19~20歳の頃、私は、今思うとどうして?と思うような、ろくでもない男と付き合ってる、ろくでもない女だった。
殴る男だ。
ひどい目にあいながら、そいつと別れられなくて、ずるずる2年も付き合ってしまった。
自分を大事にする、ということがわからなかった。
家には帰りたくなかった。私の居場所のない家。
私を責めてばかりいる母と、無視してる父の、冷たい冷たい家。
そこに帰るぐらいなら、殴る男といるほうがマシだった。
そんな男の彼女をやってるだけだって大変なのに、私はあるいいお天気の日曜、高校時代の友達の入院してる病院に一人でお見舞いに行った帰りに、ある知らないどこかのオヤジに道を聞かれて車に引きずり込まれ、何時間も連れ回されて、絞め殺されるかと思うような恐ろしい目に遭わされてしまった。
林の中に深夜、(多分)盗難車と一緒に置き去りにされた私は、なんとか生還して、殺されるかと思った恐怖と受けた傷とを、誰かに分け持ってほしいと思った。
でも、家に帰ると、両親は私を咎めた。尋問のように問い詰めた。私はすくんでしまい、本当のことが言えなかった。
彼氏(だと思ってた、例の殴る男だ)に電話して、「知らないおじさんに道を聞かれてね、車に連れ込まれて…」と、そこまで言ったところで、「相手は何人だ」と聞くので「一人だよ」と言ったら、「相手が複数ならわかる。一人だったら、抵抗しきれたはずだ。被害者面して、ほんとは自分から車に乗ったんじゃないのか。これだから、自分は可愛いと自惚れてる女はいやだ。男がみんなちやほやしてくれると思ってるから、警戒心がないんだ」と吐き捨てるように言われた。
それ以上、私は何も言えなかった。
何が起きたのか、正直、自分でもはっきり思い出せないぐらい、私はズタズタにひどい目に遭った。でも、誰も私の話を聞いてくれる人はいなかった。怖かった、と泣きたかった。「おかえり、命が助かってよかったね。怖かったね」と言ってほしかった。
それがそんなに難しいことなのか。
ああ、ごめんなさい。
私はこんなことを書くために、このブログを立ち上げたんじゃないのに。
ごめんなさい。
ただ、私の胸におさめておけなくて。
今日は許してください。
今日は、朝からずっと仕事の一日でした。
買出しも娘に頼んで、夕ご飯はラーメンで。
なんとか明日には終わりそうな目途が立ちました。ああ、疲れたよ。
一日、中島美嘉さんの「VOICE」を聴いていました。聴くほどに、どの歌もよくて、よりいっそう彼女を好きになりました。
私は「NANA」を観ていないのですが、今度借りてみようかなあ。松山ケンイチさんも出てるっていうし。観てみたい。
仕事をしながらも、昔のことを次々思い出して、特に短大時代の2年間、私は勉強していた覚えしかなかったのですが、いろいろ辛いことがあって封印してたことを芋づる式に思い出して、吐きそうになったりして。
こんなはずない、これは私の妄想なんじゃない?って、何度も思ったけど、やっぱり事実だったんだ、と認めるしかなくて、悲しかったり悔しかったり、嵐のような感情に襲われました。
誰でもみんな、人に言いたくない辛かった経験はある。そう思って生きてきたけど、神様、これはちょっとひどくない?
それとも私が単に人よりバカだってことなのかな?
明日も一日仕事をしてると思います。
また吐きそうになるのかなあ。
やり場のない思い。このごちゃごちゃの気持ちに、整理がつく日が本当に来るんだろうか。
仕事が忙しいのが救いなのかもしれない。
あさって、仕事を納めたら、帰りにリラックマの「だらだらファンブック」を買うんだー。明日、やっとお金が入るので。うふ。
じゃあまた明日ね。
おやすみなさい。
ようこそ、卯月です。
日付が変わってしまいましたが、今日がまだ13日だと思って読んでください。
今日はカウンセリングに行ってきました。
最近の私の頭の中は、昔にあった、ある出来事のことでいっぱいで、それを聞いてほしくて行ったのですが、やっぱりうまく話せなくて、途中で席を立ってしまいました。
聞いてほしいのに言いたくない、という矛盾した感情を、持て余していました。
先生は、ドアのところで私を止めて、なんとか私の混乱をしずめようと、穏やかにやさしく、私のつらい気持ちを汲んでくれる言葉をかけてくださいました。
「私がどんな話をしても聞いてくれるの?」と聞いたら、先生は「どんなことでも、あなたが話したいことなら聞きます」と言ってくださいました。言うだけなら簡単だけど、私は先生の覚悟みたいなものを、そこから感じました。
結局泣くばかりで、話は進展しなかったのだけれど、先生は「また気が向いたら、続きを聞かせてください。自分を責めてしまいそうになったら、話してください」と言ってくださいました。
握手して別れました。
帰り道、私は本屋さんに寄って、性犯罪に関する本を探しました。本屋さんの入り口では、店員さんが絵本をクリスマス用にラッピングしていて、クリスマスカードも売られていて、「街はクリスマスなのにどうして私は性犯罪の本なんかを探しに来ているのだろう」と、悔しい気持ちになりました。情けなくもありました。
『片づけられない女のための 今度こそ! 片づける技術』という、何やらたのしいお片づけの本もついでに買ったのでしたが。
家に帰ったら、なんだかすごい脱力感で、何もする気になれませんでした。
すごく泣いたから、そのせいもあったのでしょうが。
まだまだ泣き足りない気がしました。
「まだスタートに立ったばかり。これからです。あなたは(その出来事に)向き合おうとしている」と言った先生の言葉を思い出していました。
「私は何も(努力を)していない。克服できていない」と泣いた私の言葉を受けての言葉でした。
これからだ。私は前を向いて歩いていけるだろうか。ここを、越えられるんだろうか。
なんだか訳のわからん話でごめんなさい。
今夜はここまでにします。
おやすみなさい。