初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

友人の死

2016-06-10 | ダムカード

先々週のこと、突然友人の訃報が入った。

驚いた。

と言うのもその方の奥さんと電話で話したばかり。

具合が悪いとは聞いていないし、きっと心臓か脳卒中だろうと思った。

OB会に問い合わせると「いま連絡が入ったばかり」とのこと。

通夜、葬儀の時間もきちんと書いてあった。

夫も共通の友人夫妻。

私とは若い頃から喧々諤々のケンカもしつつ今では時折連絡する間柄。

二人はそれぞれ知り合いではあったが彼女はとてもおしゃれで年上だが未だに若々しく年齢差も感じさせない。

私が草津病院に入院した際も奥さんが飛んできてくれた。

その時も意識レベルは低かったがセンスのいい服装は私の目を引いた。

何をしゃべったかはとんと覚えていないが服装だけは覚えていた。

こうやんと結婚すると聞いた時「似合わないな」と思っていた。

彼がどういうふうにして口説き落としたのかいつか一度聞いてみたいと思っていた。

夫は通夜に行き詳しいことを聞いてきた。

日頃から心臓の薬を飲んでいたとのこと。

その日はOB会に行き酒を飲んで帰宅、気が付いたら風呂で亡くなっていたそうだ。

本人は苦しむことなく亡くなったけれど家族の驚きは推測出来る。

「あっけない」悲しいけど涙が出ない。

四十九日が過ぎたころ二人で行くよと奥さんに伝えたそうだ。

ご冥福をお祈りします。

 

私も一昨日OB会があり参加してきた。

きっと友人たちが心配してるだろうと思っていたのでエレベーターを降りるとすぐに迎えに来てくれた。

今年は意外に私の知り合いは多くは無かったが夫が何故参加しないのか?と聞く人が多かった。例年カラオケの時間が長いのだが今年は3~4人程度でそれもみんなが口ずさむ程度の演歌。

私の後輩の彼が毎年「それゆけカープ」を歌ってくれる。

出し物はひょっとこ踊り。

昨年よりバージョンアップして楽しませてくれた。

新しい会長さんになり雰囲気が変わった。

おんなじ釜の飯を食べた人同士楽しい一日を過ごせてありがたい。

最初に物故者への黙とうで始まるOB会。

知らない人でも話してみるとどこかでつながっているものだ。

来年も元気なら参加しよう。

夫を誘って。

 


2016闘病記

2016-05-12 | ダムカード

2016闘病記

長いお休みからやっと復帰しました。

今年は年初から病気続き。思うに67歳から68歳で黄泉の国に逝かれる方が多いと思っていたが(OB会の冠婚葬祭を見ていて)やはりこの坂を超えることは難しい様だ。

51歳で脳出血をして以来の病院生活が1月から今月まで続き、やっと今日退院できた。

1月に脳梗塞をしたが早く病院に行ったので2週間程度で梗塞は溶けたと報告があったけれど病院で風邪を貰い発熱して39度の日が続きなかなか体調が回復せず最悪だった。

それまでの元気はすっかり無くなり心も弱っていた。すぐに介護保険を申請し自宅でのリハを始めたが思うようになく弱った足の回復にとパワーリハに通い(よし、これで頑張れば元の自分に戻れる)と思っていた。

が、それは少々考えが甘く私には受け入れがたかったのかもしれない。

かなり焦っていたのかいつも病院病院と言っていたそうだ。体調の回復は年とともに遅いものだと今では思う。

そして、そのギャップに悩み今度は精神的にもかなり参ってしまったのか3月のとある日とうとう発狂し、自宅で友人が来るのを待ちきれなくなり夫は救急車を呼び友人に付き添ってもらって精神病院へと入院するはめに。

私はこの前後から入院して以降も全く意識が無く看護師さんや患者さんの話を聞いても(この人はどうしようもない)と思ったそうだ。

私がどんな様子だったか断片的に聞いた所「お風呂に3人がかりで入れたけど全く意識が無く重くてグニャグニャ状態で大変だった」とか「和室に全体に敷布団を敷き詰めて何故か転がりまわるので目が離せなかった」とか、(超不機嫌でご飯も食べずぐんにゃりしていた)とか他人事のように聞いた。

私の意識は半月ぐらいで少しづつ回復をはじめ断片的に思いだすが頭の中は霧で覆われ一枚づつめくられて行くのを日々感じていた。3月の終わりから連休までせん妄と言う症状に苦しんだが病院は外部との接触は禁止されており、杖歩行も禁止。何故かと言うと杖は時に凶器になりかねないと言う理由で私はいやおうなく車いす生活。

車の運転をしていたのですぐに慣れはしたものの一度乗ると一日中降りることは無く足が腫れて夜になって眠るまでにマッサージをしていた。

トイレに行くにも毎回呼び出して見守り、転ばないようにしてくれたが途中から(あぁ病気だから看護師さんにお願いすればいいことなんだ)と思う事にしたら気が楽になり、回復もかなり早くなったみたいだ。

連休中には外出し娘の所で食事をしたり、いつものイタリアンレストランで食事したりできるようになり、連休の終わりから連泊、何とかできそうだと思っていたら先日の主治医との面談で(もうそろそろ退院してもいいんじゃない?」と言われ急遽退院することにした。

