初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

プチしあわせ

2009-07-29 | 未分類

先日とあるブログに「プチしあわせ」だとコメントした私。


最近の口癖は「プチしあわせ」なのです。


友人と話していてお互いに合言葉のように「今日のプチしあわせ何?」と聞きあいます。


聞かれることで自分で考えて探してみると案外あるものです。


五木寛之さんが一行日記として「楽しかったことだけ書く」と言われていましたがそれと同じです。


ちなみに今日のプチしあわせはPCボランティアの学習会が楽しかったこと。


勉強は嫌いだけど自分の好きなことを追求するのは楽しいもの。


私達の為に教材もバッチリ用意してきて下さった先生。


秋に向けて大幅なリニューアルの予定なのでホームページをじっくりと見て変更箇所、統一感を出す為のアイディアなど再確認。


午後からは学習したことの復習を兼ねて白紙から再作成。


やはり学習しなおした後はスイスイと楽に作れます。


長いランチタイムとコーヒータイム。


共通の話題、写真の事、花のこと、老後の事などなど・・・こうして仲間とボランティアができることは幸せだとつくづく思いました。


帰りは雨も降らず、帰宅直後に雨が降りこれもラッキー!


明日はPC教室。


明日も元気でありますように。




市民劇場「五重塔」

2009-07-28 | 未分類

市民劇場は前進座の「五重塔」だった。


若い頃に見た前進座の舞台は「俊寛」と「阿部一族」


特に俊寛は舞台転換と嵐圭史さんの演技が強烈に脳裏に残っていて今回もワクワクドキドキ。


俊寛は色んな人が書いているが前進座は近松門左衛門の作で歌舞伎(見たことは無いが)風な演出であった。


喜界が島に流された俊寛が都に帰る船を送るシーンは胸が詰まって切ない思いをした。


今回の「五重塔」は幸田露伴の原作でこれも切ない人情物。


何幕もの舞台転換とテンポのいい言葉使いや踊りに圧倒された。


「のっそり」と言われている腕利きの大工十兵衛はやはり嵐圭史さん、私よりお年のはずなのに舞台では早い立ち回りもこなされる。


回りを支える俳優さんも私どころじゃなく太っている方も皆身のこなしが早く思わずうなってしまう。


所が、いい場面でそっとハンカチを出して涙をぬぐっていると左隣の方はコックリコックリ・・・。


前列の人は携帯を出してカチャカチャ。


始まる前に係りの人が口を酸っぱくして「携帯は電源を切って、買い物袋をカシャカシャはやめて下さいね」と繰り返し言ってたのにぃ・・・。


非難口のランプも消して望んでいる劇団の方に申し訳ない行為。


真っ暗な客席に携帯の光は本当に目障りです。


そして、右隣の方は緞帳が上がった瞬間にご主人が「おい、補聴器を出してくれい」


奥様暗くなって袋をガサガサ・・・。


もう~辞めてくれる?さすがの私も「足蹴り」がしたくなる光景でした。


そしていつも悩まされるのが臭い。


多分口臭だと思いますが、人一倍臭いに敏感な私、これは悩みの種です。


自分もそれなりの年になりいつも気をつけている事なのですが「加齢臭」ともいうんでしょうか。


義父がいつも言っていた「年よりはいつも清潔にせんといけん。それでなくても年寄り臭と言うのがあるんじゃ」


義父が臭いと思ったことは一度も無く、むしろ娘は「おじいちゃんの臭い、いいにおい」と、毛糸の帽子の臭いを好んでいましたが。


