初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

人として

2018-07-29 | 家族

 

少し大げさなタイトルだが年を重ねると色々な問題が起きてくる。

水害やこの暑さで心配なのはもちろん子供達の事だが私は8歳年上の兄の事がきにかかる。

毎月一度は様子を聞くために電話か訪問するかしている。

兄はその上に心臓の病気を持っているので時折入院したり手術したりする。

今までは車を運転していたので病院通いもまあまあだったのだがドクターストップがかかって公共交通機関を利用してバスで通っている。

ここ数年、電話のたびに義姉がこぼす。

今年の暑さはきっと堪えているだろうなと思うのだが案の定辛いらしい。

今までは逆にいつも私の事を心配して私の倍くらい電話をくれていた。

もう二人とも80に手が届く。

最近聞くのは歩くのがしんどいらしい。兄は心臓がしんどくて散歩もあまりできないくらい。

義姉は年齢的な事、足が弱ったのかもしれない。

二人ともデイケアに通っているが送迎車を利用するのが嫌なのかバスで通っていると言うのだが肝心なことは私も聞き取れない。

とにかくしんどいと言うのだ。

そんな時、母の妹が突然電話してきて「今自宅に戻っているが転んでしまった。施設の費用が沢山かかって払えなくなりそうだから助けてくれ」と夜中に電話があったと言うのだ。

私も数年前にこの叔母とかかわりを持って色々とケアしてきた。

最初は脳梗塞で入院し、まだ母が生きていた頃だったので山口市まで行って説教をしたことがある。叔母は贅沢な人で病院食がまずくて食べず、リハも言う事を聞かず勝手にトイレに行ったり歩き回って転んでけがをしたりとても手がかかった。結局、叔母に面と向かって言い聞かせる人がいないので私の出番になった。

夫もそばでこんこんと言い聞かせてくれた。その時、夫はまだ現役だったのでお金のことは気にせず入院に必要なものは全部広島で買いそろえて行った。

それから叔母に何かあると私の所に連絡が来た。しかし、私も半身不随の後遺症があり運転も辞めた。しかし、息子が東京から戻って面倒をみるのかと思ったがいつ行ってもいない。よくよく聞くと息子は糖尿病で会社を辞めて離婚したようだ。仕事も叔母がしていた衣料品店を手伝っているだけだと言うので呆れてしまった。叔母には「まず、自分の息子が病気を治し親を介護するのが筋だと言うように言ったが叔母の2倍もある巨体を自分で動かせずトイレは叔母が連れて行かないと自力で出来ないと言う。私は驚いて私の体調もあるし夫に介護して貰ってる身だからお金も世話もできないよと言っていたがその内市役所から「身元引受人になってくれ」と言う文書が来て電話で問い合わせてきた。私は驚いて「自分も要介護状態で人の介護をが出来る状態ではないことを書いて返信したがそれ以後も何度も連絡が来る。義姉によると「私の骨を拾ってくれ」「施設のお金が足りなくなったら払ってくれ」と言ったそうで義姉にまで迷惑をかけてしまった。人として、と書いたのは今の私の心情なのだが、私たちの親はそんなことも無く穏やかに旅立って行ったが叔母の場合はどうなるのだろう。誰も自分の事で精一杯だと思うが一人の人間としてどうすればいいのだろう、これからそういう人は増えそうな気がする。従弟は親の面倒も見ずに自分の終活もできない。情けないことだと思う。娘に言ったらきっと怒るに違いない。「おかあさん何処までお人好しなん」

我が家のようなケースは今はどこにもあるだろう。けれど、時折考え込んでしまうのだ。私が元気でいたらきっと飛んで行って面倒をみていただろうな。叔母の介護で倒れていたらきっと私の家族も呆れて今の自分はあり得ないだろう。

これからは自力で生きていかねばならないと改めて自分に言い聞かせました。

 


