初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

エクササイズ

2018-07-27 | 日記

今夜も相変わらず暑い。

食事の後クーラーを切って自然の風だけで寝るまで過ごす。

風呂上りには自然の風が吹き始める・・・・のは昨年までだ。

今年はやはり異常気象と言わざるを得ない。

寒がりの私は少々暑くても汗が出ても夏が好きだが今年のように首にねっとりとまとわりつくと「こらえてくれー」と逃げ出したい。

今日はディケアの日。夫が送迎してくれるので朝も帰りも好きにできるので気が楽だ。

金曜日は大抵マッサージの先生に身体中をマッサージしてもらえるので帰るころには身体が楽になる。

先生は若いけど病気で失明して全盲だそうだ。

これまで通い始めて肩や首、腰などの痛みはかなり軽減された。使い過ぎの腕も肩から背中まで汗びっしょりになってして下さる。

整体に通う頃は一回が三千円であっという間にお金が無くなる。それに、予約が取れない事が多い。

それに比べると今は毎週金曜日だと決まっていて時間も大抵決まっているので色んな運動が用意されていても自分で決められるのでいい。

もっと早くこの病院を知っていれば良かったなと思っている。

医師はとても親切で優しい。定期的に検査もちゃんとしてくれて適切なアドバイスもしてくれる。

私がマッサージの時はボールやゴムを使った体操はちょっと無理なのでパワーリハが丁度いい。

午後からは外部の講師の体操やスタッフの人のエクササイズなどがありヒップホップな音楽に合わせてテンポを刻むと動かしやすくて楽しい。

ここ最近は午後にスクワット20回は定例にあり、膝が痛い人用、腰が痛い人用など新たなメニューも考えてくれるので無理しなくてもいいのが楽でいい。結構80代の人もいるが皆やる気満々の人が多い。

私はいつもゲラゲラ笑いながらするらしい。

自分も一人前にできないくせに人の動作が可笑しくて笑っている不届き者なのだ。

今日はゲームしてもまだ痛みが来ない。

今夜はまだ涼しい風が吹き通らない。でも、もうすぐ眠りに入りそうだ。

 


夢の中・・・

2018-07-14 | 日記

 

 

夢の中と言っても可笑しくないほど更新をさぼっていた。

夢のように楽しい出来事も無く,かと言ってもったいぶるほどの記事があるわけでもない。

書くことはそんなにおっくうでもなく「好きだ」

カウンセリングのごとく自分の想いを整理できるから不思議と言えば不思議。ブログは自分史のように覚書程度しか思っていないし何とも不思議な作業なのだ。

今日は息子が何を思ったか海外出張の報告と写真をメールしてくれたのでこれを材料に書いておこうと思ったから。写真はストックホルムの風景。

毎年、この時期に海外出張がある。大抵はヨーロッパ、またはアメリカ、両方の時もある。

薬の研究職なので他の科学者とおなじように「学会」というらしい。

彼は最初は宇宙に興味を持っていて「素粒子」などと言う私には理解できない研究をしていたように思っていたが途中から薬に興味を持ち大学も薬学を学ぶために資格を取ったと言っていた。私だといくら興味を持っても大学に入り直すなんて思いもしない。私の息子とは言っても価値観が偉い違うものだ。きっかけは何なのか、何処に魅力があるのか、何時か聞いてみたいと思っている。

今の彼があるのは嫁や息子の存在が大きいと思うがいつも口癖のようにいっているのは「守るべき人がいる」ということ。

私の夫もそんなことを思っているのだろうか。

私はそんな大きな考えは無くて娘を育てる時に苦しんでカウンセリングなどの力を借りたりしたので、それの延長で心理学、カウンセリングを学んで何かのボランティァに役立つかな?くらいの考えしかない。

人それぞれだがお恥ずかしい限りの考えしかない自分にも呆れてしまう。

それでも、6年間カウンセリングスクールへ通ったことは自分の宝だと思っている。

時には有名人が「講師」としてやって来る。

 私がもっとも嬉しかったのは「北山修」さんである。

ドキドキして講義も何となくふわふわとして聞いていたが一冊だけ買った本は最初から最後まで解らなくてとうとう最後は私の友人が持って帰ってしまった。折角並んで書いて貰ったサイン入りなのに。