中には若い人もチラホラいるのですが圧倒的に多い中高年。


暇とお金のある世代でないとお昼の演劇鑑賞は無理だもの仕方ないか・・・。


感動の気持ちがちょっと萎えてしまう現実。


年取るってこういう事もありだと思ってしまいました。


本題の五重塔の話、上司と「デキル部下」の話ですが様々な感情をその更に上の地位お上人様が汲んで力を合わせ何百年もびくともしない五重塔を作り上げると言うお話です。


私も長い勤め人時代いい上司にめぐり合えた事もあり、いい仕事をさせて貰った事もあったなあと振り返りました。


自分の成績の事ばかり考える上司が殆んどでしたが部下は上手に能力を引き出して使ってくれる上司だと気持ちよく働け能力も伸びるものです。


今回の上司「川越の源太」のような人だと世の中上手く行くんですがねえ。


さて、日本会社どうなりますか。


国民の力を引きだしてくれる有能な人を是非とも選びたいものだと思いますね。




アーチェリー

2009-07-25 | 未分類

先週の土曜日から夫がアーチェリーの講習でスポーツセンターに通っている。


私達が年を取ってもあるいは身体が不自由になっても続けられるスポーツをしようと10数年前に同じスポーツセンターで同じカリキュラムで習った。


夏の間通い、終わったら即座に道具一式買い揃え佐伯国際アーチェリーランドに通っていた。


姑が病気になる前30年表彰で旅行費用を貰ったので北海道、トマムリゾートへ行こうと計画を立てた。


ところが夏のトマムは大人気で連続して宿を取ることができず諦めた。


トマムはアーチェリーの施設があり、他にもアクティビティーが沢山あり一度は行きたいリゾート地だった。


その後姑の病気がわかり介護につききりになって結局行けなくなった。


回復したら少しは弓が引けるかなどと安易に考えていたがオカリナとアーチェリーは断念せざるを得なかった。


私は諦めも早いので自分が出来ないことは納得したがその分夫にはして欲しかった。


数年前までは時折田舎でしたり、アーチェリーランドでもしていたがここ数年いくら言っても「ひとりじゃな~」としなくなった。


アーチェリーは見るのも結構面白く、国際アーチェリーランドは涼しい山の中を散策したり出来るので私も楽しめるので頑張って欲しかった。


今年の夏、やっとその気になってスポーツ教室に通うことになった。


先週の土曜日最初の講習、イメージトレーニングからいきなり短距離を撃ち始め驚いたら殆んどが経験者だそうで、どうりで私よりずっと上手な人ばかり。



夫はすっかり忘れて矢を反対にはめて注意されていた。


私も隅っこでイメージトレーニング。


飽きたらプールや体育館を見てウオーキング。


私が病気をした事ですっかりやる気を無くし気にかかっていたが10年目にして夫もやっと立ち直った。


老後の計画はかなり・・・大幅に変更になったが「もったいない」とどうしても買わない夫の為に「ストレスレスチェアー」を先日オークションで落とし、二人並んでテレビを見られるようになった。


娘が「よかったじゃない」と言ってくれたが団塊オヤジを「よりよい老後生活」へと導いている私の友人のアドバイスを聞きながら「円満老後」生活着々と準備中です。


「今年は東京ジャズへ行ってくるかなあ」と大分前向き。


「お金のかからない趣味も準備中」だとか。(まだ教えてくれません)


