ふるさと納税の返礼品であるラフランスが今年も届いた。蓋を開けると不正形でまだらのついたまだ固い感触が手に伝わってきた。そして、掃箱詰される前の山形天童市の厳しい気候も感じとれた。
ラ・フランスは最近ではとてもよく見かけ人気もあるが、20年も前はまだ市場に出回っていなかった。少なくとも私が住んでいた地域では。
私が、ラ。フランスを始めて見たのは遠い昔遠い土地でのことであった。私が主人にあまり無理な願いをしたことは無いが60歳になる前に一度だけ大きな願いを聞いて貰った。一か月間ホームステイをさせてほしいと。行先はカナダのバンクーバー。子どもたちも家を離れ就職している頃だった。ホーム・ステー先は、バンクーバー市街からシーバス(湾を渡るフェリーをそう呼んでいた。)で10分ぐらいの北バンクーバーの住宅地、三食ベッドルーム付のホストマザー一人暮らしのアパート。
当時68歳のホストマザーとは年もそんなに離れていなかった性かよく気が合っていろいろなところへ連れて行って貰った。
あるとき、ホストマザーに友達が再婚してパーテイーがあるが一緒に行くかと尋ねられた。何でも珍しかったので、ついていくことにした。パーテイーが開かれたのはアメリカワシントン州にほど近い国境の田舎町だった。牧草地が広がり長閑な雰囲気が漂っている地域だった。友達の家も広い庭付きの家で芝生の周囲には果樹が一杯植えられていた。そこで、見慣れない直径3センチ程のラ・フランスの小さな実を見たのだ。ラ・フランスとは言わず『ウエスタンペア」と教えられたような記憶がある。それから間もなく日本で見かけ大好きな果物になるとは当時思いもよらなかった。
ラ・フランスと一緒に蘇る遠い昔の思い出話である。
”
結構されてから ご主人に依頼してホームステイなど
出来る人はまれではないでしょうか
でも そこで奥様の人生に有益なものを得られたことでしょう。
本などの読書では得られないものを掴まれて 視野も広くまられたのではないでしょうか