北山修さんの講義は言葉とカウンセリングと言うテーマでやはり作詞をされる方なので当たり前と言えば当たり前だ。

私はどうしても言葉を交わしたくて「先生は歌手として舞台に上がることはあると思いますか?」

勇ましく手を上げて聞いた。

すると、頭を振りながら「君たちはすぐにそういうことを言う。復帰は無いと思うがまるでないとは言えない。何故かというと今もクライアントさんはお年の方が多く急にTVで歌っている僕を見たらきっと混乱されると思う。僕は医師として生きていこうと決めたのでもう舞台には立たないつもりだから期待しないでくれ」

私はがっかりしたがその日からあまり時を経ずして彼はBSのフォークソング特集に出ていた。

きっと当時の同期の人たちは「ウソツキ」と思ったことだろう。

あとは「日野原重明さん」

体型は80歳くらいで動きもゆっくりだったが抗議の間は座られることが無く行ったり来たりしながら独特のトーンでお話しをされる。そして必ずこう言われる。

「眠い人は眠ってしまってもかまいませんよ。ただし、いびきは抗議の邪魔ですから出て貰います」

私はいつもこの言葉に甘んじてぐっすり眠っていた。

日野原先生には「死生観」を学んだと思う。

亡くなった人との別れはきちんとしておくことだと。

どんな別れ方でもいい、きちんとけじめをつけるようにと。

その為には「葬式」「しのぶ会」などの儀式をして故人との別れをする事。

今はほんの少ししか覚えていないけど6年間は通った。

 


投稿から

2016-07-28 | 日記

久々に新聞に投稿した。

「こだま」と言う女性オンリーの投稿先が見つからず誰でも投稿できる「広場」欄に投稿した。

私の文章スタイルはめちゃくちゃ酷い。

まず、ワード画面に思ったことを書き殴る。

とにかく感じた事、思ったことを書く。

そして、中途半端に自分が伝えたいことを書いたら「校正」と言う機能で文字数を見る。450文字より少なければOK.大抵は多いので削って行く。

推敲などと高度な事は出来ない。

だから、いつもメールにコピペ(コピーして貼り付ける)して送信。

投稿しようと思ったらその出来事が脳裏に残っている間で無いと書けない。

ブログも同じ。

誤字脱字はいつもの事で恥ずかしい。

それでも文章に何かしら綴っている時は私は心が満たされる。

いわゆる「自己満足」なのだ。

今日も昔の職場で一緒だった人に電話で教えられた。

昔、女性ばかりの職場にいた時、本当に文章が上手い人がいつも投稿されて私たちは自分の事のように嬉しくて楽しみだった。

彼女が管理職になり忙しくなったら次の先輩が出て来て彼女がいつも楽しいことを投稿するようになり受け継がれて行った。

私は「継ぐ」気は全く無かったがネットのお仲間に投稿方法を教えて貰ってポツリ、ポツリと投稿していた。

病気をしてからは時間は結構あるようになって暇つぶしもある。

周囲の友人が初ちゃんといると「題材で投稿されるので危ない危ない」

と言われる。しかし、楽しいことは沢山の人に共有して貰ったほうが良いのでこれからも面白い題材を探したいと思う。


私が入院している間

2016-06-13 | 日記

私が入院していた3月~4.5月の間、おそらく何も覚えていない状態だったと思うが私の8.1を10にバージョンアップしてそのままになっていた。

最近、どこか変だと思っていたが少しづつ異変が起きていてとうとう夫に「私のパソコンいじってないよね」と聞いた。

夫は「触っていない」と言う。

10にして結構快適に使っていたが更新作業も出来ず私も不安があった。

ぶつぶつ言っていたら「ドコモ光に変えたから少し違うかもね」と言う。

はぁ~~」と私。

 

いつ?」「3月」聞いてないよ」「言うたじゃん」「聞いてないよ」「お前にも言ったよ」

と言うやり取りをしていると夫もちょっとおかしいと言い始め「じゃ、ドコモから変更の書類が来とるんじゃないん?