友人の夫さん、あっという間の変身で公民館で男の料理教室へ入り奥様に復習でお食事を作られるようになったとか。


「へぇー、あのゴルフ三昧のご主人がねえ」と話を聞いてビックリです。


次はPCに挑戦だそうです。


10人10様、男も変われるもんですね。


この秋ごろから又国際アーチェリーランドへ出没出来るといいんですが。




塾について思う

2009-07-20 | 未分類

雨にたたられた連休。


昨夜は雷や豪雨でPCも出来ず早めに就寝したものの何度も目が覚め夜中の3時に本を読みました。


話題の「1Q84」村上春樹さんの本はやけに長い説明があまり好きでなく読んでは途中で投げ出すものが多いのです。


でも、話題の本なのでやっぱり買ってしまい読み始めたら「ほ~らきた」とばかりに着飾った文に少々イラつきつつ何とか読んでいます。


昔、「海辺のカフカ」を読んだ時も同じような感覚を感じた。


頭の悪い私には単純明快な「北 杜夫」「五木寛之」「向田邦子」などのスッキリした文章が頭にスッと入ってくる。


でも、ちょっと時代について行きたくて頑張って読破してみます。


今日は雨の上がった午後散歩を兼ねてショッピングをしようと孫達に電話をしたら二人着いてきた。


毎年夏休みに入ると「課題図書」を買ってあげるのが楽しみです。


そして何故か「夏休みの研究」にも興味があるのです。


我が家の子供達は殆んど私が全面的に協力をして完成するのできっと能力が伸びなかったことでしょう。


中一の子は今週から塾に行くそうです。


家族中で反対したにも関わらずとうとう親を説き伏せたようです。


私の母は小学校に上がる前から勉強や習字に通わせて今でも心に傷となって苦しい思いをします。


中学生になり自分の好きな音楽部に入りやっと自分を取り戻した気がします。


だから自分の子供には勉強を押し付けないようにと思っていましたが二人とも塾通いをする事になりました。


でも、友人が一切の面倒を見てくれ息子は今でも勉強をしています。


娘も子供の勉強は懸命になって教え、嫌いでは無いようです。


私がリタイアしてカウンセリングの勉強を始め6年間続けた時に息子に「そんなにしたい勉強ならどうして若い頃にしなかったのか」と突っ込まれました。


しかし、カウンセリングも病気で6年で終わってしまった。


人間、一筋に同じことが続けられるのはほんの一握りだと思う。


過去を振り返る年になって最近は「開き直る」ことが上手になった。


あれが出来なかった、これが出来なかったと悔やむより「人間なんて殆んどこんなもんじゃない」と開き直るもよし。


それにしちゃ、こんなにいろんな事が出来てるじゃない?と自画自賛してみるもよし。


さて、明日もスッキリ目が覚めたらもうけもんの1日です。




連休、久しぶりに知人のレストランに行きました。


山や川を見ながらログハウスで食事して命の洗濯してきました。


 




映画「剣岳」

2009-07-15 | 未分類

ずっと見たいと思っていた映画に行った。


前評判で撮影の過酷さは知っていたが吹雪のシーンは息詰まるほどの迫力。


確かに雪の吹雪はとてつもなく激しい嵐に違いない。


カメラを向ける側と映される俳優側の垣根が無いほどに迫力満点だった。


新田次郎さんの本は高校時代に読んだ記憶があるがもうすっかり忘れてしまった。


「ドクトルマンボウ」シリーズで有名な北 杜夫さんが「白きたおやかな峰」と言う本を書かれすっかり嵌ってしまった私がこの頃「北壁」などの山岳小説を読んだ記憶がある。


「白き~」は北杜夫さんがカラコルム山脈ディラン峰へドクターとして同行された時の話しで最後の山頂への登山は酸素ボンベを負っての苦しい道行だった。


たしか帰り道で一人遭難したのではないか、映画を見つつそれに匹敵するほどの吹雪のシーンが多かった。


私は身体が弱く体力も無いので大きな山は大山位しか登ったことは無いが上高地を拠点にアルプスの山々を見に行ったことはある。


上高地から梓川を登り穂高連峰が望める場所までしか行かない。


その帰り道「ここから行くとかもんじの小屋があるよ」と聞いて、一度行って見たいと思っていた。


「剣岳」の山案内人・・・「かもんじさんのような人だなあ」と思いつつ見た。


映画を見てから無性に気になり検索したら「かもんじ小屋」はまだ以前の場所にあり次々に若い人が引き継いで営業をしていた。


それにしても読んでいて驚いたのは香川照之さん演ずる「長次郎」は上条嘉門次その人だったのです。


初代かもんじさんに会うことは叶わないがやっぱり行っておけば良かったとちょっと悔しい。


とは言え私の山登りは殆んど遊び、羅漢山では地図と磁石を持参していったにも関わらず迷い、おまけに雨と雷の攻撃に逢い頂上を目の前にして撤退。


宮島の弥山ではやっと登ったと思ったらサルにかばんを持ち逃げされ泣きたい思いをした。


大山では頂上が見えはじめてから足が動かず後ろから押してもらい縦走路ではあまりの高さに高所恐怖症の私、尾根を後ろに匍匐前進、仲間の失笑を買いました。


などなど失敗だらけでしたが冬の大峰山では頂上からダンボールで滑り降り大成功。


リタイアしたらアルプスを「眺める」旅をしたいと思っていましたが車で行けない上高地に入るのは殆んど無理のようです。


今回の映画、かもんじさんに出会え大満足でした。


かもんじさんの事はこちら


嘉門次小屋はこちら


(途中から文が切れていて済みませんでした)


