初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

さくら・・・さくら

2011-04-24 | 未分類

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あちらこちらの桜が一斉に咲き始めました。


土曜日、北広島町の圓立寺の桜を見に行きました。


坊守さんに桜にまつわる話を聞き、特に今年は大雪の為雪落としが大変だったようで見事な花をつけるまでのご苦労が偲ばれます。


今年は数日間桜ツアーと銘打つバスツアーがどっと押し寄せて「カメラマンの人がお気の毒」だともおっしゃっていました。


行くまでは曇っていたのですが帰るころには陽が差おこでし始めいい色になりました。


皆さんは何処でお花見をされたのでしょうか。




津和野花めぐり

2011-04-17 | 未分類

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吉賀町へカタクリを見に行ったついでに足を延ばし津和野に行ってきた。


9号線から見下ろす津和野の町は昔と変わらぬサクラのピンクと菜の花の黄色に染まり春真っ盛りだ。


 


高校卒業まで暮らしたこの小さな町には私の思い出がぎっしりと詰まっている。


 


まずは腹ごしらえにとコンビニでお弁当を買い9号線から町全体を見下ろして食べようと車を走らせた。


 


満開のサクラの隙間から石州瓦の美しい街並みや稲荷神社、石垣だけのお城山をカメラに収めのんびりとお弁当を食べた。


 


数年前にこの町に住む親友が60歳目前に急逝し、とても帰る気にならなかったが不思議に桜の花に誘われるように心が弾んできた。


 


ふと、学校帰りにいつも友人達と行っていた乙女峠や永明寺に行きたくなり夫を誘った。


 


乙女峠はやはり私の足では自信が無く今回は諦め永明寺の森鴎外の墓所にお参りすることにした。


 


夫は車で待つと言い私一人で向かった。


 


静まり返った境内の坂を登りつめると山門がありはぁはぁ言いながら周りを見回したが私の脳裏にある墓の位置や本堂からの眺めが一致しない。


 


私の思い違いか、長い年月に位置も変わってしまったのか定かではないが「森林太郎」とだけ書かれたお墓は昔のままだった。


 


高校近くにある鴎外の旧居で遊んだり、碑の拓本を取ったり、墓の周りを掃除したり草むしりをしたり何だか身近に感じていた鴎外は今ではもうすっかり歴史上の人物になり足元にも及ばない。


 


「鴎外さん、恋人の消息が判りましたよ」




孫守り 外出編

2011-03-31 | 未分類


春休みの一日孫たちを連れて宇部市の常盤公園に行った。


 


三寒四温の気候の中でどこへ連れて行こうかと思い悩んでいた時ふと子供のころ子ども会で何度か行ったことのある常盤公園(宇部市)を思い出した。


 


早速ネットで調べると遊具もあり何とか遊べそうだと夫と相談して時間を決めた。


 


急に春めいて朝から気温がぐんぐん上がり外遊びには絶好のお天気だ。


 


広島から1時間半。


 


あっという間に着いた。


 


門を入ると懐かしいジェットコースターが見え、お化け屋敷も健在だ。


 


しかし、誰も遊具に乗っていないので不安になり係のお兄さんに聞いた。


 


「鳥インフルで白鳥は全部処分し、めっきりお客が減りました。でも、遊具は動いていますから乗ってください」と暗い顔で話される。


 


昔のままのジェットコースターは出発したらあっと言う間に戻ってくる子供向きで面白がって二度も乗った。


ジェットコースター


 


指折り数えると何と半世紀前になる。


 


乗り込む孫たちにカメラを向けながら半世紀前の自分を重ねてしまった。


 


怖がりの孫たちは私の大好きだった幽霊屋敷にはとうとう怖がって入らなかった。


 


公園は春の陽気に誘われて桜の蕾が開き始めた。


 


半世紀前の幸せな自分と比べ今は何と生きにくい時代になったものだ。


 


青空に映える薄ピンクのサクラ、東北の被災者の皆さんに届けたいものだ。





吹屋べんがらの里

2011-03-27 | 未分類

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連休に以前行きそこなった岡山県吹屋のベンガラの里へ行った。


軽く思っていたら何と山奥&高い。


途中不安になり地元の人に聞きながら行った。


時折雨がちらつき曇った日でしたがまさに「ベンガラ色」に魅せられた一日でした。


お土産屋さんでベンガラ色の和紙を沢山買ってきました。あの人やこの人に手紙を出そうと思います。


優しくてほんのりと染まった町並み、ほっこりとしました。




春の妖精2(太田川)

2011-03-26 | 未分類

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昨年、時間が早かったために撮影できなかった太田川のユキワリイチゲが見ごろだと聞き2週間前に写しに行きました。


