初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

蕎麦の好み

2014-09-29 | グルメ

最近、蕎麦談義があちらでもこちらでも聞かれるようになった。

勿論、生まれも育ちも津和野(一応島根)の私は幼い頃から食べていました。

でも、蕎麦の花を見たり蕎麦を打っている姿は実は見ていないんです。

年末になると「年越し蕎麦は?」と母に聞かれ私は「蕎麦は勘弁して」と自分で中華そばを買いに行き母に「これでよろしくお願いします。

と、年越しラーメンを食べていました。

でも、蕎麦が嫌いな訳じゃなくて年越しは「つるつるっとラーメンにしたいのです。

我が家で蕎麦を育てている訳じゃないし、どこから調達してくるのかもさっぱり判らないまま「そばがきが食べたくなったら隣のおばさんに作って貰いんさい。」と母に言われ甘いものが嫌いな私は学校から帰ると隣の家(父の実家)へ行って勝手にこたつに入り寝転がっています。

するとおばさんが来て「そばがきが食べたいの?」と聞きます。

「うん」と言って待っていると固くも無く柔らかくも無いちょうど食べごろの「そばがき」が出て来てお椀2杯くらい食べると「ごちそうさま」と、言って自分の家に帰ります。

今のようにインスタントなわさびも無い時代おろしたてのわさび醤油につけては食べる。

ちょっと「変な子」だったんだろうなと思います。

私の母は私が小学校高学年くらいから働き始めたと思いますが隣のおばさんは身体が弱くいつも家で寝ている方が多く、大抵家にいる時が多かったのだと思います。

私は無口な子(今思うと懐かしい)だったので自分からは何も言えなかったけれどきっと母から頼まれていたのでしょう。

 

 余談ですが

女3人寄れば・・・と言いますが私の母が家にいると近所のお母さん連中が10人組だと思いますがいつも井戸端会議でキャーキャー・ワーワーと姦しかったです。

それぞれに役割を持っていたりこの日は柏餅を作ろう、とか、暮れの餅つきはいつも我が家でお父さん連中も含めて大賑わいです。

子供たちは全員お飾りなどが出来上がったら並んでお餅を丸めたり運んだり、10軒分だと一日中かかり皆で作り友達同士で作業するので楽しかったですねえ。

私はお餅もあまり好きでなく2月くらいに作る「かきもち」が好きでした。

私のために我が家は塩入で青のりやごま、豆などが入っていました。

父も母も好き嫌いの多い私には一言も苦情を言ったことも叱られたことも無く今思うと私ばかり甘やかされ、苦学しながら一心に勉強している兄には厳しかった兄はちょっと可哀想でした。

県境を越えて早朝から通学し、勉強もスポーツも出来た兄は大学へ行きたかったに違いないのに父「大学なんか行かんでええ」の一言で進学は諦めたそうです。

就職先も殆どの人が親がかりだったのに兄は自力で就職をしました。

兄は実家で楽しい時間を過ごすことが出来たのだろうかと時折思います。

私は結婚して初めて自分がいかに甘えて育てられたかについて学びました。

お餅が嫌いな私は大きくなって年越し蕎麦は食べられるようになっていましたがお雑煮は相変わらず苦手。1個食べるのがやっとで餡餅などは今でも苦手です。

お姑さんから何度も嫌味を言われたり隠れて食べているんじゃないかと子供たちも聞かれたそうです。

でも、好きなかきもちだけは別腹で食べられるので「かきもち、青のりやごま、豆も作りますよね」と聞いたら「とんでもない、かきもちは甘いに決まっている。塩が入ったかきもちなんて聞いたことが無い」と、一喝。

