八ヶ岳山麓の暮らし
私の好きなブログでした。
退会なさるそうです。
諏訪神社の話をもっと知りたかったです。
諏訪の歴史に詳しくて私のお気に入りの守矢資料館についての記事もありました。
諏訪神社は日本の歴史においてもとても重要な位置にあります。
ミシャグチカミやモレヤノカミのことなど
一度お話をして見たいなと思ってもいました。
神官守矢氏の一代口伝の伝統が明治政府によって断たれてしまったのは
返す返すも残念です。
つい最近になって生活の延長でカマドを壊すことと相成り、
色々と調べていて、
明治政府がいかに私たち日本人を洗脳してきたかよくわかりました。
役行者に関してもあんなに人々に信仰されていたのにそのことを何も知らないでいたのです。
調べて見たらいっぱい役行者の人像があって人々が信仰していた証が見られるのに、
学校で全く教えないのはどういうことでしょうね。
法律で禁じたのです。
明治政府が新しい国日本を作るために法律を作り宗教を作りました。
その法律によって国が認める信仰以外を信じてはならぬ、と御触れを出したわけですわ。
明治以前と以後の日本人はまるで違うことを信じて生きているのです。
とても残念です。
それはそれとして、この明治政府の法律によって
掛け替えのない私たちの歴史に関する重要な記憶が一部断たれてしまいました。
守矢氏が口伝してきたことは縄文時代を知る上で大きな役割を果たせたはずです。
諏訪の守矢資料館に行って見てください。
そこには縄文時代人々がどうのように暮らしていたのか
想像を豊かにする祭りに関する資料が展示してあります。
諏訪から下伊那地方にかけて
縄文時代、たくさんの人が住んでいました。
もしかしたら日本で一番人口の多い場所だったかもしれません。
諏訪湖を囲み、天竜川に沿った豊かな土地が広がっています。
採集を生業としているものにとっては楽園のようだったでしょう。
春は山菜、夏は川で漁して秋は木ノ実、そして冬は狩り。
暮らしに必要なものが自然の中に全部あるって
理想的だと思いませんか?
縄文人って本当にすごいのです。
諏訪の周りには大勢の縄文人が一万年もの間住み続けていました。
その時代からの口伝が絶えてしまうのは私たちの大きな損失です。
「八ヶ岳山麓の暮らし」では
そんな諏訪の歴史の話を色々と教えていただき、
とてもありがたい存在でした。
諏訪の守矢氏の話を知っている人のブログに出会えたことは
ミシャグチカミのお導きかとも思えます。
守矢氏が勝っていたら日本は今どうなっていたでしょう。
今も縄文時代のように暮らしていたでしょうか?
それはないでしょう。
でもきっと全く違った日本人であることは間違いないと思います。
そんな想像も素地を知っている人でなければ語り合えませんよね。
あー、本当に「八ヶ岳山麓の暮らし」に訪問できなくなるのは寂しいです。
友達が遠くに行ってしまったような気持ちです。
楽しみが一つ消えたようでしょんぼりしています。
不思議ですよね、会ったこともないのに。。。。
諏訪の話をもっと聞きたい一ファンでした。
今までありがとうございます。
今日は夕方から本格的な雨。
雪にも耐えて長い間目を楽しませてくれたこの桜も暖かい雨に打たれては、
みんな散ってしまうでしょうね。