二ケ所行ったのですがはなびらはちょっと痛んでいるように見えます。


藪の中に咲いていた花は緑の葉に映えて綺麗でしたがもう一か所は踏み散らかしたり盗掘ですっかり元気が無く可哀そうです。


藪の中に踏み込めばもっと綺麗かもしれません。でも、そうすると来年美しい花を咲かせることは出来なくなるでしょう。


幸いにも私は上手に撮る自信も無いので夫二人「目に覚えておこう」とその場を去りました。


夜、眠る前に薄紫の花をつけたイチゲがまぶたに浮かんでは消えました。


私の写した写真よりずっときれいでした。


「あ~、踏み散らかさなくて良かった!又来年逢いに行くね!」




春の妖精たち

2011-03-14 | 未分類

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今回の地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。


毎日TVに映し出される映像に心が押しつぶされそうな気持ちです。


幸いにも友人の子供さんたち、ネット友達、横浜在住の息子夫婦にも大きな被害が無く生存確認が出来ました。


しかし、これから多くの難題を抱え復興するには忍耐や努力が必要とされます。


どうか元気を出して頑張ってほしい。そして、今回被害に遭わなかった私達もできうることを見つけて協力できたらと思っています。


重い気持ちを持って県北にドライブしてきました。


地球上ではこんなに悲惨な状況でも自然に咲く花たちはけなげにひっそりと咲いていました。


東北の地で被災している方たちに届けたいと思いつつ散策してきました。


ネット友のテディーさん、わさびさんのお話だと3時間の電気の節電がありオール電化だと暖房もお料理も出来ない状況だそうです。


各企業も朝晩数時間の電力停止になるそうで早く暖かい季節がやって来ないかと思います。


今日の新聞によると世界中で今回の日本人の対応が取り上げられているとか。


後手後手に回っている面もありますが過去の経験を生かしボランティアにも多くの挙手があるようでボランティア担当になった辻本議員のお手並み拝見です。


私の個人的な思いですが多数の犠牲者を出した市町村で新たに復興するために今、職を求めている多くの人々を国の指導の下に雇用し、戦後復興した日本のように早く立ち直らせて欲しいと思います。


TVでの各政党の話にはもううんざりしました。この期に及んで過去の話を持ち出したり足を引っ張ったり・・・。


過去反原発運動に参加していた頃島根原発に見学に行ったことがあります。


原発の内部に入るには厳重な服装、着たものは全部廃棄して出ました。


小さな息子を連れて行ったのでみんなが頭をぐるぐる巻きにしてくれたのですが昨日同行した友人とそんな話をしてその時に危惧したことが本当に起きてしまったことが悔やまれると話しました。


これを機に日本の電力資源のこと、安全性など国民がもっと慎重に考えれば北欧の様に原発廃棄の政策も夢ではないと思いました。


災害はいつでもどこにもやってくるのです。今は自分のできることを精いっぱいするのみです。




e_tax初体験

2011-03-07 | 未分類

税金の申告、昨年までは税理士さんまかせでした。


今年からは自分で申告しなければいけません。


私は退職した時以来20年ぶりくらいしていないのでぎりぎりまで放っていました。


こういう事は夫の仕事だとばかり待っていたのですが向こうもまるでやる気になっていません。


PCボランティアの時「今年はe_taxで申告しようかな~」と言うと仲間がカードリーダーと確定申告用のソフトを貸してくれました。


私はこういう時殆ど書いたものを見ません。


まあ国税庁のホームページを見ればわかるだろ、とそんな気持ちで区役所に電子証明書を取りに行きました。


入り口を入ってすぐの所に大きく書かれているのですが誰もいません。


「御用の方はベルを鳴らしてください」と書いてありベルを鳴らすと遠くから女性職員の方が出てきました。


申込書に書くとスムーズにカードが出来、暗証番号を登録して出来上がった。


帰ってから早速国税庁のホームページを見たら色々なやり方があるがまずは自分のパソコンの環境設定から始めなければいけない。


カードリーダーのドライバもインストール、CDもインストールしてバージョンアップして・・・・と開始届を出すまでに事前準備が沢山あり、とうとう一日目はそれに費やした。