自分がいかに甘やかされて育ったのかが思い知りました。

でも、こんなことでへこむ私ではありません。

子供たちを使って懐柔策をしたらあっという間にばれて「お母ちゃんが食べたいから塩入を作って欲しいって言えいわれたんじゃろ」

まあしつこい私は、3年間同じ手を使ったのですが家族全員甘いのが好きで夫も味方に出来ず諦めました。

と、話が横にそれましたが夫はいつの間にか江戸風、信州そば系が好きになり最近は出雲そばと聞くと嫌がります。

私はどちらもOKお店もどこでもOKです。

時おり「そばがき」も作っておやつにしますがこれが作り方が下手で固くなったり柔らかすぎたり未だに隣のおばさんのようには作れません。

あの世に問うわけにもいかず「う~んイマイチ」と言いつつ一人ぶつぶつ言っています。

そうそう、先日、総領のあたりで食べる所が無く迷っていた時「蕎麦やなら美味しい所知ってるけどあなたのお口に合わないと言うのなら連れて行きたくないけど」

と、言うと「えーいこの際腹が減ったらなんでもええよ」と言うので「五陵庵」に行った。

看板に「江戸風」とあったのでニヤリとしながら入ったが結構な人がいた。

もりそばをあっという間に平らげたので私の割子を一つあげた。

ちいさなむかごごはんも付いていたが男性には少ないらしい。

すると「冷やす時間が無くて・・・」と地元のいもで地元の人が作ったと言うこんにゃくの刺身が出てきた。刺身も美味しかったが酢味噌の上品さ。

それにむかごご飯に添えられたつくだに。

昆布もカツオブシも上等品。

まあ主人の顔がほこらんだこと。好みの味だったようで上機嫌でした。

 


エディオンスタジアム

2014-09-23 | 日記

 

今日は台所仕事が沢山あってお昼はどうしてもパスタが食べたくてお友達に貰ったニンニクとトウガラシで作った

計って二人分だと思ったけれど量が多く、食べたら二人とも寝てしまい3時ごろ起きて「食べて寝たら最悪、どこかへ運動に行こう」と出かけた。

夫は府中のイオンモールに行こうかと言ったけれど暑くも無し、昔リハビリにしょっちゅう通っていたエディオンスタジアムに行った。

今日は紅葉もまだ、花も無く中途半端で子供連れが多かった。

病気をして初めて来たときに見上げたらため息が出そうなくらい遠く感じたが今日は空を見上げたり、子供たちが遊ぶのを見たり余裕で登った。横の道には椅子があり休むこともできる。

