平成17年、私はチョットした地域の仕事を引き受けていました。私の住む地域は、昭和30年、4ヵ町村が合併して誕生した市で、当時は「人口3万の市」と揶揄されていました。あれから50年以上過ぎていますが、今もなお合併前の「町」の繋がりが強く、私と同じ年に同じ仕事を引き受けていた旧町内の9人が集まって、同窓会のように毎年旅行に出かけています。昨年は山陰のハワイと鳥取砂丘、今年は1泊2日の和倉温泉でした。この旅の報告を2回に分けて行います。
最初に紹介したいのが、羽咋(はぐい)市にある『コスモアイル羽咋』です。この博物館はアメリカのNASA特別協力施設だそうで、宇宙開発初期の各種機材がソ連のものも含めて展示してありました。そして、この博物館の魅力の一つが学芸員による懇切丁寧な説明でした。
上の写真が宇宙服。重さが80キロだそうですが、月面では重力が6分の1だから13.3キロほどに感じ、体重も軽くなるので重圧感はないとのこと。背負っているのは電池で、ここからの電力ですべてをコントロールしているそうです。一番下の下着の中を血管のように温水が流れて体温を保ち、その上の下着が密閉していて気圧を保ち、その上の衣類で断熱保温、その上の衣類で紫外線をカットしているとのこと。さらに興味深かったのは顔面を覆うガラスに金(ゴールド)のコーティングがしてあるということで、月面では紫外線が強く普通のガラスでは5分で網膜がやられて失明してしまう。中から外は見えるが外からの紫外線が中に入らないようにするには金のコーティングが最良だそうです。もう一つ、面白かったのは、宇宙飛行士が月面で自由に腕時計を見えるようにする工夫。もちろん飛行士はケネディー宇宙センターと自由に交信できるので、時間は聞けるのだがるのだが、それでももっと気楽に腕時計が見たくなるだろう。ところが腕がよく曲がらないし顔も下を向けないので時計が見えない。そこで考えられたのが右腕の腕時計を左腕の鏡に映し、その鏡を見て時間を知るという方法だそうです。だから宇宙飛行士がはめていた腕時計は文字盤が全部鏡文字だそうです。
右が「マーキュリー宇宙カプセル」と呼ばれる米国製一人乗用のカプセルで、初めての有人飛行用宇宙船です。見てすぐ分かるように大陸間弾道ミサイルを改良したもので、乗り心地は最悪、決死の飛行でした。左はソ連製月面探査機で、実際に月の砂を採取して地球へ持ち帰ったそうです。その他、宇宙好きの人には見逃せない展示物がたくさんありました。
泊まったホテルは「のと楽」、能登島に渡る美しい橋が眼下に見える好立地、ホテル専用の桟橋では地元の人がイイダコを釣っていました。