今日の「お茶会」で舞鶴ご出身の書家と同じ席になり、お盆の時の「満灯篭」のお話をお聞きした。
そう云えば、僕の祖父もお盆の時には「お迎え火」や「送り火」を焚いて先祖の霊をお迎えしあるいは、お送りしていた。
御迎え火の時もお送り火のときも、炎に向かって手を合わせ、
お経を読み、熱心に拝んでいた。
思うにあの行事は日本人の歴史の中で定着したもので、
子供たちも真似をして小さな数珠を手に掛けて 先祖の霊とかに真剣にお詣りしていた。
こうした日本人の伝統行事をないがしろにして、
最近ではハロウィーンとかのグッズを売っていると云います。
この商業主義と云いますか、伝統行事軽視の軽薄さは、目に余ります。
中学生や高校生の殺人事件はこうした軽薄さの申し子のように思われます。
伝統行事の中にある日本人としての情操に気が付かなかった、 GHQ政策に嬉々として迎合した日本のマスコミ界に生息している自称知識人の欺瞞を糾弾する必要があると思われます。(T)
刈取りの始まった田圃
やってきたか を教育で教えていく必要があると思っています。
人々の生活に宗教がどうかかわってきたか という事を。
そういう意味で 宗教 に対する教育があってもいいと思うのです。
世界の宗教とその中の日本古来からの宗教を知ることによって世界の民族の考えに開眼すると思います。