大宰府に菅原道真が左遷されたとき、京都の梅が追いかけてきた、という伝説がある。「飛梅伝説」
という。♪東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春を忘るな を高校時代に習った?
大宰府の銘菓「梅ケ枝餅」は、そこからうまれた。
昨年能登に移住したおそばのお弟子さんたちが、6月に梅をおくってきた。潮風で育てられた梅は、想定外の美味さ
で梅干しや、梅シロップができ、今年は「梅林ガールズ」が結成されることになった。平成の「飛梅伝説」か?
昨日は、彼らから「寒ブリ」が届いた。
28日の不思議な忘年会の後、29日、30日、31日は、風呂も入れず、めしも食えず、というくらい忙しい3日になった。
29日は、「元気なおんなそばもん」たちが、4人で蕎麦打ち初体験。「やめとき」というこっちの助言を無視して「
やらせてください」頼まれる情熱大陸ばりの力におされ、寒稽古よろしく、のし棒を竹刀のようにもち、鉢巻きをして
実行。30日は、ベテランはベテラン組が多かったので、体育会系ではなく文化的な蕎麦打ちだったけど、「年越しそばの発送日」
だったので、早朝からばんばん自分が蕎麦を打った。
昨日は、「年越し蕎麦の持ち帰りデー」なので、やはり早朝からばんばん、びん棒を振りまわし、9時からは6人の「そばもん」
たちの指導。最後はおっさの蕎麦打ち。締めくくりにぴったりな感じのいい蕎麦が打てた。
それから、「ぶりの解体ショー」。(でもあらかたさばいてあった)
毎年暮れはそんな具合な毎日。そんなことを知ってくてている常連さんから、「おもち」とか「あんこ」とか「お酒」の差し入れ
が届く。ほんとうにありがたいことや。風邪ぎみだったのを心配してお弟子さまが、自作の「甘酒」の差し入れもあった。ゆずも入っていて、飲むと
すっかり咳がとまった。年をとると、お弟子さまたちが子や孫のようにあいらしくなる。そういえば、小学校5年になる孫のようなかいとくん
がそば打ちにきたのも猿年の記念すべきことやった。
知らない間に、かずのこと黒豆もカウンターにのってある。さっそく塩抜きをして、蕎麦汁に、
黒豆はストーブの上で2日煮た。
そば打ちが終わり、持ち帰りのそばが終了し、寒ブリで寒梅を飲む。寒梅も毎年暮れにお煎茶の先輩が
くれるボーナスみたいな酒。前日におくれてきた久保さんの志野の盃で飲む。筒向こうを小さくしたようなものと、
煎茶茶碗にも使えそうなふたつがきたので、飲み比べる。確かに、煎茶茶碗型で飲むと、鼻の下に酒があるので香りたつ
感じがあるし、かんあがり、というか、味にひろがりがあるような気がした。でも、筒型は、凛とした空気があり、「もういっぱい」
が永遠に続くような気持ちになる。優劣つけがたく、4合近く飲んでいたら、かみさんが「ボクシングが見れなくなるよ」と鶴の一声。
残りの入った一升瓶をかかえて自宅に戻る。大みそかは「ボクシングデー」でもある。井岡は安心して見てられたけど、内山は
相手がうまいというか、あれはなんどやってもあかんかもなんばん。
試合が終わると同時にこちらもノックアウトされた選手のように布団の上に大の字になって朝がきたら、今年だった。
すぐに店にいき、初煎会よろしく、珈琲を入れ、卵焼きを4つつくる。みっつは、今晩の「鮨会」のため。ゆずをはじめ、めいっこ
おいっこと毎年正月は「鮨をにぎる会」がならわしになった。のこりひとつを、輪島塗の三段重に入れる。
一段目が、黒豆とかずのこ、その上がぶりの塩焼き、そしていちばん上が卵焼き。わがやのささやかな「おせち」。
それと炭火で焼く「おもち」。十間橋通りの「ながしま」のおもちは、日本一やデー。神棚にもおもち。上にのっている飾りみかん(柑橘)
も昨日そばのお弟子様が差し入れてくれたもんだ。いただきもんだらけの一年。
天変地異も多いし、混沌とした時代を迎えているけど、息をしている間は生きているわけで、せっかく生かされて
いるのだったら、悔いなく、好きなことやったほうがいいし、それを仕事にできたらもっといいし、それ以上に
「やらねばならぬこと」が見つかったら、もっといいかもね。大変な時代やけど、だからこそ、おもしろい。
一寸先は光。感謝。