かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

誕生日、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。

2016-11-29 | 気ままなる日々の記録

   かく云う今日はオソマツ君の誕生日である。

 子どもの頃「呼び年」が廃止になり当時満年齢といっていた年(とし)だけが「本当の年齢だ」と云われよくわからなかった。

 昔はお正月に一斉に年齢が一つ増えた。それは、兄も妹も親の年齢も同じで

お正月から新しいシャツを着たり少し大きい足袋を履いたりし、

近所の人も「おめでとう!」と云い合って」何かワクワクしたものである。

 ところが、お誕生日にはそうしたワクワク感は全くなく

「アメリカでは、大きなケーキに年の数だけ蝋燭を付けてお誕生日を迎えた子が一息でそのローソクを吹き消すそうだ」、  

ときいたことがあったが、そんなことが嬉しいのかなあと疑問に思ったことを覚えている。

 オソマツ君の場合お誕生日の思い出と云えば母親が膝に乗せて「大きくなった」と喜んで呉れただけであと何の思い出もない。

 そうかといって或る民族の伝統文化を否定して多民族の真似をするなんて全くくだらないことであると思われる。

 我が国は江戸・明治まで太陽暦ではなく月齢で暮らしていた。ですから、盂蘭盆会や旧暦のお正月と呼ばれている行事に親しみを感じている。(T)

      

      11月の夕日

 

 

 


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1 コメント

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満年齢と数え年 (齊藤直一)
2016-11-29 12:31:56
小さい頃から数え年で大きくなり、正月が来ると1歳年が大きくなりました、何の抵抗もなく、それが当たり前の年齢の数え方と思って大きくなりました。満年齢で数えるようになったのは、50歳を過ぎてからと思う。旧制中学卒業後30年振りでクラス会があって、卒業生150名が全国に散らばって北は北海道 東京 大阪 京都 綾部 四国 九州 ロスアンゼルスと幹事さんが連絡するのに大変だったと思います。小生はパソコンを使っていたので舞鶴地区のクラス会は大いにパソコンが活躍致しました。その時から同級生の何人かは満年齢で話をするので、まごつきました。90歳になった今日でも0000年生まれと言われてもピンとこないので常に満年齢と明治 大正 昭和 平成と印刷して表を持ち歩いております。当ホーム(太郎と花子」においても、「年齢を尋ねると いまだに満年齢で言う人と数え年で言う人とあります。老人 大きくなると数え年を満年齢で訂正して話しても分からない人がいます。小生の同級生で弁護士になった人は天皇が変わる度に年号が変わるのはおかしい、西暦だと一変で判るのにと言って西暦を使っていました。
数え年と満年齢に合うか 合わないか判らないが、正月が来る 歳が変わる度に暦なるものを買って読んで昔の人々の苦労を忍んでいます。90歳男
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