硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

いくつになっても・・・。5

2024-08-02 17:05:30 | 日記
繁華街の夜は共通して若い男女が沢山歩いている。皆楽しそうである。
しかし、その様子を見ていて、一見すると日本は経済的に豊かな国と映ってしまうが、目に見えない社会的格差はこういう場所にこそ顕著に表れるものなのだと思ったりもしたが、週末を楽しもうとして言う若者たちにそんな事はどうでもよいのである。
なぜなら個人が胸中に抱える問題であり、そのはけ口を夜の繁華街に求めてやってくるのだから。

時刻は21時を回っていた。もちろん街の盛り上がりはこれからという感じで、歩道から見える飲食店の中はお客さんでにぎわっている。
しかし、僕の日常では21時過ぎは、お風呂から上がっていて、就寝のための余白時間。
頭の中では、もう少し繁華街を散策しようとか、jazzのライヴを聴きに行こうとか、クラブミュージックを聴いてみたいとかいう思いはあるのであるが、身体は疲労しきっていて、ハジけようという気にはなれない。

松坂屋の間を抜けスクランブル交差点を渡り、白川通りを歩いてかつてロフトだったビルを横目に見ながら「もうロフトじゃないんだ」と思いつつ、プリンセス通りへ。街角のブルーシールアイスクリームのお店の前で、甘味に欲するが、お店の前で戯れている若者に待ちきれず早々諦める。
日中には何度か歩いている道なので歌舞伎町を歩いた時の緊張感はないが、それでも周りに注意しつつ歩みを進めてゆく。
宿の近くの狭い歩道には、なぜか若者がたむろっていた。カラオケ屋があるからか、いやそれだけが理由で人は集まらないだろうと思いながら、ぶつからないように気を付けてお宿へ滑り込んだ。

翌朝。いつものルーティンで5時起床。散歩に出かける。いつもは田園風景の中を歩くので街の散歩はうきうきする。
ふくらはぎや腰に疲れがたまっているのが、気持ちが上回っているのが分かる。
歩道にでるとすぐさま衝撃を受けた。
若者たちが歩道に座り込んでまったりしている。しかも100m位の区間にぎっしりである。仲間と語らっている人もいれば、一人でスマホをいじっている人もいる。(一人でスマホ見ているなら家に帰ればいいのにと思ってしまうが、それは違うのであろう。)
そして彼らの周りにはゴミが散乱している。なんだろう?これはどういう事なんだろう?と、観察していてふと浮かんだのは、昭和の日本の繁華街の風景。
なるほど、彼らの感性は昭和へ戻りつつあるのかもしれない(エモいというのもその兆候かもしれない)と思いつつ彼らの間をすり抜けてテレビ塔方面へ歩いてゆく。
すると突然片言の日本語で「オニイサンコレカラオサケドウ?」といきなり話しかけてくる女性がいた。朝の5時半であるにもかかわらずである。怖くなって丁寧にお断りをする。

街はこれだから油断できない。