「河口湖から」の最終回として、河口湖での生活の一端を報告します。起床は毎日5:30a.m.~6:00a.m.
ベランダで本などを読んでいると、孫たちが起きて来ます。そこで衆議一決、毎日散歩にでかけることとなり
ました。
上はコテージを出るとすぐに目に飛び込んでくる早朝の富士、下は散歩道に面した民家の軒下のアサガオに留
っていたアマガエル。冷気に満ちて引き締まった空気。遠くに犬を連れて歩く人影があるのみで、あたかも私た
ちがこの世界の中心にいるかのような気分に包まれながら、私は口から出まかせに次々と歌を唄い、下の孫と結
んだ手を振りました。「朝だ、朝だよ、朝日がのぼーる~、……」「お手て、つないで、のーみちを行けば、
…」。私が唄いだすと孫娘は身をよじって笑います。多分、都会生活者には、歌を歌いながら道を歩くというこ
とが、逆立ちをして道を歩くぐらい奇妙なことに思えるのでしょう。でも、朝の草原を前に「牧場の歌」を、沈む夕日を見ながら「夕焼けこやけ」を、そして夜空を見上げて星の歌をと、その時々に歌とともに全風景の情感
を楽しむという感性を身につけて欲しいものだと思い、毎朝、私は歌を唄う散歩をしました。
朝食は7:30a.m.~8:00a.m.ごろ。孫たちは食事の準備も後片付けもよく手伝う。私も厨房のお手伝い
は好きな方だが、一番遅くまで寝ていて全然手伝わないのが息子。「あいつは、いかんなあ」と言うと、「いい
え、彼は、夜中に2時間も3時間もメール処理をしてるんですよ」と嫁。これには驚きました。仕事上のメール
には休日も休暇もないとのことです。そういえば、かつて息子が電話で「欧米には“お盆”の習慣はないので」
と言っていたことがあります。
お出かけはいつも10:00a.m.ごろ。お出かけ先に困ることはありません。困ることといえば“どこも大混
雑”ということでしょうか。富士登山口の一つで標高2,305mの「富士スバルライン五合目」へも出かけた
かったが、連日大混雑で「駐車場での待ち時間5時間」という日もありました。
上の写真は「忍野(おしの)八海(はっかい)」へ出かけた時のものです。ここは、岩に浸み込んだ富士山の
雪解け水が、数十年かけてここまで流れてきて、八つの吹き出し口から湧き出すところで、大きな池が八つ(八
海)あるのだそうです。もちろん「日本名水百選」の一つに選ばれています。
この写真は、山中湖の遊覧船で、白鳥を模して造られています。山中湖には橋が架かっていませんので、こん
なに首の長い船も就航できます。一方、河口湖でも遊覧船が巡っていますが、こちらは中央に橋がありますか
ら、背の低い遊覧船です。この日はお天気もよく、湖面を渡る風も心地よく、みな最上階の甲板に出て、富士山
を始め周りの山々の美しさにうっとりとしていました。
お昼はいつも外食にしていました。どこへ行っても立派なお店がいっぱいあって、子ども連れも困りません。
ただ、注文してから料理が届くまでの時間がおそろしく長くなっていて、昭和11年生まれの世代は少々戸惑い
ます。かつてよく出かけていたアメリカもカナダもオーストラリアも、ちょっと郊外に出るとレストランでよく
待たされました。「このあたりでは、注文を受けてから材料を仕入れに行くらしい」などとつまらない冗談をい
い、これは生活習慣、つまりは文化の違いだ、などと言っていましたが、今、日本がかつての米・豪と同じにな
っていました。これは文化の違いではなく、経済構造の問題でした。悪いところも似てくるんですネ。この付近
の問題を調べてみたい衝動を感じています。
8月19日は夕方から急に涼しくなり、20日は朝から小雨で気温も9月下旬とかになりました。滞在中は日
本列島が記録的な猛暑に見舞われ、私たちの旅は絵に書いたような「避暑」となり、その上、小2を含む孫たち
のあどけない仕草に触れ、喜びもひとしおでした。東京方面も名古屋方面も、少し渋滞がありそうだという予報
で、20日は少し早めにそれぞれの帰途に着きました。