昨日は、煎茶のお稽古に表参道にでかけた。
まずいつものように界隈の路地裏を歩く。
ときどき、骨董やを覗く。その時は、お金と時間
がある時。ま、お金は天下のまわりもの、だし、
お金がなくても、「いつでもいいよ」といってくれる
なじみの骨董やも何件もあるけど、やはり「いつでもいいよ」
というわけには、いかない事情ってのがある。
表参道のカフェなんかは、ほとんど入ったことがない。
ときどき、そのあたりのオーナーや店長などが、わざわざ押上まできて
くれることもあるけど、「大坊珈琲」以外のお店に入ることは、まずない。
抹茶ミルクが飲みたくなることがときどきあって、その時は、京都時代
からそうしたように「はやしや」にいって飲む。昨日はそんな日だった。
京都とは、ぜんぜん趣が違うが、時代や場所に適応しようとする老舗の柔軟性に関心しながら、抹茶ミルクを飲む。学生のころには、京都競馬場でときどき
「臨時従業員」として働いていたので、帰りに三条京阪の近くの「はやしや」
でよく、抹茶ミルクを飲んだ。吉田拓郎風にいうと、♪それも青春!
路地裏の小さな器屋のウィンドウに、ガラスの器や、涼やかな
磁器ものが飾ってあった。そのかたわらに、団扇を模った白と水色の
平たい器がおいてあった。おもわず「あ、久保さん」といってしまった。
天真庵の器を担当してくれている陶芸家・久保忠廣さんの器、しかも
料理屋で使われている器が、表参道の路地裏の小さなお店のショーワインドウ
に飾ってあるのがうらしかった。
それからいつものように「青山ブックセンター」にいく。「HANAKO」
が、積んであった。それを一冊買って、織田流煎茶道の茶室がある、表参道
ヒルズの裏の不思議な建物に入る。看板も表札もない。不思議な隠れ家のような
茶室。先週に続いて、久保さんの志野のふたつきの茶碗で、「すすり茶」
の手前の準備していると、陶芸家のチョンゴニさんがやってきた。こないだ
まで、広尾の「ギャラリー・しゅん」で陶展をやっていた。三島の菓子皿を
土産にもってきてくれたので、さっそくそこに、山田饅頭を載せて、すすり茶
をいっしょに楽しんだ。彼の三島の器といい、久保さんの志野の茶碗といい、
「美人に育っていく」のが楽しみだ。そんな話をしていると、チョンさんが、
「今どき、器を美人にしていく、という気概をもった人が少なくなった」
と、いう。残念ながら、そうかも知らない。
昨日と今日が変らないように願う人たちにとって、器も同じで、変化する、
という概念がないのかも。水につけて、貫入ができたり、色が変化したりすると、
「欠陥品」として、お店に返しにくる人もいるらしい。
そして歴史的に低迷したり閉塞したりすると、「白い器」が流行するらしい。
今回の「HANAKO 東京カフェ!10」に紹介されているお店の器も、大半が
白い器。なんか、違うような気がする。
ひとも器も、大事に育てていけば「美人になる」のだ。
ずっとブスなんは、努力が足りないのかも。
今日は「ねんどの日」
明日は「お花のお稽古」
まずいつものように界隈の路地裏を歩く。
ときどき、骨董やを覗く。その時は、お金と時間
がある時。ま、お金は天下のまわりもの、だし、
お金がなくても、「いつでもいいよ」といってくれる
なじみの骨董やも何件もあるけど、やはり「いつでもいいよ」
というわけには、いかない事情ってのがある。
表参道のカフェなんかは、ほとんど入ったことがない。
ときどき、そのあたりのオーナーや店長などが、わざわざ押上まできて
くれることもあるけど、「大坊珈琲」以外のお店に入ることは、まずない。
抹茶ミルクが飲みたくなることがときどきあって、その時は、京都時代
からそうしたように「はやしや」にいって飲む。昨日はそんな日だった。
京都とは、ぜんぜん趣が違うが、時代や場所に適応しようとする老舗の柔軟性に関心しながら、抹茶ミルクを飲む。学生のころには、京都競馬場でときどき
「臨時従業員」として働いていたので、帰りに三条京阪の近くの「はやしや」
でよく、抹茶ミルクを飲んだ。吉田拓郎風にいうと、♪それも青春!
路地裏の小さな器屋のウィンドウに、ガラスの器や、涼やかな
磁器ものが飾ってあった。そのかたわらに、団扇を模った白と水色の
平たい器がおいてあった。おもわず「あ、久保さん」といってしまった。
天真庵の器を担当してくれている陶芸家・久保忠廣さんの器、しかも
料理屋で使われている器が、表参道の路地裏の小さなお店のショーワインドウ
に飾ってあるのがうらしかった。
それからいつものように「青山ブックセンター」にいく。「HANAKO」
が、積んであった。それを一冊買って、織田流煎茶道の茶室がある、表参道
ヒルズの裏の不思議な建物に入る。看板も表札もない。不思議な隠れ家のような
茶室。先週に続いて、久保さんの志野のふたつきの茶碗で、「すすり茶」
の手前の準備していると、陶芸家のチョンゴニさんがやってきた。こないだ
まで、広尾の「ギャラリー・しゅん」で陶展をやっていた。三島の菓子皿を
土産にもってきてくれたので、さっそくそこに、山田饅頭を載せて、すすり茶
をいっしょに楽しんだ。彼の三島の器といい、久保さんの志野の茶碗といい、
「美人に育っていく」のが楽しみだ。そんな話をしていると、チョンさんが、
「今どき、器を美人にしていく、という気概をもった人が少なくなった」
と、いう。残念ながら、そうかも知らない。
昨日と今日が変らないように願う人たちにとって、器も同じで、変化する、
という概念がないのかも。水につけて、貫入ができたり、色が変化したりすると、
「欠陥品」として、お店に返しにくる人もいるらしい。
そして歴史的に低迷したり閉塞したりすると、「白い器」が流行するらしい。
今回の「HANAKO 東京カフェ!10」に紹介されているお店の器も、大半が
白い器。なんか、違うような気がする。
ひとも器も、大事に育てていけば「美人になる」のだ。
ずっとブスなんは、努力が足りないのかも。
今日は「ねんどの日」
明日は「お花のお稽古」