読売新聞の広告によると、佐藤愛子さんが『ああ面白かった。と云って死にたい』というエッセイ集を出され、よく売れているらしい。
じゃあオソマツ君は何と言って死にたいか、と考えた。
すぐ思いついたのが「お先に失礼、」だ。そして相手によっては「向こうでまってるぞ!」と付け加える。思えば葬儀というのはお別れ式だ。そこで、葬儀に来た人に「いろいろありがとうございました。お先に失礼します。向こうで待っています」ということにすれば、葬式には誰も来なくなる。
つまり葬式は不要でまあ家族葬で十分と云うことになる。あまり真面目な仏教徒でもなかった人が仏教徒のような葬儀をするのも、どこか変だ。
そうかといって、神式の葬儀は知らないし、
兎に角、日本人はこれらのことについては、極めてルーズである。
(追記》佐藤愛子氏について。1929年作家佐藤紅緑の次女として生まれる。異母兄にサトウハチロー。(T)
今日、お見えになったので、ソグワナイ写真なので、今の姿を撮りたいと思い、前に合成した美人の写真を見せた処、笑顔になって、この着物は私が柄の気にいった風呂敷を見つけたので買って自分で縫うたと、誰にも教わらずに縫うたと、この好きな着物を着た写真が好きだと。頂いて良いかと言って喜ばれた、小生はとって頂いて合成した甲斐があったと喜びましたが。女性は何時になっても化粧をした顔が好きなのかなと、写真と年齢が合ってない写真をみても判らない、女性の心理が判らない。95歳と書いた書の横に75歳の厚化粧をした人物が入ると、変だと思いませんか。喜ばれたので、今さら今の姿を撮らして下さいと言っても恐らNoと言われると思い、写真の撮影は止めました。と言う不可解な現象がありましたので報告致します。