「ドナウ川のさざ波」から話しが膨らみ脱線に次ぐ脱線で恐縮ですが最後に中世ドイツの名城中の名城が「ノイスバンシュテイン城」だといわれています。
ところでドイツではそもそもお城とはなんであったか?。
答えは国王の兵士の宿泊所であり、食糧や武器弾薬貯蔵庫でした。ところで、 名城中の名城として有名なノイスバンシュテイン城だが、このお城を造った王様は勿論近隣諸国で一番大きくて頑丈なお城をおつくりになった。ところが、完成して間もなく自分の領民の襲撃に合って殺されてしまわれたといいます。このお城の建築に莫大なお金が掛かり、確かに他国から責められる心配はなかったが、領民から多大な税金を取ることになり領民の襲撃に合い王の兵士も領民に味方し、王は殺されてしまったと云います。
例えば日本が北朝鮮の襲撃を恐れて陸自、海自を充実させ、原爆も装備して外部からの攻撃は大丈夫となったころ、重税に喘いだ国民の反政府デモに合い、国民によるクーデターにあったようなものです。
近代も中世も、更には東洋も西洋も同じで、政治判断の難しさがここにあると云えます。(I)
↑ノイシュバンシュテイン城
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