リーズナブル・アコモデーション。
「安っぽい調節」
とも訳すことができます。
「理にかなった配慮」
ということだと解釈はしています。
障害があっても、障害のない人たちと共に、平等に生きていくために必要な環境要因として当然になされるべきこと。
インクルーシブ教育の構築のためには絶対不可欠な条件です。
世界の、現状の、教育の動向を踏まれば、当たり前のことだと思うのですが、現場の小学校、中学校の教員の中で、このことを知らない教員がいることも確かなことです(残念ながら・・・)。
平成21年度の学習指導要領の改訂の4つのポイントの一つである、交流・共同学習の推進。障害のある児童生徒が障害のない児童生徒と「共に学び合う」教育機会。
「共に生きていく」上で、必要となる配慮・心遣い・気配り(もちろん本人の同意、保護者の了承のうえで)があって、成り立つ授業。
実際に、健常の(通常クラスの)児童生徒たちは障害のある児童生徒と共に学び、心と体で感じ、やりきれない矛盾や不条理を目の当たりにして涙を流し、目には見えない多くのことを学んでいます。
権利条約批准を受けて、今後、合理的配慮が論議されていくことと思いますが、本来、合理的配慮などとという言葉がなくても、「共に生きていく」ための配慮・心遣い・気配りとして、ごく自然に、当たり前になされていく時代が来ることを心の底から願っています。
キャリア教育の目指すところ(今している授業が子どもたちの生きる力につながる最優先の授業になっているのか)、そして知的障害教育の教育課程(学習指導要領を踏まえて)について、自分が明日から現場で何をどうすればいいのか、もっと具体的に示していかなければいけないと思いながら、考えがまとまらずに合理的配慮について、学校として何をすべきなのか、障害のある児童生徒が権利としてどのように学び、主張すべきなのか、それをどのように指導していけばよいのか等々、今年度第17回の夕練を終えて、考える機会となり、悶々としているところです・・・。
(畠山)