ごそごそと自分の部屋を探していると書類やCDが出てきました。

セキュリティーもちゃんと綺麗になりやっと安心しましたがメールのアドレスが飛んだり私の頭はまだ完治ていないのかと思っていたのでこれで何とか使えるようになりました。

そう言えば、昨年、友人がドコモ光に変えたのが判らず我が家にSOSしたので二人で行って接続設定したのです。

最初は何がして欲しいのか判らず私がPCの接続設定、夫が機器の接続をしてすべて使えるようにしたのを思いだしました。

3月と言えば私がおかしくなり始めた頃。

頭が正常でも判らないのに家にいないし、私も聞いたかもしれないのに全く脳裏にありません。

正常に動くようになったのでホッとしましたが夫も気が動転していた頃。

友人の接続設定をしていたので「なあんだ」と二人で胸をなでおろしました。

何年経っても苦手です。

 

 

 

 


下町ロケット

2015-12-20 | 日記

今日で完結したTVドラマ「下町ロケット」に嵌ってしまい「2部のガウディ計画」を買って読んでしまいました。

なぜここまで嵌ったかと言うとストーリーも面白かったのですが主役の阿部寛が息子の親友にそっくりなので何故か身近に感じたのです。

その友人だった子は横浜出身で一人旅が大好きで息子が帰省中に岡山まで旅をしていると電話があり、近いので逢いに行くと電話がかかったので我が家に泊まり広島も旅すればいいじゃないかと言ったら次の日にやってきた彼の顔を見てビックリ。

俳優の阿部寛そっくりの顔立ちでとても礼儀正しく、当時住んでいた西区の草津漁港の牡蛎うち場で買ってきた牡蛎でフライをしたら1キロぐらい食べたのです。

「僕は好きだけど母が嫌いで我が家ではカキフライが食べられない」と言うのです。

我が家は夕食時は家族でおしゃべりをし乍ら食べていたので帰宅した夫と掛け合い漫才みたいに笑いながら食事をするのですが後日「おしゃべりしながら夕食を食べることはしたことが無くて楽しかった」と息子に言ったそうです。

彼の家はお父さんもお兄ちゃんもお母さんも研究者で遊びに行っては夕食をご馳走になるけど静かに夕食を食べるのだそうです。

うちの夫のようなダジャレも言わない静かな夕食で「さすが研究者の家族」だと思ったそうです。

息子が大学を変わったりする時もいつも手伝いに来てくれて仲良くしていたのですが彼は大学を出たらすぐに結婚してカナダの大学の助教で数年行き、戻ってきて信州で大学の先生をしていると聞きました。

息子の結婚式にも来てくれて「おばちゃんが病気をしたと聞いて心配していました。元気になった姿を見て安心しました」としばらくお話をしました。

その時もやはり阿部寛にそっくりで今回も見ながら佃と彼が重なって「頑張れ」と思わず叫んでしまいました。

ドラマなのですが若い頃労働運動に関わった私はどうも中小企業の労働者の肩を持ってしまい汚いやり方をする上司には腹が立つのです。

私も夫も媚びたり上司に取り入ることが大嫌いでまっすぐに生きてきたのでまっすぐに生きる主人公はとても共感しました。

最後は少し脚色した部分もありましたが余りにも毎週楽しみに見るものだから夫に笑われてしまいました。

そう言えば「花燃ゆ」の高杉晋作も私の読んだ本とは違っていてこれは途中から面白くなくなりました。

現実には色々な事がありますが私にとっては楽しい時間でした。

 


腰の病気

2015-11-24 | 日記

連休初日、天気も良く気分が高揚した私は朝から掃除機をかけ、トイレ掃除や拭き掃除をしました。

とは言っても私の身体にとっては普通の人の何分の一か。

私が病気をしてから一番しんどい作業は掃除機です。

両手を揃えるのが難しくてヘルパーさんの仕事は主に掃除機かけと高い場所のものを取って貰う事です。(今は利用していませんが)

その癖、トイレ掃除やお風呂掃除は私がいつもしていました。

お風呂は座ったままでごしごしするので身体が冷えてしまい、我ながら「見栄を張っているなあ」と思うのですが奇麗になると嬉しく手が届かない天井などは年1~2度プロにして貰います。

今回も夏の終わりにお風呂を掃除して貰いましたが普段の手入れも教えて貰ったので今もとても奇麗です。

夫は掃除が苦手なのでなかなか手伝ってくれませんがTVなどでしているのを今年は一緒に見たので台所の換気扇を洗うのを初めて手伝ってくれました。

でも、私の予定が早く終わったり、予定が無いとすぐにドライブに行きたがり孫が大学に行ってからは遠出がぐっと増えました。

しかも、あまり興味のないダムや知らない所などが増え、疲れるので「目的の無いドライブに行く時、誰かに乗って貰えると助かる」と言ったのですがあまり伝わらなかったようで最近は県外が増えてしまいました。