エクササイズ

2018-07-27 | 日記

今夜も相変わらず暑い。

食事の後クーラーを切って自然の風だけで寝るまで過ごす。

風呂上りには自然の風が吹き始める・・・・のは昨年までだ。

今年はやはり異常気象と言わざるを得ない。

寒がりの私は少々暑くても汗が出ても夏が好きだが今年のように首にねっとりとまとわりつくと「こらえてくれー」と逃げ出したい。

今日はディケアの日。夫が送迎してくれるので朝も帰りも好きにできるので気が楽だ。

金曜日は大抵マッサージの先生に身体中をマッサージしてもらえるので帰るころには身体が楽になる。

先生は若いけど病気で失明して全盲だそうだ。

これまで通い始めて肩や首、腰などの痛みはかなり軽減された。使い過ぎの腕も肩から背中まで汗びっしょりになってして下さる。

整体に通う頃は一回が三千円であっという間にお金が無くなる。それに、予約が取れない事が多い。

それに比べると今は毎週金曜日だと決まっていて時間も大抵決まっているので色んな運動が用意されていても自分で決められるのでいい。

もっと早くこの病院を知っていれば良かったなと思っている。

医師はとても親切で優しい。定期的に検査もちゃんとしてくれて適切なアドバイスもしてくれる。

私がマッサージの時はボールやゴムを使った体操はちょっと無理なのでパワーリハが丁度いい。

午後からは外部の講師の体操やスタッフの人のエクササイズなどがありヒップホップな音楽に合わせてテンポを刻むと動かしやすくて楽しい。

ここ最近は午後にスクワット20回は定例にあり、膝が痛い人用、腰が痛い人用など新たなメニューも考えてくれるので無理しなくてもいいのが楽でいい。結構80代の人もいるが皆やる気満々の人が多い。

私はいつもゲラゲラ笑いながらするらしい。

自分も一人前にできないくせに人の動作が可笑しくて笑っている不届き者なのだ。

今日はゲームしてもまだ痛みが来ない。

今夜はまだ涼しい風が吹き通らない。でも、もうすぐ眠りに入りそうだ。

 


月桃の花

2018-07-23 | 映画

今朝、夫が「おい、升井さんが投稿の記事をfacebookに載せてるよ」と言ったので升井さんの所へお礼かたがたブログを読んだ。

そう言えば、随分前に投稿をしたことをすっかり忘れていた。

投稿記事は大抵投稿して1~2週間後に載る事が多く、今回のようにセレクト記事なら新聞社から連絡があったりする。以前、掲載された時期に入院していて電話したらセレクトが3部も送ってきた。新聞に掲載されるのは嬉しいことだが私はいつも朝刊の「広場」や「こだま」に投稿する事が多い。「こだま」は女性のみだと聞いたが「広場」は主張が多いので少し緊張して投稿する。

今回は記事の内容は「いつか書こう」と思っていた題材だったので割とすんなりと書いた。でも、少し修正があり、勉強にはなるが少し落ち込む。

歌は楽譜があるのですぐに大まかには歌えるようになる。

物悲しいメロディーでユーチューブで聞いたら私の好きな「ネーネーズ」さんも歌っていた。

とかく、広島にいると広島目線で思ったり考えたりが多い。

沖縄問題も返還までは集会や勉強会もあり、頭の中には常にあったような気がする。歌声喫茶では歌う楽しさもあるが歌いつつ「こんな問題もあるよ」というなげかけもある。

若い頃はいつも反戦平和にかかわる事も歌声喫茶で学んだ気がする。

ボブディランがノーベル賞をもらう時代になったが状況はさほど変わっていないと私は思う。

私の好む歌は分類でいうと「フォークソング」

ボブディランも「風に吹かれて」とかいい曲を沢山歌っている。

もう随分前にたまたま夫が見つけたお寺で音楽喫茶店を見つけた。

島根県との県境付近だったが夫は自分の好きなジャズ喫茶だと思っていたがコーヒーを飲みながら話をしたらオーナーさんはフォークソングが好きで二人いたお客さんも半分眠っているような状態だったのに歌の話になったらガバッと起きて歌い始めもうすっかり昔からのお友達のように話も弾み始めた。

ジャズが好きな夫はすっかり話題を私に取られて面白くない様子。

アメリカンフォークの次は日本の関西フォークそれから最後は高田渡まで話があってさっきまで知らなかった男性とまるで肩を組んでいるように楽しく歌った。

今、参加している歌声喫茶は近くの喫茶店で時々開催される。

どういう経緯で始まったのかは知らないが昔のコーラスグループの仲間がアコーディオンのグループで活動していて1000円の会費で歌集を渡されて途中お茶タイムもあってゆっくりと進行する。

皆同世代で歌も昔から歌い継がれた曲、今回は歌唱指導があり新しい歌を覚えると嬉しい。

今回は「月桃」「ウラルのグミの木」の2曲で何度か歌ったらどちらも私の心に響く曲で,問い合わせたらすぐにメールで楽譜が送ってきた。

沖縄民謡という分類もあったが民謡と言ってもいいくらいに沖縄のリズムが心地よい。私は時々カラオケも歌うが最近「19の春」という曲を聞いてこれも似通っていて好きな歌だ。

