初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

PCボランティアの日

2008-05-30 | 未分類


昨日は月一のパソコンボランティアの日。


半日だと聞いたが午後から公民館まつりの準備をすると聞き、お弁当を持参で行った。


出かける前に友人から休むと連絡があり、話しているとぎりぎりセーフ。


みんな黙々と自分のしたい事をしている。


私は気になっていたTOPページのリニューアルをあれこれ考えて先生に相談しようと思ったが他の人のお手伝いをしていたら自分の事が殆んど出来なかった。


自分のホームページ作りに四苦八苦するする人、写真が趣味で先日の四川大地震の現地に旅した人が地震前の写真を見せてくれて子パンダの行方や現地スタッフの親切でフレンドリーな接遇などの話をする人、公民館まつりの作品に精を出す人など各自自分の世界だ。


私も聞きたいことがいっぱいだったが引っ張りだこの先生の手をあまり取りたくないのでアドバイスだけにした。


彼女は私生活でもご病気の御主人の世話と実家のお母さんの入院に連日行ったり来たり、おまけに、公民館の教室やボランティアを掛け持っている。


それだけで手一杯だけど写真の勉強、英語の勉強にと時間を惜しむように飛び回る。


そこで得た知識を惜しげもなくみんなに教えてくださる・・・。


春先、お母さんが倒れ入院された時、PC教室の事、ボランティアの事、みんなで慌てふためいた。


彼女に「おんぶにだっこ」だったと言うのがよくわかった。


公民館のサイトもあまり関心が無く、与えられた仕事だけしていた自分を情けなく思った。


以後、全国の公民館サイトを巡り、ビルダーに取り込んでは研究。


サイトの中身も点検してみた。


全国の公民館の中では手前味噌ながらとても暖かい手作りのよさを実感したり、面倒な表組みをしたり技術を駆使したりして技術力の差を感じたりする一ヶ月だったけどやっと相談できて方針も決まった。


PC教室の初心者コースの中にデザインの仕事をしていた方がいてその方の力も借ろうということになった。


手の痛みと付き合いつつ取り組んでいきたい。


午後からは各コースの代表者さんや作品のまだの人が集まり、素晴らしい作品も見せていただいた。


Aコースの人達はもう5年位通っておられるので随分腕も上がっている。


来月からはGIMPの勉強だとか。私もソフトをダウンロードしているが使いこなせていない。一緒に勉強させて貰おう。


夕方まで準備をして帰りかけたら誰かが「お茶しに行くよ~」と、言って各自近くの車に乗り合わせて喫茶に行った。


女性ばかり10名位、パソコンの事、携帯電話のこと、四川大地震の事etc・・・話が続いて話疲れた頃先生の一言「みんなとゆっくり話が出来てストレスが無くなった」


月に一度だけどいつもあっという間に時間が過ぎてゆっくり出来ない時が多い。


それにしても、あんなに忙しい日常なのにいつも親切に指導してくださる彼女の人間性に今回も圧倒された日だった。


私には到底真似できないなあ。




ブログコラボ「ダイエット」

2008-05-28 | 未分類

今更ダイエット・・・と、うそぶいても、実はダイエットなるもの殆んどしたことが無い。


小さい頃から太っていたので医師からも「もう2~3キロ減らせば良い」と、言われ続け熟年世代になってしまった。


病気をして一念発起数年間痩せたが、今は元どうり・・・いやそれ以上かな。


太ってはいてもウエストは意外に太くならずお腹もそんなに出ていなかった(つもり)