周囲は夫が亡くなったり病気になった方が増え、私なりに「夫婦でいつまで一緒に過ごされるだろう」と考えて出来るだけ楽しもうと考えるようになりました。

前回の境港ジャズも数年前に行き、帰りは砂の美術館などに行き楽しみましたので今回も楽しみにしていました。

しかし、今回はあまりあちこち寄らず走り続ける時間が多く、腰に違和感を感じた私はたまらず「すこし、止まって休みたいの」と言って休みましたが帰宅は夜になりとても疲れました。

その日から4~5日後掃除の後お昼ご飯を食べTVを見乍らうつらうつらしていましたら動くたびにキリキリと痛みが出はじめ、椅子から立てなくなりました。

連休初日、どうしようと思ったのですが横になって休むしかありません。

寝返りも悲鳴を上げるほど痛くて何も出来なくなりました。

夜中、体中サロンパスを貼って貰い少し眠ることが出来ました。

不安でしたがいざとなると夫がいてくれると思うとちょっと安心です。

連休中、何とか過ごし、今日の午後整形外科でレントゲンを撮って貰いました。

珍しく先生がう~むと考え込んでおられます。

昨年撮った画像と比べると骨の間が狭くなっています。

「去年から1年でこんなに椎間板が減るのは信じられん」と言われます。

それで、遠距離ドライブが多い事を話しましたら「そんなに無理をしたらいけん」と即座に言われました。

注射は断ってまずは湿布と休養で暫く頑張って見ることにして外へ出たら真っ暗。

薬局に薬を貰いに行きながら夫が「俺が悪いんか」と言います。

黙って良かれとした私が夫を傷つけたようです。

年を取るとまだまだできなることが増えるでしょう。

年末は孫の誕生日のお祝いに行こうと心ひそかに思っていたのですが無理のようです。

来週は山口の従妹が来いと言っていたのですがこれも無理。

PCの前もあまり長くは無理のようです。

ただ、一度立ち上がると食事の支度などは難なくできるようになりました。

まずは一日30分は歩き寝たり起きたり・・・・少しづつ回復を目指したいと思います。


久しぶりです。

2015-11-21 | 日記

最近は便利なfacebookにばかり投稿してブログを怠けてしまいました。

その間には色んなことがあり沢山の写真も撮ったのですが少しづつ面倒になっていたのかもしれません。

もうすっかり秋も終わりになりあちこちでイルミネーションも始まっています。

先週の日月と鳥取県の境港へジャズを聞きに行ってきました。

勿論行きも帰りも寄り道しながら楽しんで来ました。

私はジャズはあまりよくは判りません。でも、音楽全体何でも好きです。

特に弦楽器は中学3年間没頭したので井上さんのベース、今回は初めての試みで「こゆみこ」と言うグループの市山さんのバイオリンは本当にうっとりしました。

ジャズと言うよりボサノバ・・・ラテンと言った感じでしょうか。

今回もう一人期待していたサックス奏者大野徹さん。

演奏をじっくりと聞いたのは初めてでしたがこれも酔いしれました。

心をゆっくりとほぐすような良い音色でしたね。

終わってから皆さんとおしゃべりをしたのですが大野さんは広島のTVで2回見たのです。

本業はサックスでしょうがもう一つの仕事がうどん屋さんなのです。

たまたま情報番組を見ていたらうどん屋さんとして取材されていて古くから知っていた夫も初めて聞いてびっくり。

「こんどはうどん食べに行くよ!」と言うと参ったなあと言う顔をして「演奏も聞きに来てください」と言われ大笑いでした。

バイオリンの市山さんは夫の後輩と音大が同じで、少し縁があると身近に思いますよね。

もう二度とないかもしれないメンバーでの演奏会は大盛況でした。

 

もう少し前、これもよく判らずに着いて行った江田島での写真。

エタカフェと言うジャズ喫茶で海を眺めながらお茶を飲んだ時の写真です。

島なので風が吹かなければ暖かく、オーナーとおしゃべりをし乍ら結構長く海を眺めていました。

お昼時に来ればパスタやピザなどもあるそうです。

こういう所は風景とおしゃべりがご馳走です。

帰りに振り返って落ち行く夕日をパチリして帰りました。

瀬戸内は沢山の島々がいい風景を醸し出してくれますね。

これから寒くなるとドライブは限られるので夫は雑誌を買ってきては色々なジャズ喫茶を巡るのでしょう。

久しぶりにブログを書いていると急に腰が痛くなり横になっていました。

60歳を過ぎると色々身体が故障します。

ずっと遊び、久しぶりに家じゅうに掃除機をかけたり拭き掃除したり、朝から張り切りすぎて腰を痛めたかも。

今夜は早く寝て身体を休めます。

 

 

 

 

 

 

 

 


美味しいものは痛い?

