それは××男性合唱団の第××回演奏会の風景を音声付きで録画しDVDに焼き付けたものである。
早速ノート型パソコンにセットすると、
朗々としたクラッシックの合唱曲が流れ出し部屋の空気が生き返ったようであった。
見ればプログラムも同封されていて懇切な解説。目をとじて聞き入っていると友人の送ってきた人生の賛歌のようにも聞こえる。
翻って自分は、絵にかいたように馬齢を重ねお恥ずかしい限りだ。
気が付くのが遅すぎた。これは、オソマツ君のいつものこと。「遅かりしゆらのすけ!」と歌舞伎役者のように見えを切るところだ。
その友人はオソマツ君の「蛙の呟き」をみていてくれるとか。「ラーメンにそーめん、神様はあーめん」などとくだらない洒落を書いている場合ではない。
しかし、思えばオソマツ君は高校時代の友人に恵まれていた。
田舎の中学校卒で3年間英語の先生がお見えにならず学生アルバイトの先生の授業を受けた者が高校の教科書を手にして驚いた。
知らない単語が多く、動詞が決める文型のことさえ知らない有様で文章が難しく、手も足も出ず、顎を出した。
慌てて塾に通って自分に欠けている知識を見つけて貰うのに暫く掛かった。あのころはオソマツな新制中学校があったものだ。
そんな状況でも何とか高校時代を過ごせたのも、高校時代の友人のおかげである。
僅かな弁解を書くなら、勤めから帰って夕方や土日に畑で野菜を育てることに熱中した。朝どりのトマトを朝食のデザートに両親や妻や子どもたちに食べさせていたころは充実していた。
明るい想い出も多い。その野菜作りを教えて頂いた師匠は今も師匠として親交をを頂いている。(T)
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