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放生会(ほうじょうえ)とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式である。仏教の戒律である「殺生戒」を元とし、日本では神仏習合によって神道にも取り入れられた。収穫祭・感謝祭の意味も含めて春または秋に全国の寺院や、宇佐神宮(大分県宇佐市)を初めとする全国の八幡宮(八幡神社)で催される。特に京都府の石清水八幡宮や福岡県の筥崎宮のもの(筥崎宮では「ほうじょうや」と呼ぶ)は、それぞれ三勅祭、博多三大祭として、多くの観光客を集める祭儀。
養老4年(720年)の大隅、日向両国の隼人の反乱を契機として同年あるいは神亀元年(724年)に誅滅された隼人の慰霊と滅罪を欲した八幡神の託宣により宇佐神宮で放生会を行ったのが嚆矢で、石清水八幡宮では貞観4年(863年)に始まり、その後天暦2年(948年)に勅祭となった。
放生会で舞う細男は、江戸時代以降、宇佐神宮ではいつの間にか消えてしまい、宇佐神宮とは縁の少ない春日大社にのみ細男の舞が残されていました。
細男の舞は、能の原点というべきシンプルな舞。
単純な笛と、単調な鼓によるシンプルの極限。
白装束を着て、覆面をして顔を隠し歩く。
日本古来の敵の戦死者を弔う時に舞。
神に捧げる伝統を重んじる春日大社のみに残された。
一見単調な所作の中に、凄みを湛えた細男舞。
2010年 春日大社 若宮おん祭より「細男(せいのお)」部分
白装束は、死者に着せる衣装
神事を行う際に用いた装束
死と再生の歩みを神に捧げる細男の舞
敵を弔う日に本人のすごい考え方をもう一度再現しようと、宇佐神宮の地元の人が細男の舞を復活させた。
形成外科病院の院長から春日大社の宮司になった葉室頼昭氏が書いた本「神道 見えないものの力」の表紙にも細男の舞がカバーされています。
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細男と書いて「せいのお」の音
死のイメージから、青ざめた男を連想していました。
In Deepさんの11月14日のブログに
http://indeep.jp/paris-terror-attack-of-is-2015-and-threat-russia/
先日唐突に感じた「追悼感」から、こんな話になったのでした。
そして、「追悼」というイメージで頭の中に浮かんだのが先ほどの「青い影」という曲だったのでした。
そのことを思って過ごしていましたら、フランスのパリで、おそらくは西欧諸国で発生したテロとしては、2001年のアメリカ同時多発テロ以来の被害者を出してしまったと思われる事件が起きてしまいました。
青い影(あおいかげ、原題:A Whiter Shade of Pale)は、イギリスのロック・バンド、プロコル・ハルムのデビュー曲。
Pale 青ざめた Whiter より白いの意味を付け加えると
青ざめたより白い影 ---- 青ざめた再生を願う影
曲のイメージも単々としたイメージ
青い影 (プロコルハルム)
それはテロを征服するイメージとは反対のイメージ
青い影を3.11の再生の祈りとしてピアノで弾くと
◆青い影 3.11 震災直後に弾き祈りました Prayer A whiter shade of pale Piano Cover
今ある現実とそれに青ざめる思考
反対の思考を受け入れることで立体的思考になる。
立体的思考についてひふみ神示の中にも書かれています。
五十黙示録 第02巻 碧玉の巻
第一帖
反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう、漸次(ぜんじ)輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸ひらきぢゃ、人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにして御座るぞ、平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷ひの道であるぞ、気つけ下されよ。この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道がひらけるのぢゃ。神からの巻物おろそかにするでないぞ。
アセンションという言葉は、自らを上昇させる思考を感じます
敵を弔う細男や青い影の思考は、自らを反対のものと向き合う視点
立体的思考とは、上昇ではなく下降の岩戸開きの思考。
平らになる平成の岩戸開き
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