夫はリハビリの進度に合わせいろんな場所を見つけてきた。

最初はアルパークの近くの社宅だったので時間があればアルパークに連れて行って貰った。

顔見知りの店員さんが声をかけてくれてエスカレーターの練習もさせて貰った。

先生の指導とはちょっと違ったけれど入院中にもうできるようになった。

その次は廿日市のさくらぴあ。

2階は絨毯が敷いてありてすりもある。

ぐるぐると歩き転んでも怪我はしない。夫は私を殆ど介助したりしない。

自分の行きたい所に行きながら時おり様子を見に来る。

夫の現役中はデパートに行き服も良く買ったが今は欲しい服が余りない。

ただ、靴だけはどれでも、というわけにいかずどうしても無駄に買ってしまう。

最近は大きなスーパーに買い物を兼ねて行くようになったがこれも少々飽きてきた。

とはいえ以前は隣の駅まで歩いていたので涼しくなったのを機に始めなければ。

ヘルパーさんが来られていた頃もアストラムに乗る 練習で何度か通ったなあ。

雨が降り始めたので大急ぎで車に戻り帰宅した。


小旅行

2014-09-21 | ドライブ

土曜日、SLを見に行ってきた。

いつものように早朝起きてぼんやりしていたら「SLが開通したから見に行こう」と言うのでカメラを持って出かけた。

実は小さい頃から乗っていたSLにはそんなに興味が無い。

親友も親戚の人も沢山亡くなって「帰りたい」気持ちは薄れている。

だが、カメラの趣味としてのSLや津和野の町並みはどこを見ても絵にはなる。

先日、栗ご飯を作って息子たち、娘たちに届けたらとても美味しかったと喜んでくれた。

津和野に行くのならぜひ、栗の産地吉賀町で栗が買いたい、と言った。

でも、夫には興味が無い事なのだろう。

途中「栗、松茸・・・・」と言うテント小屋があり人が群がっていたが全く気にも留めず柿木道の駅に着いた。

途中で「止めて」と言うと途端に機嫌が悪くなるのでどうしても言えない。

途中何カ所か栗、松茸の店があったが興味のない人には目に入らない。

柿木には野菜もほとんどなく寂しい限り。

この地方の栗は大きくて形も横にむっくりして美味しい。

がっがりしてむくれてしまった。

夫は機嫌よく津和野の道の駅に入ったが私は栗のことが気になって何も見たくなくて新聞を読んでいた。

夫が「あと二袋あるよ。栗を買わんの?」と言うので「うるさい。だまとって」とますますむくれた。

小さくて広島にもある栗だったから買う気は全く持ってない。

私がむくれているのがやっと判ったのか「11時は山口発でもうすぐ津和野に着くから途中まで迎えに行って見よう」と言う。

私もそれならと腰を上げて山口方面に走った。

隣町の徳佐まで行くとボーと汽笛が聞こえたので車をスーパーに止めて橋の上に行った。

カメラを持った人が数人集まった。

私は失敗を恐れ連写にしてスタンバイした。

この場所は直線距離だがカーブを回った途端にボーと汽笛を鳴らし私たちの近くに来た時は煙が薄くなって面白くない。

何度も何度もサービスで汽笛を鳴らしてくれた。

その後、食事処を探し車が沢山止まっているので人気店かな?と入ったが殆どの人がうどん。

最近出費過剰なので安くしたいと私は山菜そばを注文。

メニューを見ると鮎やヤマメなどの定食や雑炊などわたし好み。

でも、鮎はまだ我が家に冷凍物があるし3000円も出す気はない。

さて、次にどうしようと言うので以前通った時寄ったお店など散策してSLの帰りを待とうという事にした。

お店は注文は終わりお豆腐類を買った。

SLを写しに戻るのかと思ったらまだ走る。

と、山中に以前から行きたいと言っていた喫茶がマツムシソウに覆われているではないか。

夫が「前から行きたい所じゃなかったん?」と言う。

でも、何度通っても無視し続けたところ。

私の機嫌を取るために行ったに違いない。

最後の坂がきつく引っ張って貰いやっと玄関へ。

マツムシソウの紫がゆらゆら揺れてとても奇麗。

玄関先には鷺草も咲いていた。

中に入るとワンちゃんとともにお店の人が迎えてくれた。

マツムシソウの話をすると「まだまだシラヒゲソウもあるし、ウメバチソウ、センブリも咲きそうですよ。あとで案内してあげます。

と言われ山野草談義ののちシラヒゲソウ再挑戦と外に出て撮っているとマスターが「これがウメバチソウ、これがセンブリ・・・」と説明して下さった。

もう夕方だからしぼんだのかね。もうすぐみんな開くと思うよと。

四国の岳人の森ほどの面積は無いが裏山が広がっていた。

私に散策できるかどうか判らないが「ウメバチソウ見に来ますね」と後にした。

余りに小さく森の中では目の悪い私には見つけられないかもしれない。

でも、他の人のブログで見るたびどんな花か気になっていた。

これで一歩近づいた。

むくれたおかげだ。

いつも我慢せず時には大きくむくれてみるのもいいな。

 

 