 




大朝な日

2009-07-13 | 未分類

日曜日田舎に帰った。


数日前に友人から一通の手紙を貰っていた。


ハンドバッグに突っ込んで大急ぎで出発した。


どんよりとした空を見ながら千代田・道の駅に寄った。


いつも帰りに寄るけど昼前だと野菜の種類がいっぱい。


とうもろこし、ピーマン、トマト、なす、夏野菜が朝露を浴びていそうな位新鮮。


大好きな破竹が切り口が真っ白の状態で売っていて嬉しい。


レジ前の惣菜コーナーを覗くと土曜日ソレイユのアバンセで売っていたお弁当があった。もう一種類地元の食材のお弁当があり500円と580円二つ買って食べることにした。


我が家によってお茶を沸かしお味噌汁を入れて簡単に食事を済ませ友人の手紙を出してみる。


友人宅の古民家で「HANAUTA」と言うイベントがあると書いてある。


10年住んでいたにしては以外に地理が判らない私、早速電話した。


友人の懐かしい声は賑やかさでかき消されるようだが「友人宅に来い」と「岡 みき」ちゃんが来ているらしい事は判った。


看板を辿り道を進むと何と、会場は友人の家そのものでした。


車を置いて玄関に向うとご主人が迎えてくれて暫くおしゃべり。



大きなもみの木がある庭を覗くとかつてのイベント仲間が藍染を指導している。


藍染をしていたのは陶芸の「岡 みき」ちゃん。


彼女とも何十年ぶりにお話して廊下のフリマを見て歩く。


可愛いジーンズを見つけ買った。


中から友人が声を掛けるがあれもこれも気になり・・・それにいつも遊びに行っていた懐かしい家の様子にキョロキョロキョロキョロ・・・・・。


息子さんも娘さんもお手伝いに帰っている。


娘さんとごしゅじんはとあるブログでネット友達。


手作りの帽子、ビーズ手芸、手編み、ステンドグラス・・・つゆまめさんがいつも開催されるイベントの小型。



古い民家に所狭しと並べられた雑貨はどれも魅力的でした。


個展では何も買わなかった「岡 みき」ちゃんの陶器。


紫陽花の鉢が気に入り手に取ったけど我が家の食器棚にはちょっと入らないかなあとバラの花の湯飲みにした。


スープカップもなかなかに魅力的だけどこれも食器棚が満杯状態でパス。


古い箪笥に入れられて明るい現代的な陶器とコラボ、いいじゃありませんか。


友人の家はかなり古く箪笥も年代物。きっとご先祖様も喜んでいるに違いない。


買い物が済んでやっと喫茶コーナーに落ち着き冷たいカモミールティーとコーヒーを飲んだ。



ーヒー担当は彼女もイベント仲間のKさん。


ネット友のご主人と山野草の話し、大朝の事など夫と3人で話が尽きない。


目の前のお客さんに聞くと安芸太田から来られたとか。


引っ切り無しのお客さんで友人は殆んどお話出来ない様子、台所で美味しかったカモミールティーをもう一杯頂いてみんなにお別れを言って帰途に着いた。


午前中はもっと沢山の人が押し寄せたとか。


そう言えば新聞に載っていたのを読んだ。


でも、まさか会場が友人宅とは・・・・驚いた。


旧友を暖め、懐かしい風景、家にどっぷりとつかり若い人たちが数十年前の自分に見えた1日。


ありがとう。




詩人 栗原貞子

2009-07-09 | 未分類

広島の原爆詩人として有名な「栗原貞子」さんの未発表の詩が女学院大学へ寄贈されたと新聞報道された。


栗原貞子さんのご主人は県会議員として活動されていた方で私達の間では「栗原のおっさん」として親しまれていた方です。


私達若者は当時組合からの動員で「ウグイス嬢」を交代でしていて「栗原のおっさん」はとても厳しくて煙たい存在でした。