開始届は一度だけなので来年度からは楽になると自分を励まし面倒な処理も粛々と済ませたが何度も出てくるのが「利用者識別番号」


昨年まで使っていたものを入力しても受け付けない。


ええいと無理やり開始届を入力したら何とか受け付けたような気がした。


しかし、その番号はどうやって貰えるのだろう。


はたと考えてPC仲間に電話した。


「何とか環境は整ったけれど「利用者識別番号が取得できないの。どうやって取得するの?」


「私の場合は講習会の会場でPCの操作をしてその後郵送して来たよ」とのこと。


「な~んだそうなの?私はすぐに取得できるのかと思った。じゃあ安心安心」


と、一週間毎日郵便箱を覗いた。


一週間後、ちょっと不安になり税務署に問い合わせた。


「識別番号、入力の最後に画面が切り替わって出てきませんでしたか?」


「何も出てこないので郵送で来るのかと。じゃあ、私が送信したのは何だったのでしょう?」


「はい、届いているか確認しますよ」「残念ですがアクセスは見受けられますが受け付けていません。ゆっくりと操作をして画面が変わるのを待って操作してくださいね」


とっても親切な税務署さんでした。


電話を切ってすぐにアクセスしたら成程、切り替わるのがちょっと遅い。


ちょっと待っているとすぐに識別番号が取得でき「な~んだ、簡単!」そして、土曜日今度は申告用紙に記入しなければいけない。


夫と二人で資料を見て記入するがどこに何を記入するのか迷いつつ記入しても漏れがあったり場所が違っていたり何度も何度も繰り返すうちに入力が超早い夫が「俺がする」とバトンタッチ。


私は他の用事もあり、やっと解放されてホッとした。


所が30分しても出来上がらない。


突然立ち上がり「俺はもうこんな面倒な作業はやっとられん。大して返還があるわけじゃないからもやめたやめた」とのたまう。


私は驚いて「何言ってるのよ。ここまで来るのに何時間費やしたのよ。私は投げないよ」と腕まくりをして椅子に座った。


私の勢いに驚いた夫が帳票を読み私が入力する。


繰り返し保存をして確認を取った後に送信すると画面がゆっくり変わり「◎◎円もどってきます」の文字が。


わぁ~やったぁ戻ってくるよ。少ないけど一万円近い。


歓喜の後二人でちょっとしんみり。


と言うのも若い頃に一度だけ申告したことがあり数万円戻ってきた。


その時は嬉しくて二人で旅行に行った。


それから半年後「申し訳ないが間違いでしたので戻してください」と電話があり「え~、もう使ったのでありませんよ。あなた達が間違ったのだから悪いのはお宅でしょ」と難癖をつけて返還に応じなかったがあまりのしつこさに結局戻し、痛い目にあったのだ。


少額でももどってくるかどうか期待と不安と入り混じった変な気持ち。


これからe_taxされる方、事前準備早くして早め早めに取りかかると楽です。


来年からはこれで楽勝です。




ショックな出来事

2011-03-04 | 未分類

日曜日、ショックな事件が全国をかけめぐった。


小学校の教頭が中2の女の子を脅しレイプ未遂事件をおこした。


ヤフーニュースで見てはたと思い出した。


事件を引き起こした吉原容疑者に思い当たる事があった。


うちの息子と娘が通っていた塾の講師ではないかと直感した。


28日の朝、ボランティアに出かける時そこを紹介してくれた友人に確認の電話をしたら「え!」と驚いたまま「違うといいね」と言って電話を切った。


ボランティアが終わり娘の所へ行き帰ってきた娘に聞いたら「あれは吉原先生じゃない。先生は授業が面白くて明るくて判りやすい授業をされるいい先生のイメージしかない」と言う。


私は人違いだと判ってホッとした。と言うのも襲われた女子中学生は上の孫と同じ学年。


他人ごとに思えなくて帰路についた。


すると、かの友人が電話をかけてきて「ショックだよ~。貴女の感が当たったよ」と言う。


たまたまその日に逢った彼女の友人が吉原容疑者の家の近くで近所ではその話でもちきりだったそうだ。


そして、驚いたのは友人の自宅のすぐ前の道路の信号で逮捕され、彼女もパトカーの捕り物の音を聞きながら外出したそうだ。


事件のあった場所は先日セリバオウレンを撮影した場所にほど近い。


TVをつけると、もう顔写真まで出ていてまぎれもなく面影がある。


 息子たちが通っていた塾はとても進学率の高い塾で有名だった。


熱心な塾で個人的に研修施設も持っていて夏休みにはそこに泊まり込んで指導されていた。


吉原先生は当時教職免許を持っておられたが「教師になりたくないから塾の先生になったのだ」と子供達には言われていたそうだが私は「免許は持っているが教師の職につけない」と聞いていた。