それが、一昨年の夏、娘達とやたらイタリアンなどのカロリーの高いものを食べた。


それまでは「過敏性大腸炎」の為食欲もあまり無くて、食べてもすぐに吐いたり下痢したりの繰り返し。


美味しく食べられて嬉しくてつい食べすぎ少しづつ太ってきた。


昨年からはパンツが苦しくなり、パンツを買い換えたり、ジーパンをやめたりしてしのぎつつ、それでも食べられるのが嬉しかった。


この春、海外旅行の為に健康診断をした時、医師が始めておへそ回りを計測した。


ドキ!としたが何も言われなかった。


そうなのだ、お腹が出始めたのだ。


昨日TVで「メタボ」を特集していたので見ていたら新たに「メタボ検診」が導入され色んな検査の中にこのおへそ周りの計測があるのだそうだ。


女性90センチ以上、男性85センチ以上。女性は皮下脂肪が多いのでその分減らしているのだそうだ。


私は90センチは無いけど完全なる「メタボ」だ。


「ダイエット」何てしない、などと言わずに今すぐ取り込まなければいけない。


運動はあまり出来ない。毎日の散歩だけが頼りだ。


食事は少し控えめにしているが本当はご飯を計った方がいいみたい。


甘いものは少々苦手なので食べなくていいがこれからは「アイス」を食べる機会が多い。甘いもの嫌いとはいえかき氷、アイスは大好き・・・カロリーたかいなあ。


あぁ~、誰がこんなお題を考えたのやら・・・。


でも、「メタボ」は絶対「いけん」


美味しいもの、少し我慢。がんばろっと。


と、言いつつ孫達の為に「水羊羹」「フルーツポンチ」「シフォンケーキ」「桜餅」の材料を大量に「プロフーズ」で買ってきた。


こりゃ味見をしないようにしなければ・・・。




薔薇・薔薇・薔薇

2008-05-25 | 未分類

この所、肩や腕、更に腱鞘炎の痛みが酷くなり、パソコンの入力を控えていました。


夫も50肩、二人で痛い痛いと言いながらゆうさんの情報で和木町「蜂が峰公園」のバラ園に行って来ました。


スライドショーにしたので見てください。


スライドショーはこちらから。IDが切れていたら「natuki」です。


薔薇は散り始めでした。


場所


 




ブログコラボ「心に響いた言葉」

2008-05-20 | 未分類

今回のテーマは少々難しい。


と言うのは絵手紙教室でいつも「心に響く言葉を考えろ」と言われているからだ。


心に響くと言うのは相手にとってどうなのかと言う言葉なのでこれはいい、と、思っても相手には全く響かない事もある。


私の60年の人生の中で心に響く言葉をかけてもらったのは親を初めとして沢山の先輩方からの言葉が多かった。


その中で、私にとっての大事件である「病気」と向き合っていた時の言葉は今思うと薬よりももっと元気になれる一枚のはがきの言葉だった。


脳内出血を発症して不安を抱えながらリハビリ三昧の日々を送っていた時の事。


沼津の友人から私へ絵手紙が届いた。


絵手紙なるものを初めてもらってその独特の描き方にも驚いたがその中にこんな言葉が書いてあった。


「人生には楽しい事、悲しい事、辛い事、色々あって人生だよね」


手紙の主は私より数才年上の同じ会社に勤めていた彼女。


独身の頃、労働運動に入るきっかけになったのは組合の学校が伊豆稲取に出来てその第一期生として40日間の研修に全国から111名の若者が集い、勉強した事だ。


私は当時は組合なんか真っ平だと思っていたので半強制的に送られてしまい最初の一週間は泣きながら過ごした。


講師陣は全国から集められ哲学や経済学の大学教授、更には教師養成の為の講師も来て授業案を作らせられたり、詰め込みの授業の毎日だった。


その時に同室だったのが沼津の彼女だった。


私の姉のように手をとり足を取り幼子に接するように優しく癒されて卒業してからも行き来し、付き合ってきた。


その手紙が来る前、彼女から電話があり、ご主人がバイク事故で亡くなったと聞いた。


私の絵手紙に書かれた言葉は彼女自身にもあてて書いたものだと思ったが、当時目標が見つからず悶々と過ごしていた私にはどんな言葉よりこの言葉のほうが元気になった。


「人生いろいろあらあな」と、言えばそれまでだけど、この言葉には深い意味を感じて、人生の波に乗ってゆっくりと生きて行きましょうよ、と言うメッセージに取れる。


私が絵手紙を習いに行くきっかけにもなったこの手紙は今でも大事に取っている。


私が今でもポジテブに生きている、それはこんな言葉に支えられているから。




1週間遅れの母の日

2008-05-19 | 未分類

 



 



(家の裏に咲いていた山野草、「アマナ」でしょうか?)


先週の母の日はショートステイだったので1週間遅れでプレゼントを持って行った。


プレゼントと言っても「お金」


数年前までは服や小物など使えそうな物にしていたが、今はお気に入りの青いカーディガン以外はなかなか着てくれない。


義姉が「もうボロボロで恥ずかしい」と、いつも言うのだけど洗うからと脱がせようとしたら抵抗して大変らしい。


瞬時にして忘れるから脱がせてしまえば大丈夫そうだが、大暴れしたり、悪態をついたり、これがアルツハイマーの特徴かも知れない。


今は手放せないものの中に「懐中電灯」「補聴器」「青のカーディガン」は三種の神器のように頭の中から離れないらしい。


これらを常に手元に置き、リュックに入れている。


私達が見舞いに行くとすぐに「パジャマに着替えさせて」と、言うので二人がかりで着替えをするが、その間にも「懐中電灯は?」「補聴器は?」と、都度確認しなければ落ち着かない。


