翌日の出発は朝9時。例のごとく土産物店を始め、いろいろな所を巡りましたが、ここでは3ヶ所について報告します。最初は、能登金剛クルーズ。地形的に、冬季、北西の寒波・強風に煽られて押し寄せる日本海の荒波に削られて出来あがった奇岩・洞穴を、観光船に乗って観賞しようというコース。この観光船は風が強いとすぐ休航になると聞いていましたが、幸い好天に恵まれ20分のクルーズを楽しみました。
10日ほど前、北朝鮮からの脱北船が漂着したのがこの付近(金沢港に曳航されました)でありました。このことから分かるように、日本の古代史にとっては、このあたりは先進文化の表玄関でした。能登半島の「能登」の語源はアイヌ語の「ノット」だそうで、アイヌ語で「ノット」は鼻という意味、つまり海に突き出た半島が、アイヌ人には「陸地の鼻」に思えたのだろう、とのことでありました。その上、この付近には、かつてアイヌの人々が住んでいたことも分かっているようです。荒れる日本海と壮絶な人々の戦い、その間隙に漂着物や漂流民が混じり、その小さな幸運が新しい歴史の扉を開いたであろうドラマに、思いを巡らせた20分でした。
次に訪れたのが「能登の一宮(いちのみや)、気多大社」でした。失礼ながら、こんな僻地には珍しい風格のある神社で、その上“能登の一宮”と聞いて、少し驚きました。一宮の所在地はどこも大きな街になっていると思っていましたから。
このお宮のご祭神は「大国主命」で、出雲から船でこの地の来られ国を拓かれたと伝えられています。また、ご神体は「入ずの森」で、その神域にはこの1000年間刃物を持って入っていない、つまり正真正銘の原生林がご神体であるとのことでした。私はこの「ご神体」に興味を覚えました。自然崇拝の極致です。社務所で驚いたのは、この神社の「由緒」書きが日本語、英語、韓国語、中国語、台湾語の5重類あったことです。そのうち日・英・中の3種類を貰ってきました。英語版を見て驚きました。何とこの神社の名前は「けた(Keta)たいしゃ」でした。(スキャンがうまくいかず、映像不鮮明ゴメンナサイ)
万葉集には越中守大伴家持がこの地に巡行したときに詠んだ歌が残されています。また、昭和58年、天皇がこの地に行幸。それを機会にここより800mほど離れた場所にある遺跡を発掘調査したところ、縄文前期からの大集落遺跡が発見されたとのことです。縄文遺跡と一宮、やはり関係があるのでしょうか。古代ロマンです。
「気多大社(けたたいしゃ)」のホーム・ページもお勧めです。
最後は千里浜ドライヴウエイ出口付近に作られていたサウンド・アート。前日は快晴で、紺碧の海に白い波線が美しい千里浜でしたが、この日は間もなく雨、眼前には寒々とした冬の日本海が顔をだしていました。