その頃職場のコーラス部に属していた私は8・6の原水禁大会に出演することになり栗原貞子の代表作「生ましめんかな」を発表した。


初めて彼女の詩に触れた私はこの詩の逞しさに感動した。


今では吉永小百合さん達が朗読をしたり世に知られるようになったが当時はまだ知らない人が多かった。


今は多少記憶が定かでないがそれ以後平和集会などでは決まって本人が朗読された。


小さな身体で多少ヒステリックに読み上げる詩は吉永さんとは違う感動を呼ぶ。


彼女は原爆の悲惨さ、その中から生れ落ちる「命」をも淡々と読み上げ、だからこその感動を呼び起こした。


ある日、仲間の車で移動中に「ちょっと一人乗せる人がいる」と民家に寄った。


家の中から小さなお年寄りが出て来られ私の隣に座った。


私は「あ!」と言うまま固まってしまった。


寡黙な老女は栗原貞子さんだった。


暫くして私はやっと彼女に話しかけた。


「栗原さんの詩を原水禁大会で歌わせてもらいました」


「あぁそう?色んな人が作曲されているみたいね」


「歌ってみましょうか?」


小さな車の中で一生懸命に歌った。


彼女は静かに聞いていて「ありがとう」と言って静かに車を降りて行かれた。


後に残った私はその存在感の大きさにいつまでも余韻が残った。


今朝の新聞に家庭人としての詩が未発表で残っていたと言う記事を見て思わず思い出してしまった。


ご主人は声高に訴える政治家であったけれど貞子さんは静かに言葉で訴える平和活動家であったのだと思う。


色んな形の平和運動があっていいと思うが詩人「栗原貞子」の生き方はやはりすばらしいと思った。


         生ましめんかな  栗原貞子       


                           こわれたビルデングの地下室の夜であった。


            原子爆弾の負傷者達は


            ローソク一本ない暗い地下室を


            うずめていっぱいだった。


            生臭い血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。


            その中から不思議な声が聞こえて来た。


            「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。


            この地獄の底のような地下室で今、若い女が


            産気づいているのだ。


            マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。


            人々は自分の痛みを忘れて気づかった。


            と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは


            さっきまでうめいていた重傷者だ。


            かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。


            かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ


            生ましめんかな


            生ましめんかな


            己が命捨つとも


   


    ※詩の中の地下室は広島市千田町の旧郵便局の地下室 (実体験での詩)


 