二人の先生の熱心な指導で塾からは多くの生徒が有名高校へ進学した。


その後、教師の職に就いて郷里の北広島町に帰られたと聞いた。


しかし、彼の父親は校長を退職した後地元で町おこしや教育に尽力される優秀な教育者としてTVや新聞で何度も取り上げられる有名人。


私も夫も斜に構えた人間なので「高学歴や仁徳者」には少し批判的な面を持っていた。


自分の親があまりに「人間が出来ていたら」子供としてどうなんだろう。もし、私なら大きな存在の父親がいることはとても負担が大きいなあ、とその時思っていた。


その事がずっと私の心に残り気になっていた。


今回の事件はそんなことは事件とは全く関わり合いが無いかもしれない。


管理者として学校運営の事で悩んでいたのかもしれない。


だが、いずれにしても未遂で終わって良かったなあと思う。


事件を引き起こした吉原容疑者は裁かれて当然だが当の女子中学生が被害に逢ったらその子の一生まで奪いかねない。


この一週間、不愉快な思いに付きまとわれ何だか私達でも「明日はしれない」と思うのであった。 


土曜日、こんなコンサートに行ってきました




セリバオウレン

2011-02-27 | 未分類
セリバオウレン
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今日は朝方お日様に恵まれ暖かい日だなあと思いながら家事をしていると「いい天気だからお蕎麦を食べに行こう」と夫が言うので昼前に出発。
いい天気だからお客さんも多く田舎寿司のセットはもう売り切れ。
大した仕事もかしていないので蕎麦だけで我慢我慢。
お昼を食べて田舎に雪の様子を見に行くことにした。
途中「この陽気だとセリバオウレンが咲いているかもしれない」と、帰りに寄ってもらうことにした。
先々週だったか孫たちを連れてそり遊びに行った時は物凄い雪で吹雪になったのにもうすっかり溶けて沢山の人がそぞろ歩いている。
さっと食べて田舎に行ったら雪ずりは玄関前と庭にあったけれど雪はすっかり溶けて嘘のようだ。
残念ながら山野草たちの上には屋根からの雪が積もり1メートルくらいある。
今年も花を咲かせて欲しいので雪が解けたら手入れをしよう。
北広島を後にすると段々空が暗くなり、セリバオウレンの咲く山に着くとどんよりと暗くなった。
「僕はもう一度見たので結構」と夫は車で待つことに。
暗い山道は怖くて苦手だけどセリバオウレンに会いたい一心で登った。
あ~咲いてる咲いてる、1?に満たない位小さな花がひそやかにあっちを向いたりこっちを向いたりして背丈も10?に満たないくらい。
暫く観察して手を伸ばして転ばないように撮るが何せ暗い。
くっきりすっきりの写真が撮りたいけれど今年も無理かな?
そう言えば先日水仙を写しに蒲刈島まで行ったのにボケーとしてうっかりミス。
パソコンに取り込んだと勘違いして「はい、おしまい」とカメラを「全削除」
遠く四国の石槌山の冠雪まで見えて喜んだのもつかの間、私の早とちりは治りません。
先日のict活動が終わってから男性の先生に教えて貰ったスライドショーをつついているうちに頭が変になったみたいです(笑)
結局、ホームページには貼れるけれどブログには対応して無く残念でした。
今年初めての山野草。出来は悪いのですが見て下さいね。


家事のスタイル

2011-02-25 | 未分類

最近、忙しいなと思うと家の中がすぐにぐちゃぐちゃになる。


と言うのもホッとするとまずは休みたくなり、撮りためたビデオや新聞、更に新聞の切り抜き、本の読みかけと自分の事を中心に始めるのでどうしても「片づけ」「掃除」が疎かになる。


お風呂は夜の入浴時に少しづつするので大丈夫ですが台所、洗面所などの水回り、PC周りは綺麗になったと思ったらすぐに散らかってしまい頭を悩ませる。


元々お掃除や片づけが苦手なので要領も悪い。


身体が不自由になった分普通の半分の作業量しかない。


午後は娘の家に行くのでいつも「やりかけ」で行ってしまい、帰ってから洗濯物の干しかけがあると夫が見かねて干してくれるようになった。


PCの作業があると別室で作業するので台所をほったらかしと言うのもチョクチョクある。


今まで夫は何もしないと全くあてにしていなかったのに最近はチョクチョク茶碗を洗ってくれたりして驚く。


夜、寝る前や朝起きてお礼を言うこともしばしば。


娘が言うには「お母さんは自分の思うとおりにしたいのでお父さんがしても気に入らないから文句言うんじゃないの?思うとおりでなくても黙っていれば男はするものよ」と言うのだが洗濯物のしわくちゃや綺麗にたたんでいない洗濯物を見るとイライラしてくるので、ならば何もして貰わないほうが楽だと思っていた。


でも、自分が忙しくなってくると気にしている場合ではない。


いつの間にか「やりかけ」の作業が終わっていると心も体も楽になった。


娘の所に行き始めていつの間にか夫婦二人の分担が決まり忙しい時には補いあう事が出来て来た。


夫の仕事は



  • パン焼き

  • ヨーグルト作り

  • 朝食の支度・材料の調達(果物など)

  • クリーニング屋さん

  • ゴミだし

  • お風呂の準備

  • etc・・・

私は



  • お弁当作り

  • 掃除

  • ご飯作り

  • 洗濯

  • 事務作業など

こうして羅列してみると夫もがんばってるなあと思う。


娘のアドバイスは適格だったのかもしれない。


「老いては子に従え」なのかも。