正確には、家内が連れて行ってくれました、と云うべきところ。
ここの施設に入居して早や3年は過ぎたと思う。正に「光陰矢の如し」の観である。
此処の5階からいつも見ている田圃を今夕は同じ目線で見て自分が子どもの頃お手伝いでよく見ていた稲穂をマジかに診て、稲穂が風に揺れて微かに立てる音も耳にし感無量であった。
正に「秋来ぬと、目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」を体感した。
更に、振り向けば十五夜の月。正に「盆の様な月」であった。「菜の花や月は東に日は西に」と謳われたたように大自然は美しい姿を私たちに見せてくれている。この美しさは東京の銀座のネオンや街路灯の及ぶところではない。
我々人間は偉そうに発電所を作って街路灯を灯したりして見たが、大自然が生み出し私たちに惜しげもなく見せてくれている美しさにとても及ばない。
それを忘れずに自然に優しい生活を大切にすべきだと思いつつの散歩であった。
江戸時代から明治になっても続けていた陰暦による生活をもう一度とりもどしたいものである。(T)
散歩道にて 黄金色の稲穂。
美しい情景や懐かしい情景が目に浮かぶようです。
幼い頃に味わった 日本のなつかしい習慣がどんどん失われていきます。
その良さを知らず 味わった事もなく育った人が多くなりました。もう面倒だからやめてしまえ。という事でしょう。
私は都会育ちですが 戦時中は長野県の山村で過ごし いなかの生活でいなかの習慣を味わいました。