笑いのつぼ

2009-07-04 | 未分類

わたくし、このところ腹の皮がよじれていけません。


とあるブログで取り上げていた糸井重里さんのブログの中の「言いまつがい」のコーナー。


それを毎日時間があれば読むのですが私も同じような事を言ったり聞いたり。


最初はニヤニヤですがこらえきれなくなって「アハハハー」と笑い転げる投書もあったりして毎日免疫力がついています。


そう言えば先週我が家でもこんな事がありました。


休日の予定は前日夫に伝え、朝も車で行く予定を伝えます。


その日休みを取った夫「何処にでも連れて行ってあげるから」と親切に言ってくれた。


一人で行ってもいいかなと思ったが延び延びになった美容院の予約を午前中に済ませ「1時から美容院に連れて行ってくれる?」と言いました。


準備が整ってさあ行こうかと車に乗り込んだら何か不穏な空気を感じました。


まず、左折しなければいけないのに右折。


ハアはあ次で左折か・・・と思ったら右折。


うーんこりゃ広島高速経由で行くのか?と思ったが恐る恐る聞いてみた。


「あのー、何処に行くつもりでしょう?」


「何処いうてびょういんに決まっとるじゃろ?」


「え!こんな所に病院?何の病院?」


「いつもの病院じゃろ」


「えっとここは整体で病院じゃないです」


「整体も病院と同じことするじゃろ」


「えーとでも私が行きたいのは美容院なんですけどね」


「美容院?美容院なら美容院だと言えばええじゃないか」


「美容院今朝予約したから知ってるかと思った」


私「いいまつがえ」しなかったと思うのですが「聞きまつがえ」たんでしょうね。


その整体は我が家のすぐ下、歩いても近い距離、そんな所に「乗せてって」と言った事無いのですが。


美容院に着くまで私は笑いをこらえ苦しかった事。


夫は「聞きまつがえ」に気付いてバツが悪く不機嫌だったこと。


結果は私が「言いまつがえ」たことになりました。


「言いまつがえ」コーナーはこちら。過去ブログも面白いです。


「ほぼ日刊イトイ新聞」こちら




10分間で描いてみよう

2009-07-04 | 未分類



先日行った大原美術館のミュージアムで絵葉書とはがきホルダーを沢山買ってきた。


絵手紙教室の仲間にお土産だと渡すとみんな喜んで先生が急遽「2枚目の絵は貰った棟方志功の絵を見て模写をしよう」と言われ「制限時間10分」と宣言した。


元もとの仲間は慣れているが新しく入られた人、他のクラスから転入された人達はとても混乱していた。


私ははがきに一村の魚の絵、2枚目は半紙に書いた。


いつか勉強した裏彩色も復習を兼ねてしてみた。


文章は中国の詩人「李 紳」の漢詩を書こうと思っていたので意外にすらすらと描けた。


表に墨で輪郭を書き、裏から少し濃い目に色を入れていくと墨の部分がより引き立ってくる。


あせって書くと文字に気持ちが入らず浮ついてしまった。


2時間はあっという間。集中している時間は心にいっぱい栄養が溜まる気がする。


上手な人は上手に下手な人はそれなりに・・・。


全員の前で批評を受けるが先生も仲間も褒め上手。


子育てもこうすると心豊かになったのかも・・・と少し胸がキュンとなる。


子供達が「お母さんはいくら頑張っても褒めてくれない人だった」と言う。


きっとハードルが高かったのだろうな。


勉強しろと言わなかったが二人とも勉強は嫌いじゃなかったみたいでむしろ「勉強するな、勉強するな」と言って来た。


子育て思うようにいかないものだ。


今では「がんばらなくていいよ」と孫に言うのが常。


10分間の制限がつくと本当に集中する。


でも、何とか描くことが出来た。


帰りは疲れてアンデルセンはお休み。


帰ってから冷たいコーヒーを飲んで休憩したが台所も放りっぱなし。


汚くても何も言わない連れ合いはありがたい。


時に洗って食洗機に掛けてくれるけど疲れたのだろう二人でグーグー。


もう何でもアリです。




雨を楽しむ

2009-07-01 | 未分類


誰しも雨はあまり好きじゃない。


私も勿論雨の日は嫌い・・・だった。


でも、ここ最近少し好き。


それは雨が降り、空気がよどむと私の痛みが少し和らぐこと。


スリップが怖くて用心していたが最近は少々の雨はレインコートを着たり帽子だけで出かけたり出来るようになったので少しの勇気を持ってお出かけする。


今日は音訳仲間が車で寄ろうかと電話してくれた。


彼女は新人さんで朝から招集だったらしく私は昼ごはんを食べてタクシーで行った。


もう一時なのに大勢で録音室に入ってPC作業を見ている。


私は挨拶をして作業の部屋に行ったら何と他のグループの人が作業を始めていた。


みんなまだ食事をせずに録音テープやマザーCDの出来上がりを待っているようだった。


まだ出来そうにないと他のグループの人たちが食事を始めた。


私も並んで紅茶を飲みながら差し入れのバターケーキを頂いた。


いつもお弁当持参で朝から出かけるが午後半日位だとかなり楽だ。


来月から4ヶ月の当番月が回ってくる。


要領よく、計画的にしなきゃと久しぶりに来た仲間と対策を練る。


仕事じゃなくてボランティアだから基本は楽しく情報は共有して人の悪口嫌なことは出来るだけ耳に入れないように・・・。


今日は前回よりスムースに出来早めに帰った。


帰りは目の前の神経内科に薬をもらいに。


最初に処方してもらった過敏性大腸炎はいつの間にかすっかり良くなった。


付随する様々な症状も少しづつ無くなり今は元のように太り始めた。


でも、時折軽い不快感、不安感に気付くことがありまだ当分通わなければ。


今日7月分を発送、来週からは8月分の録音が始まる。