体育祭

2014-09-13 | 家族

今日は高3の孫の最後の体育祭に行ってきた。

色んな事があり数日前まで休んでいたが最後の体育祭だからなのかここ数日学校へ行った。

早朝7時前に「ジイジお願いします」と電話かメールで言って来て待ち合わせて行き毎日帰りは遅いと娘が言っていた。

取りあえず小さな目標があれば行けるのか、朝早いのは大変だが送って行けば夫は安心らしい。

今朝早く起きて9時過ぎに行くとまだ座れる椅子があり一人カメラを構えていたが何せ同じ姿恰好では見つけることは無かった。

でも、生徒たちの演技が楽しくてどっと笑いが起こるシーンが沢山あった。

2年生の障害物、女子がゴール前で最後の人を待って「せーの」とテープを切って観客から拍手が湧いた。

最後に男子がタイヤを途中まで運ぶのにそこにあるタイヤを全部運び最後に足を引きずっている男子を担いで来た。

跳び箱を全員が飛んで最後に皆でかついで跳び箱に座らせた。

そして次の作業にかかるとその子が「おーい」と呼んで又しても全員で担いで走り最後の網くぐりは全員でくぐったあと網を持ち上げその足が悪い子が匍匐前進でくぐった。

そして出てきたらおみこしのように担いで又しても「せーの」と言ってテープを切って大喝采を浴びた。

その子は足が不自由なのか怪我をしたのかは判らないがそんなシーンがあちこちにあり生徒自身が保護者を楽しませようとしているのが判り午前中は楽しませてもらった。

早めに学食に行かないと午前の部が終わると生徒が来るので早めに食べに行った。

夫は他の学校へも顔を出してきて丁度後ろに来ていたので一緒に行くことが出来た。

安いのに量が半端でなく夜は殆どご飯が食べられなかった。

最近の高校はのりがいいのねと娘に聞くと特に孫の学校は昔から

そんな風な校風だとか。

「午後のフォークダンスは超楽しかったのに」と言ったが余りに暑く椅子を探すのが一苦労なので自宅に戻って一眠りしていたら娘たちが戻ってきた。

今夜はおでんと言っていたので直接来たと3連休用にビデオや本を沢山買ってきた。家族で同じ漫画をセリフが言えるほど何度も読むそうだ。

孫も今夜は打ち上げで楽しい夜を過ごしていることだろう。

もうイベントはすべて済んだがさて、来週からはどうするのだろう。周りはやきもきするがこれはなるようにしかならない。

取りあえず今日の楽しかったことを喜んでおこう。


「砂の器」から思い出すもの

2014-09-11 | 思うこと

先日、何もスケジュールが無いので夫に付き合って「砂の器」で有名になった亀嵩方面へ行った。

夫はいつも「どこへ行く」と目的を言わない。

私は少々不満ではあるがこうして何十年過ごして来たらもう怒る気にもならない。

ただ、いつも思い付きによるものが多く、先週もそのせいでお昼ご飯を食べそこない4時近くにやっと食べられた。

今は孫や娘たちのことでストレスも多く「大目」に見ている。

60歳を過ぎたころから何となくあきらめに似た感情も芽生え「老後を穏やかに凄そう」と言う気持ちが出てきた。

私の母は我が家に来ると必ずと言っていいほど帰る前に「大泣き」をして帰る癖があり、夫も半分はからかって「おばあちゃん、死にたいのなら太田川大橋の欄干で後ろから落としてあげようか?それともマンションから突き落とした方がええ?電車は残った家族が大金を払うようになるよ。僕は警察に捕まってもいいから好きなのを選びんさい」と言っていた。そして泣くのを辞めて帰って行った。

義母は気丈だったから「死にたい」などと言ったことは無いが「いびり」は結構あった。

夫がいない時にいびるが私はあまり気にせず殆ど聞いていないのでプルッとした顔をしているのでそれが又気に入らなかったみたいですねる。

だが、ボケたら夫の前でもいびるようになり、それには夫も激怒していた。

それでもヘルパー研修で習った通りに対応するとすぐに穏やかになり苦しむことなく亡くなった。

私の母は元々暗く、気性は優しくおとなしいのにボケたら噛みついたり怒ったり大変だった。

人間、死ぬまでには人それぞれだなと思ったものである。

そうそう「砂の器」でいつも思い出すことがありあの犯人のお父さんの病気はハンセン病であったことを思い出し子供の頃から「あれは何だったんだろう」と思っていたことが蘇ってくる。