これらをすべて目の前にぶら下げておきたい衝動に駆られるのは誰しも同じだろう。


私達は時々しか会わないので笑って合わせてあげることが出来るが24時間同居の兄夫婦のストレスは大変なものだろう。


義母の場合は「財布」が手放せなくて、トイレの時も診察の時も散歩の時もいつも携帯していたので病院内では有名になっていて医師や看護師さんがからかったりして楽しんでいた。


「私はお金だけが頼り」と、口癖だった義母ならではの最後の日々だった。


それは生きる気力に繋がるらしく、亡くなる前日まで持ち続けた。


不思議な世界だけど、私は一体何が手放せないか楽しみのような、不安なような。


母はまだまだ元気で長生きしそう。


自身も病と付き合いつつ介護する兄と変われるものなら替わってあげたいと思う。


「長生きをしてね」母の日の決まり文句だけれど、これからの時代高齢者に優しい時間が訪れる兆しが見えない今、何も言えなかった。


介護している兄夫婦へ感謝の母の日だった。


癌を克服した兄が今は腰痛で苦しんでいる。


ドライブも遠出は難しくなったようで気の毒だなあと、思った。




香木の森

2008-05-18 | 未分類


久しぶりの香木の森。


昨日はハーブ苗を買いに行ったけど、何だか花が少ないなあ。


いつもの活気が無くて残念だけど、こういう時期なのかな?


私の欲しい苗は全部無かったけど、まあ良しとしましょうか。


いつもはもっと寒い時期に行くのだけど、今年は何やかやと忙しくて連休明けになった。


大好きなタラゴン、無事2株残っていて娘の耕した畑に植えてきました。


きょうもこれから水遣りに行ってきます。




 


 




絵手紙教室

2008-05-15 | 未分類


今日は一ヶ月ぶりの絵手紙教室。


重たいリュックを背負い教室に着くと既にみんな到着して墨をすっている。


先生も時間をおかずに到着して一ヶ月の出来事を一人づつ話す。


勉強した事、気づいたこと、旅行中の出来事、こんな話をしながら今日のテーマにつなげていく。


それぞれ持ち寄った本や写真など今回のテーマ「模写」についての思い等を話し、聞いた。


この絵手紙教室の良い点は、絵手紙の画材としてどうだろうとか、こんな所にも日本の文化財があったとか、絵に関する話が聞けることだ。


話の途中で先生が正式な時代を教えてくださったり、同時代の画家、時代背景などについても考えてみる事だ。


それでも、作画に入ると自分の世界。下手であろうが上級者であろうが自分の世界で白い紙と対峙する。


30分の時間制限の中で私はちらりと携帯に目が行き、気になった。


案の定、力の抜けた線になってしまったがそれが今日の私。


今日は大きく描きたいので巻紙を持参した。


いざ絵付けをしようとしたらパレットを忘れている。


仕方ない、紙を挟んで行った紙ばさみを代用。


どこでも何でも絵が描ければ良いよと先生のアイディア。


こんな自由気ままな教室だから長続きが出来るのかもしれない。


30分で一気に描いて先生がパンパンと合図をして「はい、今日はこれまででコーヒー飲みましょ」と、一息入れて休憩に入った。


一人づつ覗き込んではみんなで感想を言い合う。


みんな上手だなあと思いつつ自分のも見てもらう。


でも自分の味は自分でしか出せない。上手な人は何を描いても上手に描ける。


自分が下手で恥ずかしくてたまらないと思う人はこの教室には入れないかも知れない。


下手だからこそ可笑しくてそれが楽しくて笑いあう。「下手」を吹っ飛ばしているようなものだ。


私など「公然とブログに載せて恥を描いているのよ」と、大笑いした。


新しく入会した彼女は「消えてしまいたい。もうやめようかと・・・」と、告白したがみんなで「そんな事言ってたら何しても楽しくないぞ~」と、みんなに言われて続ける事にした。


そんなこんなで今日もあっという間に終わった楽しい時間。


帰りにマタマタ迫ちゃんの畑でえんどう豆を収穫してもらって帰った。


明日は美味しいまめごはん炊くぞ!




