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いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
七五調の歌謡である今様の形式で、仮名を重複させることなく作られている
文中の「有為」は因縁によって起きる一切の事物。
転じて有為の奥山とは、無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたもの
匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。
いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい
などと、仏教的な無常を歌った歌とされています
なんとなくこの世とあの世は逆転しているようなイメージがあり
その逆転する世界に通うづるものが
祈りであると古への人は考えたのでは
今時は自分のために祈る人はいますが
自然と会話して祈る人は稀です
西ノ島が再噴火したのはまだまだ平成になることが必要な気がします
大祓いの祝詞は聖書と同じように幾度も編纂されてきたようです
たかあまはら
すめらみこと
とよあしはらのみずほのくに
あめつちのめぐみゆたけくきわみなく
ひかりあまねきうつしよ
はらいたまえきよめたまえ
あめのいわくら
あまのやえぐも
あしたのみきりゆうべのみきり
あさかぜゆうかぜのふきはらうことのごとく
こころのとびらをおしひらき
すめみおやのみまえにかしこみかしこみかしこみちかいたてまつる
そんな言霊を自らの言葉としてを詠うと祝詞になるのでは
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