こんにちは😃
今日の朝食は珍しくご飯でした。
玄米ご飯です。
アボカド🥑があったので、
スライスしてワサビ醤油をつけてご飯の上に乗せ、
それを焼き海苔で巻いて食べたら
あらま、この味は懐かしいカリフォルニア巻きではありませんか。
すっかり記憶の向こうに追いやっていたNYはマンハッタンでの
寿司食べまくりの生活を思い出しました。
寿司食べまくりってどういう事よ。
と思われる方は読み進んでください。
時は昭和、今から三十四、五年前のことです。
あの頃私は若かった。
初めての一人旅インドから帰ると次の目的はアメリカでした。
初めてアメリカ大陸に渡り、オレゴンで二週間を過ごしました。
それから二回渡米して旅を楽しんだのです。
その五年後私はNYはマンハッタンの鮨屋で働いていました。
寿司食べまくったのはその時の話なんです。
自腹を切って食べていたわけではありません。
その寿司レストランは四十八丁目の六と七番の間にありました。
今でもあるのかな?
札幌ラーメンのすぐ近くで割と名の通ったジャパニーズレストランでしたね。
マンハッタンの日本食レストランの中でも大きい方だったと思います。
着物を着て料理を運んでいました。
着物を着て働く事の気軽さはここで習いました。
お客を待って立っている時など草履の方が靴よりはるかにマシな履物だと思ったものです。
お店に入るとまずバーが有り、そこから寿司のカウンター席を抜けると奥がテーブル席になっていました。
カウンターでは常時二人の寿司職人が寿司を握っていて、
キッチンの方が忙しいと従食が寿司になることが多かったのです。
アメリカの寿司レストランではカリフォルニア巻きが人気でした。
太巻き寿司で中にアボカドとカニカマ、きゅうりなどが入っていますが、
これが美味しいのですよ。
カリフォルニアロールの裏巻きってのもありました。
こちらは海苔の上にご飯を乗せるまでは一緒ですが巻く時にご飯が表に来るように具を海苔の上において巻きます。
ご飯の周りにはゴマがついていてこれもまたとてもおいしいお寿司でした。
握りも食べました。
一人前が確か十二ドルだったと記憶しています。
週末には新聞社や貿易会社のNY支店の人たちが日本からのお客を接待して宴会がありました。
天ぷらやすき焼きなどの日本料理で日本人をもてなしていたのですね。
刺身の盛り皿などに手つかずで残っているのを食べたりもしましたよ。
週末のランチは日本人の観光客がやってきて三ドル七十五セントのざるそばを注文します。
個人旅行の人はあまりお金を使いたくないのでしょう。
ただ日本食が恋しくなってくるのです。
当時、このレストランの給料は一日たったの一ドルでした。
これは店が保証する給料です。
ウエイターやウエイトレスの給料はチップで賄っています。
アメリカ人はチップの制度を理解しているので、百ドルの支払いには必ず十から二十ドルくらいのチップを置いて行くのが普通でした。
でも日本人はチップの仕組みを知らないのでチップを払わない人が多いのです。
給餌人はチップが収入なので、チップを置いていかない客は追いかけて行ってでもチップを置かないわけを聞いて、不祥事がなければ改めて払ってもらったりしたものです。
ある時、今でもテレビなどで見かける大女優が来店しました。
彼女はチップを置いて行きませんでした。
幸い私のテーブルではなかったけれど、友人はワンブロックも追いかけてチップをもらって帰ってきました。
彼女ほどの有名人なら、たくさんチップを置いていくと思っていたのにね。
私たちがチップで暮らしている事など全く想像できなかったのでしょう。
なので日本人のお客は大抵サービスチャージをつけていました。
それがチップの代わりです。
でも安いざるそばばかりだとサービスチャージも安いので、
結局日本人のお客はあまり喜ばれませんでしたね。
何しろ給料はチップだけなのでチップに関しては大変シビアでした。
ランチの時には三つのテーブルを受け持ちます。
店によっては自分のテーブルでもらったチップが自分の収入になる、と言うところもありましたが、いろはでは全部のチップを集めてその日の最後に皆で分けるワンポット方式でしたね。
この分け方がまた面白いのです。
全額をその日の人数が受け取るパーセンテージで割ます。
ベテランは百%、新人は五十%。
三人ベテランがいて一人新人の時は三百五十で全額を割るのです。
最初は五十でも二月もすれば九十パー、三月で百%になれます。
このように給料は日給で現金払いでしたから仕事をすればその日からお金が入るので、このシステムにはとても助かりました。
実際その年は働く前一ヶ月の間にニューヨークでやりたいこと行きたいところ大体済ませていて、それとともにお金もほとんど使い果たしていました。
ミュージカルをいっぱい見ました。
博物館やオペラハウス、有名なジャズ喫茶も何度も通いました。
でも仕事を始めると仕事仲間と遊ぶことがおおくなり、
パブに入り浸ってプールにはまりました。
プールって言っても水泳のプールではなくビリヤードのことです。
NYのパブは店の奥にビリヤード台を置いている店が多く、
みんなお金をかけてプレイしていましたね。
ビリヤードには随分ハマりましたが、マンハッタン以外ではやったことがありません。
あそこであの仲間たちと遊んだから面白かったのです。
ジンさんとか、マリちゃん、金子さん、桑子さんに由美ちゃんとめぐちゃん。
みんなどうしているのでしょう。
今村さんはお母さんまで呼び寄せてたっけ。
まだアメリカに住んでる人いるのかな。
懐かしい若かりし日の思い出がアボガドと海苔の組み合わせで突然蘇って来ました。
人生の中であんなに寿司を食べていた時期って他にないですね。
それがアメリカだったって事もまたちょっと面白いと思いませんか。
その時はアメリカにほぼ一年滞在して、それっきり行ったことがありません。
それからはまたインド、タイの旅が始まったわけです。
一人旅の気楽さと窮屈さ、両方ありますよね。
家人と知り合ってからはずっと二人旅をして来ました。
病気になって旅をする事も今はありません。
でもいつか足の骨折部が結合したらまた何処か旅に出かけたい物です。
若い頃はバックパックの旅人でした。
旅の思い出はたくさん持っています。
また気が向いたら思い出話をいたしましょう。