ブログコラボ「五月病」

2008-05-13 | 未分類

「五月病」は随分前から聞く名前だけれど、私の周りにはいないみたいだ。


だから、本来の「五月病」については全くわからない。


10年前に脳出血を患って以来、私は身体が不自由だと言う事意外に身体の「痛み」がある。


この痛みは「視床痛」と言って脳の視床下部が感じる痛みで、傷むのは患側のみ。


最初は日によって全く痛まない日があり、寒い時期以外は我慢できる程度だった。


それが、数年前、突然痛みが激しくなり神経内科、脳外科を受診した。


外見は何ら変化は無いけど視床下部の出血をした人は痛みがきつくなる人が多い、と聞いた。


痛み止めの薬や治療法も確立されていない現代では「慣れる」しかない。


私はこの痛みから逃れたいばかりにネットにのめり込むようになった。


ネットを彷徨う内に同じ痛みを抱えた人、他の病気と闘っている人、病気のみでなく人生の荒波に抗っている人、様々な人間模様を見た。


そうする内に私はいつの間にか「痛い」と言う言葉を出さなくなっていった。


しかし、何とも気持ちが悪くて辛いのは「爽やかな五月の風」


暖かくなり始め身体も段々楽になっていくこの時期、爽やかな一陣の風が吹くと「あ~痛!」と思わず言ってしまう。


病院の先生は笑うけど「五月の風」だけはどうもいけません。


さし当たって私の「五月病」はこんな事でしょうか。


 




「本願寺展」に行って感じたこと

2008-05-10 | 未分類

昨日、友人と「本願寺展」に行った。


私は元々美術館は一人で行くのが好きだけど今回は友人からの誘いで一緒に行った。


思った以上の人の多さに驚いたが友人から「信者さんが多いのよ」と、聞いて「なるほど信心深い人が多いんだなあ」と、思っていたら帰宅した夫が「信者には券が配布されている」からと聞いてがっかりした。


本願寺の歴史は親鸞の歴史そのもの。


その親鸞の教えに学ぼうと言う人ばかりでは無いようだ。


勿論私も本願寺の美術的価値が見たくて行ったので人の事はいえないのだが・・・。


今回の展覧会は親鸞聖人750回忌の記念行事の一環としての開催で、掛け軸などは普通の展示作品に比べすすけて?いるのか見え難い。


それにしても見事な天井絵、襖絵、歴史上の人物の直筆などが沢山出品されていた。


襖絵に至っては5億2千万画素の超高精細の複製が並べて展示してあり、本願寺の財力にも驚かされる。


お寺に展示してあるものは美術館の美術品のような保存がされていないのだろう傷みが激しく見づらいものがあったが、本来は信者にはいつも公開されているものだろうか。


親鸞の教えは「南無阿弥陀仏」と、唱えれば悪人さえも全ての人が救われると言う誰にでも分かりやすい教えだ。


世界中で飢餓、貧困、暴力、戦争などに加え地球温暖化という自然の危機に瀕している今こそ宗教の果たす役割は大きいと思うが釈迦やキリストの教えをどうして生かされないのだろうと単純に思ってしまう。


こんなに多くの人が親鸞の教えに感動するのならなお更、自分の周りに教えが広まらないのだろう。


自ら寺を持たず、布教活動に尽くした僧侶が過去には沢山いたが今はお寺から出てこない僧侶が多い。


宗教は今こそ人々の中に入り、世界の平和の為に尽くすべきではないかと思う。


まして、葬式だけのお寺からも脱却して欲しいものだ。


 




くんちゃん地鶏

2008-05-07 | 未分類


くんちゃん卵のくんちゃんが今度はくんちゃん地鶏を販売する事になり、早速手を上げた。


連休中にゆうさんの所に届いたものを調理、「硬い」と聞いていたが、まず自分の好きな調理法で攻めてみた。


調理前に酒を振り、暫く漬け置き。


串で突き刺すが通らない!


あれ!、以外に手ごわいかも、と思ったが数分蒸し、一口大に切る。


やっぱり硬く、しっかりしている。


一口大に切ったものにコショウ、塩、七味唐辛子をすり込み焦げ目が付いて香ばしくなるまで焼く。


試食は7人。まず、私が食いつく。ジワッと肉のうまみが広がる。


ピリ辛で美味しいが、か・皮が硬い!虫歯もシソーノーローも無い私の歯なら何とかいける。


見ていたみんなが一斉に食いつく。


しかし、小さな子や歯の悪い大人達ばかり、悪戦苦闘している。


食べ終わって感想を聞いた。


? 味は美味しい


? 硬いので塊で調理せずに細かく刻んで焼いたり、煮込んだりすると食べ易い。


? 皮と肉の部分を分けて調理すると食べ易いかも


? 昔の鶏肉の味


と、色々感想が出た。


私は当初バンバンジーにしようと思ったがこれは無理。


くんちゃん、この硬さ、なめてました。


次回は地鶏カレーで煮込むか細かくしてハンバーク風にするか考えて見ます。


でも、美味しさではまずまずの評判でしたよ。