑を僕に投げかけてきた。
その誘惑に対し、どうするべきか悩みましたが、Twitterは言論の場でもあるから、自分の本棚の中に納まっている本の著者の、思想家、保守的な学者、右寄りのジャーナリストと、最近、ネットで知った、期待している国会議員さんフォローする事にした。
もちろん、そこには狙いがありました。
バランスよくフォローする事で、情報が偏らないだろうと思ったからでしたが、読む者にとって大変ストレスのかかる事態になってしまいました。
それは、tweetが、偏っていないために、何が正解なのかが全く分からなくなったからです。
TwitterとかYouTubeは自分の好みのものを意図的に見聞きできる嗜好品ですので、繋がれば、欲望が充足され、それで、利益が出る仕組み。それを逆手にとってフォローすれば、ストレスがたまるのは理に適ってるなと思いました。
そして、ストレスのもう一つの原因は、Twitterの特徴である、開かれた言論の場でした。
開かれた言論の場というのは理想的なのですが、(まったく自由と言うわけでもないが)頭のいい人、そうでない人、真実を真摯に語る人、大ぼらを吹く人、人を助けたい人、人を貶めたい人が、一斉に同じ土俵で語るので、全部を読んでいると、次第に気分が悪くなってきます。
推し活に特化すれば、幸せなのかもしれませんが、推す人もいないので、(いないというよりも、推す気力、そこまでの動機がない。いやちがう。画面越しのコミニュケーションにときめかないからかも)そこに力量を注ぐことができません。
でも、それは単に僕が時代にうまく乗れていないだけかもしれません。
少し話は外れますが、昨日の新聞にイーロンさんが他国より日本でのTwitterの活用率が高いというコメントを出した記事が載っていました。
それを見て、思ったのは、日本の国土は狭く島国なので、識字率が高い事と、SNSにつながれる環境が他国よりも整っているからなのかなと思いました。
その事象は、自由な言論の場という意味では、成熟された国ともいえますが、(国に関する事は制約されているけれど)それによって引き起こされる弊害も多い。(誹謗中傷など)
そう考えると、SNSはうまく利用すると、幸せを得られるけれども、上手く利用できないと不幸になってしまうと言えるのかもしれませんね。