8月13日の毎日新聞「余禄」に「稲妻」に関する日本語の派生的造語と古代人の宗教・信仰に関して面白く書いてていました。「稲妻」は中・韓国でも使われていた言葉の様だが我が国へ来て「稲夫」と云う字が使われるようになり、さらに「稲殿」さえ使われはじめたという。つまり妻→夫→殿と遊んだ訳だ。この背後には天の神は男で稲は女、天の神が稲と交わると米がとれるというイメージがあった。雷が良くなった年は豊作だと信じられていたといいます。これは事実で高電圧の放電は空気中の質素を固定する作用があるとかで、酸化窒素が雨と一緒に水田に降り注ぐとこれが絶好の肥料にになって、稲を育て、確かにお米の増産に役立つ。今のように「土砂崩れに注意などと云うことは誰も云わなかった。昔の人は以前に何処で土砂崩れがあったかをお年寄りに聞いてよく知っていたのでそんなところへ、家を建てていない。最近になって安い土地を買いあさりブルトーザーを入れて宅地造成をした業者が宅地として売り出しそれを買って家を建てた都市部のサラリーマンが被害にあっている、ある意味、儲け主義社会の陥穽がここに表れている。日本の土地に原住民として住みついていた縄文人の中へ稲作農耕民として侵入してきた弥生人が漢字も取り入れ、稲殿をつくり、男の天の神と女の稲が交わるという物語を作った所が面白い。神話は縄文的、漢字は弥生的だ。これが我が国の文化の母体である。
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