私は戦後の団塊世代。放課後はいつも団体で遊んでいた。

ある日、誰かが「あそこへ行って見よう」と言った。

あそことは不思議に暗黙の了解で口に出せない場所である。

私も興味津々で着いて行った。

男女合わせて5~6人だったかとある民家の裏、閉じ込められているお姉さんがいると言う。

恐る恐るみんなの後を着いて行って見ると色白の20代~30代位の真っ白な顔をした女性がガラス越しに見える。

私たちは手に手に野草の花を摘み差し出した。

すると部屋の隅にいたその女性は微笑んだ。

でも、何を聞いても何も言わない。

何かの病気なのだと思った。

私たちが採ったタニシやカニを見せたりしたら喜んでいるようだった。

「また来てもいい?」と言うとうなづいた。

いつも花を摘んだり見せたいものをそれぞれに持ちそっと行って30分ばかりで見つからないように帰っていく。

その女性の病気は何だか知らなかったが鼻が崩れていたのを覚えている。口からは茶色いよだれが出ていたが気持ちが悪いと言うより可哀想だなと思った。

その時に誰かが言ったのが「らい病なのかな?」と言う言葉。

ほかの誰かが「梅毒じゃない?」とも言った。

でも、鉄格子が(と言うふうに記憶している)はめられて大人たちから決して行ってはいけない場所だと言われていた秘密の行動。

未だ持って判らない出来事は何となく重なって思い出してしまう。

あれからあのお姉さんはどうなったのかとうとう母に聞くこともできず不明のまま。

今はハンセン氏病と言う隔離も遺伝もうつることも無い病気だという事が明らかになったがもし彼女がそうであったのならば・ ・・と心が痛む。

私の心にも暗い影を落としたその病名と砂の器が重なりそんな時代だったのかなあと夫に聞いたら自分の近くにもいたよ。そんな暗い話はやめてくれと言われた。

どうしてこんなに年を経ても思い出すのか私も不思議だが、そんな暗い時代に生きてきたんだろうと思うことにした。

母もきっと訳の判らない不条理があり私に解決してほしかったんだろうと思う。

60年生きてもまだ世の中判らないことだらけ。

いつになったら誰とでも気軽に言いたいことを言い、したいことが出来るようになるのかな?

 


ホームページ

2014-09-07 | 勉強

今、自分のホームページのリニューアル中です。

時間を見つけては少しづつ手直しをし乍ら古くなったものは削除しつつ新しいページもと張り切っていました。

ところが昨日「page on」からメールが来て無料貸し出しを辞めると書いてあります。

今までは10MG無料で借りていたのですがどこかへ引っ越しをしなければなりません。

ブログは簡単に引越しできますが初めてのことでちょっと気が重くなっています。

作成はビルダーで作っているので何処で作っても同じだとは思いますがアドレスが変わり、又してもIDやパスワードを取ったり面倒です。

写真が多いとすぐに10MBは超えてしまいます。

公民館のボランティアで写真、ロゴなど勤めて使わないようにしてきたので結構地味です。

いずれにしてもお遊びはお金がかかるものです。

今まで撮りためた写真やNZ旅行の写真も何とか整理できたので欲張ってページを増やそうと思っていましたがNZは途中で電池が無くなりゲストハウスに忘れたままで充電できず一番いい場所は撮れずじまいで大失敗。そのままやる気を無くしていました。

でも、友人のSさんが「見たい」と言われたので嬉しくて張り切ってはいたのですが・・・どうなるでしょう。

昨日、山口の栗谷に栗を買いに行ったら先日より小さくて高いので買わずに帰りました。

運がいいと新鮮、安いに出会うのに本場はまだまだこれからのようです。

さあ今日は何して過ごしましょう。

 


秋の花

2014-09-06 | 映画

ここ数日ドライブに行った先で撮った秋の花の写真をupします。

久しぶりに小さな花を写したのですが白とびしたり、天気がいいと画面が見えずピントが合いません。でも、上手く写せないからこそ続けられるのかな?と思う事にしています。

カメラの取説は皺くちゃになっていてもまだまだ分からないことだらけです。

昨日は久しぶりに八幡に行きましたが不機嫌な夫には気兼ねであそこもここもと言えませんでした。

「早く早く」と言われるとピント合わせの途中でもシャッターを切って「まっいいか」と思うことにしています。

昨日はその後美都町まで行き野菜市を覗くと大きなクリが一袋400円。今朝から頑張って剥いて冷凍しました。

次回、新鮮な栗を見つけたらまた買って栗ご飯にします。息子に娘に孫たちに食べさせたい一心です。

大朝にいるとき義父母が毎日大量に拾ってくるのを夜なべで剥いていました。

小さくて大変だったけど最後は中華鍋で鶏肉と旨煮にしていましたがこれは栗が沢山ないとできません。

私、結構いい親してたじゃない・・・と自我自賛。