2015-09-06 | 日記

先日、お米を貰いに田舎に行った折(親戚の方が義父母の残してくれた田んぼでコメを作ってくださる。しかも、お金は要らないと)ちょっとだけ空気を入れようと行く途中で家に寄り、帰りに窓を閉めに寄った。

私は昨年から全く手付かずだった庭の山野草とハーブ類の少しの残りが雑草の中でどうなってるかが気にかかり畑を覗くと肥料も何もしていない雑草の中でルバーブが育っていたので早速切り、ついでに孫たちが大好きな紫蘇の実が大きくなっていたので夫が出てこないうちに根元からバッサリ切っていた。

その間、10分~20分。

案の定、すぐに機嫌が悪くなり私が持ち帰ろうとしていたルバーブの茎と紫蘇の木を捨てようとした。

「ちょっと待って、何も手入れしなかったルバーブがあの暑い夏を乗り越えてここまで大きくなって、紫蘇の実は孫たちが大好物だから天ぷらにしてあげようと切ってあるからそれだけは持ち帰らせて」

と言うと機嫌悪そうに車に積んだ。

玄関先に置いてもらって紫蘇の実は一つづつ手で摘み取り、その日のうちにさつまいもと天ぷらにして娘宅に届けて貰った。

ドアを開けたら下の孫が「わぁ~い、紫蘇のテンプラだ」と言って喜んだそうだ。

夫は、自分もパリパリと食べて「あの子らは天ぷらが好きだったん?」と言う。

「はい、毎年取りに帰れなくても野菜市で買って天ぷらにしているよ」と言うと納得した。

田舎暮らしの時もいつもしていたのに全く何も感じないのかな?

実が沢山取れた時には残りは塩漬けにしてお結びに混ぜている。

今では野菜市で何でも売っているが私が田舎で同居を始めた頃、最初の春を迎えた時、近所の散歩をし乍ら色んな青物野菜の花が咲き始め「おばちゃん、捨てるのならチョーだい」と貰ってきては食べていたら姑さんに「はしたないことをしたらいけん」と怒られた。

そんな事でひるむ私では無い。

知らんぷりして田んぼの脇のセリを親戚のおじさんに許可を取って摘んでいたら「全部積んで欲しい」と言われたが白和えにしたり田舎は山菜の宝庫だったのでその内姑も美味しさを判って自分でも残してくれるようになった。

私の実家は畑しか無かったが母が工夫をして美味しいものを沢山作ってくれたので私は結構思いだしては工夫をする。

ルバーブはもう10年以上ジャムを作っているが最初は軽井沢から送って貰っていた。

今は、生は販売しなくてジャムだけ売っているようだ。

暑い気候に弱く、広島の友人にも買って帰ったが苗は殆ど枯れてしまったようだ。

そこで、昨日夕方夕食の前にジャムを作ろうと取り掛かり、私は最後にいつも白ワインを入れるのだが夫が安い箱ワインを買っていたのでこぼすとやばいなとブレンダーでしっかりと繊維を砕いて電源を抜いて洗っていたら最近少しづつ力が弱くなっている左手が重いブレンダーが持ちきれなくて落としてしまった。良い方の足の上にそのまま落ちたので痛くてそこへくずおれてしまった。

悲鳴を聞いた夫に抱きかかえて貰って椅子に座りブレンダーの刃じゃなくて周りの部品で切ったことが判り、足を着くことが出来るので骨折は無いと思い、冷やすことにした。いつも怪我が絶えない我が家、冷やす薬が無くてサロンパスと上に熱さまシートを貼って寝た。