今回はYouTubeで探したらあったので時折一緒に歌う。

私は歌は上手では無いが歌う事は昔から好き。沖縄の事は息子との約束があり一度は書いておこうと思ったがあんなに二つ返事で約束したのになかなか行けない。

高校3年の息子のあの真剣な言葉は守らないといけないなあ私。

 

 


夢の中2

2018-07-17 | 

 

出張中だった息子から先程帰国したとメールが来ました。

取りあえず写真が送ってきたのでUPします。

この時期はオーロラも見えないでしょうね。

息子は仕事で行ってるのでミーハーな事を聞くと怒られるかもしれませんね。

私と夫は一生で一度だけ海外旅行をしましたが兄は仕事で何度か海外出張しています。

身体が許せばもっと行きたいですね。

私が病気の再発で少しづつ弱ってきたので段々行き先が近くなります。

でも写真だけでも行った気になり楽しいです。

 


夢の中・・・

2018-07-14 | 日記

 

 

夢の中と言っても可笑しくないほど更新をさぼっていた。

夢のように楽しい出来事も無く,かと言ってもったいぶるほどの記事があるわけでもない。

書くことはそんなにおっくうでもなく「好きだ」

カウンセリングのごとく自分の想いを整理できるから不思議と言えば不思議。ブログは自分史のように覚書程度しか思っていないし何とも不思議な作業なのだ。

今日は息子が何を思ったか海外出張の報告と写真をメールしてくれたのでこれを材料に書いておこうと思ったから。写真はストックホルムの風景。

毎年、この時期に海外出張がある。大抵はヨーロッパ、またはアメリカ、両方の時もある。

薬の研究職なので他の科学者とおなじように「学会」というらしい。

彼は最初は宇宙に興味を持っていて「素粒子」などと言う私には理解できない研究をしていたように思っていたが途中から薬に興味を持ち大学も薬学を学ぶために資格を取ったと言っていた。私だといくら興味を持っても大学に入り直すなんて思いもしない。私の息子とは言っても価値観が偉い違うものだ。きっかけは何なのか、何処に魅力があるのか、何時か聞いてみたいと思っている。

今の彼があるのは嫁や息子の存在が大きいと思うがいつも口癖のようにいっているのは「守るべき人がいる」ということ。

私の夫もそんなことを思っているのだろうか。

私はそんな大きな考えは無くて娘を育てる時に苦しんでカウンセリングなどの力を借りたりしたので、それの延長で心理学、カウンセリングを学んで何かのボランティァに役立つかな?くらいの考えしかない。

人それぞれだがお恥ずかしい限りの考えしかない自分にも呆れてしまう。

それでも、6年間カウンセリングスクールへ通ったことは自分の宝だと思っている。

時には有名人が「講師」としてやって来る。

 私がもっとも嬉しかったのは「北山修」さんである。

ドキドキして講義も何となくふわふわとして聞いていたが一冊だけ買った本は最初から最後まで解らなくてとうとう最後は私の友人が持って帰ってしまった。折角並んで書いて貰ったサイン入りなのに。

北山修さんの講義は言葉とカウンセリングと言うテーマでやはり作詞をされる方なので当たり前と言えば当たり前だ。

私はどうしても言葉を交わしたくて「先生は歌手として舞台に上がることはあると思いますか?」

勇ましく手を上げて聞いた。

すると、頭を振りながら「君たちはすぐにそういうことを言う。復帰は無いと思うがまるでないとは言えない。何故かというと今もクライアントさんはお年の方が多く急にTVで歌っている僕を見たらきっと混乱されると思う。僕は医師として生きていこうと決めたのでもう舞台には立たないつもりだから期待しないでくれ」

私はがっかりしたがその日からあまり時を経ずして彼はBSのフォークソング特集に出ていた。

きっと当時の同期の人たちは「ウソツキ」と思ったことだろう。

あとは「日野原重明さん」

体型は80歳くらいで動きもゆっくりだったが抗議の間は座られることが無く行ったり来たりしながら独特のトーンでお話しをされる。そして必ずこう言われる。

「眠い人は眠ってしまってもかまいませんよ。ただし、いびきは抗議の邪魔ですから出て貰います」

私はいつもこの言葉に甘んじてぐっすり眠っていた。

日野原先生には「死生観」を学んだと思う。

亡くなった人との別れはきちんとしておくことだと。

どんな別れ方でもいい、きちんとけじめをつけるようにと。

その為には「葬式」「しのぶ会」などの儀式をして故人との別れをする事。

今はほんの少ししか覚えていないけど6年間は通った。