今回、症状が酷かったので毎日2回面会に来てくれた夫に感謝。

病後の生活など娘が口を出してきたが何とか家族でやって行けるようにしてくれたので来週からは足の回復を目指しデイケアに行くことにした。

今回の病気は脳外科で貰った薬が原因でせん妄と言う症状が出たことを主治医の医師が早く見つけその薬の投与を辞めると同時に薬や食事など、私に合う治療法をしたのが良かったので見る見るうちに回復し、退院の運びとなった。

今までと違う治療法で今までは朝食もあまり食べなかったのが朝からモリモリ食べられる様になり元気が出てきた。と同時に弱り切った足は長くは歩けないので日々少しづつ歩行訓練をし写真を写しに行けることを目標に頑張っています。

これからは暫く写真無しの投稿になりますがどうぞ書き散らかしのブログにおいでくださいね。

 

 

 


岡山県 ダムカード求めての旅

2014-11-23 | ダムカード

世間は3連休ですが我々は孫の「お守り」以外大した用事が無い夫婦。

良い気持ちで眠っていたら「今日、用事が無かったら岡山県のダムを訪ねようと思うけど着いてくる?」と言うので家でじっとしていたり、TVを見ているとアレルギーの症状が気になりひどく痒くなるので一緒に出掛けた。

新見で降りて3つのダムを制覇。

だけどダムって山の中だし、あまりいい風景でもない。

それでも、大抵どなたかと一緒になる。

今日は神戸の若い男性。あちこち先日の豪雨の傷跡で通行止めがあり時間がかかったそうだ。

ダムは被写体としてはあまり奇麗ではないので私は降りてもひたすら紅葉を撮っていた。

高速道路からの眺めももう晩秋に近い黄葉ばかり。

何となく秋に訪れたニュージーのアロータウンやクイーンズタウンを思い出した。

地震で、私たちがお世話になったゲストハウスは無残にも家の真ん中に亀裂が入りオーナー夫妻は子供さん二人とともに友人宅やホテルを転々としてやっともうすぐ再開の運びになったみたいだ。

あんなに大変な目にあっても二人とも日本に帰る気はないみたいだ。

ニュージーランドで出会った人は総じて心優しい。

少々おせっかいみたいに見えるがその優しさイコール作業はのーんびりで時間がかかるそうだ。

大抵の方が1か月以上ホームステイさせてくれる。

それに、リピーターさんが多いので再開しても多分営業して行けると思う。

私たちは初めて行った時少し優雅すぎて大金を使ったがグループで行く人が多いのでホテルもシェアすればもっと安く行ける。

あ~も一度行ってみたいね、と話した。

吉備高原を走っているとき山の中に突如洋館作りの店が現れ「これは何だろう?」と恐る恐る入って見るとレストランらしい。

お昼にはライブがあったと言われたが確かにケーキとコーヒーは美味しく容器もきっと高い食器だと思った。帰ってからネットで検索したらあったのでやっぱり本物(?)だった。

 http://www.fantasia-7.co.jp/


只今はまっているもの(夫が)

2014-07-21 | ダムカード

心療内科の薬に変えてから体調が少しづつ良くなっています。

お腹が痛い時、下痢や便秘もなぜか消化器より心療内科の薬の方があっています。

「病は気から」と夫がいつも言いますがまあ原因も夫が作る方が多いですからそうかもしれません。

今日は本当に久しぶりに長いドライブでしたが昨夜からそうめん用に錦糸卵を沢山作っていたので紫蘇を刻んで帰宅してすぐに夕食が出来ました。

おかずがないと食べられない私ですが昨夜沢山作った春雨の酢の物などで済ませました。

お昼は最近では初めての外食「親子どんぶり」半分で我慢我慢。

私が病気で寝ている間夫は新しい趣味を見つけ、時間を作っては出かけていたようです。

最近、「ダムカード」を求めてドライブする人がいるらしいと聞きすでに10枚以上集めていました。

今朝、早く起きたのですが食事をしたらどうしても起きていることが出来ず1時間後に起こして貰ったら頭も身体もすっきりして10時に出発。

最初は芸北方面に走り始めたので「アサギマダラ」に行くのかな?と思うと通り越して島根方面へ。

美都温泉へ行き「ユズチョジャン」と言うドレッシングと野菜を買い食事をしました。

恐る恐る親子どんぶりを半分食べて我慢しました

夫は昨夜カツカレーを食べたのに又カレーを食べています。

と、言うよりお昼を過ぎていたのでメニューがなかったんですね。

それから何処をどう走ったかよく判らないのですがダムを求めて弥栄村、浜田市の二つのダムに寄りカードをゲットしました。

昨日は静岡方面から来ていたそうですよ。

私にはその良さは判りませんがダムのある場所は鳥や花が多くこころ。にいいことは確かです。

私が眠ってばかりいた頃、ちょこちょこと出かけていたようです。

こういう人はあまり心を病みませんね。大したものだなあと感心しました。

多趣味の私でもこれには参りました。

次回、写した写真やカードをUPしたいと思います。