夜のトイレはそろりそろりと杖を突いて何とか眠れた。

朝、めくってみると青あざはできていたが傷口も血は止まりゆっくりだけど杖なしで歩けるようになった。

まだ体重はあまりかけずに今日は大きめのズックで買い物に行かなくては。

今朝、ヨーグルトに入れて食べたら美味しかった。

夫はなぜか手を付けなかった。

昨日の騒ぎにこりごりしたのかも。

丁度大きめのジャム瓶にひと瓶出来上がりました。

この調子だともう田舎には連れて行って貰えそうにありません。

山野草、貰い手は見つかったのですが寒くならないうちに鉢に植えてお嫁に出そうと思います。

まだ、この時期キレンゲショウマが咲いていました。


今年1年ありがとうございました

2014-12-30 | 日記

ワードで毎年作成するお年玉袋です

明日はいよいよ2014年最後の日です。

年々時間の経過が早いと感じるようになりました。

昨年から体調を崩し、私には大変な一年だったなあと思いますがそんな私を支えて下さった方にもお礼を申し上げます。

まだ万全では無いのですが気持ちは少し前を向いて行けそうです。

私の身体はしんどい日々でしたが思いもかけず夫が家事の手伝いをしてくれるようになり私にとってはとてもありがたい日々でした。

洗濯物はくちゃくちゃですが一言も言いません。

食器は洗ってあるらしいのですが食洗器は自分が思うように入れた方がだすのも楽で助かります。

でも、掃除だけは嫌いみたいで小さい掃除機で自分の周りをちょこっとかける時もありますが出来るだけいない時に半分に分けてかけるようにしています。

洗濯物を畳むのは私がするのですが皺くちゃだととても難しいのですがしんどい思いをするより「目をつむる」方が楽だと思えるようになりました。

料理もゆでたまごや湯豆腐などはできますが全くする気はないみたいですので無理なものは無理なので期待しないようにします。

今はコンビニに行くと食べるものはいくらでもあるので手作りのおかずでなくてもいいんですから知らない顔をしています。

年末に夫の悪口を書いて申し訳ありません。

でも、今までより私も夫も少しは進歩した、と言いたかったのです。

もうポチ袋もばっちり作り用意しました。黒豆やお煮しめは先週作り娘、息子の所に届け私も食べてしまいました。

でも、野菜をたくさん頂いたので明日、お煮しめや酢の物はもう一度作ってお正月に食べようと思います。

今日は夫が「ブリの刺身が食べたい」と言うので朝一番に買いました。

お年玉は飛ぶように出て行きますがまた、新しい年に「福」を呼び込んでぼちぼちとスタートしていきたいと思います。

書き散らかしも良い所のブログに来てくださって本当にありがとうございました。

どうぞよいお年を!


今度は「歯」

2014-12-09 | 日記

悲しいかな少しづつアレルギー症状が良くなりつつあると安心していたら土~日、右の奥歯が痛い。

その前からのどと右の頭が痛くて寝ても起きても気分がすぐれない。

月曜日、歯磨きをすると確かに痛いがこすっても血も出ない。

歯科に予約していくとレントゲンをIPフォンで(?)先生の説明を聞くと奥歯の親不知が上の歯茎を押してそこが化膿して歯槽膿漏になっていると。

まずは化膿を止め、膿を出すようにすると言われた。

画像を見ると内部にはまだ溜まっているようだ。

「まだ膿が出始めなのでまだ痛むかもしれません。余り痛むようなら切開して早く出して楽にしましょう」と薬を下さった。

あ~何と間が悪い。

痒かったり痛かったり年末なのに・・・。

少し噛めるようにはなったが食欲なし。

先日コストコで買った高い肉、今日数人の運のいい人がぺろりと食べた。

残念!

歯科技工士の方が「体力が極端に落ちるとシソー膿漏になりますからしっかり食べて体力を取り戻してね」と、言われた。

アレルギー症状も行く先々で「あ~私も理由なしに全身にアレルギーが出たわ」と言う人に出会った。

年齢、体力、栄養・・・この年になると出物腫物・・・いろいろ病気が出るらしい。

今日は田舎にお歳暮を持って親戚周りをした。

雪が積もり寒かったが一つ一つ年末の行事をこなしていく。

今年は例年に比べ足が寒い。

数日前にしまい込んでいたお風呂上り用靴下をはいて寝たら夜中にトイレに起きることなくぐっすり。

そして、今まではあんかか小さなホットカーペットをベッドに入れていたがいつも夜中にサッカーして落とし電気代がもったいないのでパジャマの上に薄いカーディガンを羽織りそれに小さい「ホッカイロ」を貼って寝ると翌日の夕方まで暖かい。

体調が悪いという事は身体が冷えていたという事だろう。

暑がりの夫にいくら笑われてもいい。

今年はこれで行こう!